「ふるさとづくり'94」掲載
<集団の部>ふるさとづくり振興奨励賞

田舎からの発信“草の根文化活動”
兵庫県・大屋町 月曜日の会
集団の紹介

 兵庫県の但馬地方、国道も鉄道(JR)もさらに交通信号機もない静かな山間の町・大屋町(人口約5,000人)で、5年前から手づくり音楽会などを開いているグループである。何よりも主催する自分たちが一番楽しむことをモットーに年3〜5回程度コンサートなどを開いている。これまでに、クラッシックに始まり、フォーク、シャンソン、邦楽、落語、一人芝居など、多彩な内容で公演は20数回に及び、さまざまなジャンルの文化イベントの開催にチャレンジしている。

〈様々なメンバー〉
 会員は、建築家、木彫作家、陶芸家、喫茶店主、教師、会社員、町職員、農業青年、僧侶、主婦など、20〜40歳代の職業も年齢も様々なメンバーで現在33人が活動に参加している。いつでもだれでも参加が自由で、催すコンサートによって実行委員会組織にしたりして、多くの人を引き込むようにしている。

〈ワイガヤと差し入れ〉
 例会は、月1回程度の割合で開催し、コンサートなどが計画されている場合はその都度、公民館や喫茶店などに集まって会合を開いている。
 会則はなく、全長、事務局長のみを選び、「ワイガヤ」と「言い出しっぺが実行委員長」で自主運営している。運営費は、年間1,000円の会費(通信費)とコンサートの打ち上げ会の参加費(1,500〜3,000円)を集めるぐらいで、例会の時などは会員の差し入れ(お酒、つまみ、ジュースなど)を奨励し、歓迎している。
 会の名称は、ほどんどの会員が様々な地域の役員(学校、地区、消防団、婦人会等)を兼ねる場合が多く、あちらこちらに顔を出していることから比較的会合の少ない月曜日の夜に集まろうということになり「月曜日の会」としている。

〈場所を選はない〉
 この全の大きな特徴は、コンサート会場を1ヵ所と限定せず、学校の体育館、神社、寺院、民家、喫茶店、レストランなど、ミスマッチを恐れずに様々な場所でチャレンジしていることである。どんな場所でも音響器具、照明器具を持ち込み、ビールケースなどで仮設ステージをつくり、コンサート会場にしてしまい、観客や出演者までも驚かしてしまう。
 このように、町内のいろんなところに出前コンサートをしているのは理由がある。町に文化会館がないこともあるが、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、小中学生や小さな子どもたちにテレビでは得られないナマの文化のすばらしさに触れ、感動してもらおう、楽しんでもらおう、そして、地域や町をいきいきと輝かせようということである。また、地区の神社や寺院などでコンサートをするときには地元の人たち(地区、神社等)と一緒になって実行委員会を発足させ、地域ぐるみの展開とし、主催者の感動を多くの人たちに味わってもらおうと展開している。

〈大屋コネクションと地酒で歓迎〉
 出演者は、いわゆるプロダクションなどは一切依頼せず、会員のコネクションやさまざまなネットワークを使い、著名(?)な人は相手にせず、実力のあるプレイヤー、人間味のある芸能人さんなどを招いている。
「お金はないが、そのかわり私の町には美しい山や川がある。自然の素材を使った料理とおもしろい人たちが歓迎します」という出演交渉で、都会にないものを武器にしている。ギャランティの不足については、一例をあげると、夏にコンサートの出演者には、コンサート終了後、川遊び、アユ料理を提供する。また、冬の出演者にはスキーとボタン鍋と地酒をごちそうしたりするといった具合にふるさとの財産(人、自然、特産品)で歓迎している。そんな理由で、出演者は必ず町に一晩泊まって(ホームステイ、ログハウス体験宿泊等)もらうようにお願いし、打ち上げ会を兼ねた反省では会員と親交を深め、今後の来演にとつないでいる。


