「ふるさとづくり'93」掲載
<集団の部>

郷土の川を美しくする
福島県・若松中央生活学校・湯川を美しくする会
 昭和50年代の初め、若松中央生活学校では、「家庭系ゴミ問題」に取り組み活動しておりましたが、やがて市民会議の中でも取りあげられるようになり、「ゴミの分別収集」が全市に広がっていきました。この頃から人びとは、生活環境の汚染について関心を持つようになり、昭和54年、若松中央生活学校では、会津若松市の中央を流れる「湯川」の生活雑排水による汚染に問題意識を持ち、その浄化をめざして活動することにしました。


川の様子を調査する

 事前活動として、川の汚染の状況調査を実施する一方、先進地の長野県飯山市を視察し、信州大学の桜井先生から、水汚染の化学的調査方法や生物・植物の採取方法等を学びました。
 これらをもとに、いよいよ私たちは、「湯川」の水汚染の化学的調査を実施しました。
 調査地点として、上流の3地点(@東山町中湯川、A東山町雨降滝上流、B東山町向滝橋下)、中流の3地点(C花見ケ丘新田橋上流、D花見ケ丘小田橋下、E湯川橋下流)、下流の2地点(F緑町烏橋下流、G神指町キリシタン塚下)の8地点を選定しました。この8地点は、市の公害係の水質調査定点でもあるからです。
 作業は、それぞれの地点ごとに、「川の状態」、「岸の様子」、「川底の様子」、「目につく底生動物」、「泡の有無」、「水の色」等を観察し、サンプリングし、測定するなどして記録しました。
 また、この川の「今昔の相違」をとらえるために、川辺に住む住民(古老等)から「聞き取り調査」をしました。


石けんに関心むく

 この結果、今日では、10年前の3分の1ぐらいの漁獲量であること、しかも近年「奇形の魚」がみられるようになったこと等を知り、この事実と私たちが実施した生物調査の結果とをまとめて報告書を作成し、また、湯川の生物の分類による「汚濁地図」を作り、市民に広く報知しました。
 こうした活動を進めていくうちにも、私たちが問題意識としている「生活雑排水の汚染」に視点を当て、まず「洗剤」の問題について活動を進めました。そこで、始めに「合成洗剤と粉石けん」についての認識調査を実施し、それに基づく「洗剤についての学習会」を開催したり、市民への「啓蒙資料」を配布しました。一方、これらの資料をもとに、業者との「対話集会」を開催し、「粉石けんコーナー」の設置を要望し、その実現をみることができました。


活動を市生活展で発表、PR

 しかし、このような運動(環境汚染防止)は、一生活学校の活動では限界もあり、多くの市民の参加を促して、市民運動として展開すべく、準備委員会を設置し検討した結果、昭和55年、生活会議の形で「湯川を美しくする会」を設立しました。
 賛助会員(事業所等)18社、団体会員10団体、個人会員50名で発足し、多くの市民の参加を得て、活動が展開されるようになりました。
 主な事業としては、(ア)会報発行、(イ)水辺雑草刈り払い作業、(ウ)水質調査・動植物調査、(エ)ゴミあげ作業、(オ)ホタルの増殖活動、(カ)灯ろう流し、(キ)行政・市民との懇談会――などがあります。
 平成3年は、「湯川を美しくする会」10周年記念行事として、「市民みんなで湯川の土手を花で飾ろう」や、「湯川に住む魚・水生生物・野鳥・植物たち」(掲示板)を設置しました。
 こうした私たちの活動(とくに調査活動)は、市の「生活展」(毎年デパートを会場として開催されており、生活学校や生活会議運動の活動資料が発表されている)で発表され、市民の啓発につとめております。


子孫のためとがんばる

 こうした10数年にもおよぶ私たちの運動の成果は、目に見えて顕著に現われるものではありませんが、最下流の「キリシタン塚下」では悪臭が消えてきたとか、コイやフナ、ドジョウ等が増えてきたとか聞かれるようになってきました。また、沿岸住民の川への関心もだんだんに深まり、土手の草刈りやコスモス植栽作業へも協力してくれる人が増えております。しかし、一方では空缶やゴミの投捨ての現象はなかなか減りませんし、家庭雑排水による汚れが上流にもおよんて、上流のほうまで下流化(下流に住む生物が上流にも住む)してきたようにみられます。
 会津若松市の母なる川(湯川)が、文字通り水清く、市民の川として甦る日をめざして、遙かなる道のりのようにも思えるのですが、私たちの子孫のためにと、がんばっております。