会が発足するまで

〈星と森の音楽会〉
 本会が発足した経過には、1988年7月24日に草の根国際文化交流の輪を広げようと、西ドイツ(当時)から日本人5人、ドイツ人2人、チェコ人1人の「草の根国際文化交流合奏団」を招き、町が発足して初めての本格的なクラッシックコンサート「星と森の音楽会」を開いたことである。
 これは、5年前、西ドイツ(当時)のウルム市立教劇場で首席奏者をつとめている杉本暁史さんの訴えから始まった。欧州から経済大国となった日本を見ていると、情報も経済資本も、そして文化までもが東京一極に集中している。これではいけないと、自分なりに母国の人々に西洋音楽を親しんでもらう活動をしよう、それも音楽会などの少ない田舎を回ろうと思い立ち、身近な日本人音楽家や、ヨーロッパの演奏家仲間に話したら、みなボランティアで協力してくれることになった。あとは日本で受け入れてくれる町や村をさがすことになった。そして杉本さんは1983年3月16日付の朝日新聞「論壇」に「拝啓 竹下登首相殿」の書き出しで「欧州の国々では小さな町でも音楽や絵画に接する『場』があります。日本の小さな町や村でもコンサートのできる文化活動促進の機関をつくってほしい」と国に草の根文化活動支援を訴えた。
 この杉本さんの呼び掛けに、国内で村おこしやボランティア活動をしている大学の教官やマスコミ関係者などが「草の根国際文化交流実行委員会」を発足させ、過疎で悩む全国の小さな町や村に開催地を呼び掛けた。そのなかから大屋町のほか、宮城県小野田町、福島県飯館村、同昭和村、愛媛県五十崎町、島根県吉田町、同弥栄村、山口県防府市野島、熊本県多良木村、千葉県九十九里町の10ケ所が名乗りを上げ、1988年夏に全国縦断ミニコンサートが行われた。
 大屋町でも町内の若者たちに実行委員への参加を呼び掛け、住民と行政とが一体になった実行委員会が発足した。本町では、初のクラッシックコンサートであり、しかも本場のヨーロッパから出演者がやってくるとあって、会場設営、歓迎行事、ホームステイの受け入れなど、歓迎ムードも盛り上がり、町ぐるみで受け入れ準備が進んだ。コンサートはもちろん大成功。当日は中学校の体育館に約700人が詰めかけ、お年寄りから子どもたちまでモーツアルトやシューベルトの名曲に聴き入った。

〈コンサートピアノ〉
 このコンサートでは大きな副産物をもたらした。ドイツから8人の音楽家が町にやって来るのだが、ピアノは当然持っては来れない。主催者側で用意することになっていた。町には学校のピアノがあるだけだった。打合せ会で実行委員の一人が「この機会に文化の発信のシンボルとなるようなピアノを買ったらどうだろう。それもコンサートピアノを…」という突拍子もない大胆な提案をした。
 大屋町には会場となる文化ホールがなく、当然、音楽会などもほとんど開かれることがなかった。そのため実行委員のほとんどは「冗談だろう」、「夢話だろう」と半信半疑だった。が、その実行委員が次の日から本気になってピアノを探し始めると、応援する町民がつぎつぎと現れ、「コンピア募金」という活動が広がり、お年寄りから子どもたちまでが参加した。約1ヵ月間で約1千万円という想像できない金額になった。音楽会の前日、夢にまで見たオーストリア製コンサートピアノが、会場の中学校体育館に運ばれると感激の瞬間であった。
 当日は聴衆も演奏者もリラックスしてコンサートに参加してもらおうということで、Tシャツ姿で演奏する予定であった。ところが、この話を聞いた杉本さんらは「今日は町のみなさんにとって記念すべき日、正装してピアノを弾きます」と、急きょ、男性はネクタイ姿、女性はドレス姿で雰囲気を盛り上げるのに一役買った。

〈月曜日の会の発足〉
 大成功裡に終わったコンサートであった。それを支えた実行委員のメンバーも青年団員、農業青年会、商工会青年部、町職員、医者、保母さん、主婦、OL、民謡の好きな叔父さんなど約30人が参画していた。出発は3人だった。
 コンサートの終わった数日後、町内の旅館で実行委員会の解散を兼ねた反省をしていたとき、1人の実行委員が「このコンサートで団体のしがらみを越えた仲間もできた。文化の発信の“核”となるピアノも手に入れた。このピアノで今後も活動を続けよう」と呼び掛けた。それに応えて、「よし、やろう」と若い実行委員から声が上がり、1988年8月10目、月曜日の会が発足した。