「ふるさとづくり'95」掲載
<個人の部>ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

マスタープランを軸に町づくり活動をリード
秋田県秋田市 浅利 悟
 昭和40年の秋、周囲がほとんど空き地と田圃であった現在地に家を建て、8年後はじめて町内会の役員当番が回ってきた。町内会にはほとんど関心のないときだった。
 役員会に出席して発言したのが運の尽き、町内会報の発行を提案したら、「お前が言い出したのだから、お前がやってくれ」ということになって、以来20年間、町内会の広報、環境、総務担当と子供会の世話役を引き受けさせられてきた。これが動機となって、市や県サイドの地域づくり活動や新生活運動、さらには生涯学習、生きがいづくり活動と青少年育成活動にのめり込む羽目となった。
 この間町内の子ども達からは、新聞のおじさん、ズーズー弁のおじさん、焼き芋のおじさん、廃品回収のおじさん、ラジオ体操のおじさん、あだ名がどんどん増えた。ときどき間違って先生とも呼ばれ、小学校の先生になりたかった夢をちょっぴり味わってきた。今でも街中で、当時の小学生であった学生や若い人達から声をかけられ、「だれだったかなあ」と戸惑うことがある。
 こうした町内会などの社会活動を通していろんな分野の人達と交流し、いろんなことを知るうちに、これまでの自分の意識、価値観、視野の狭さが丸見えしてきた。以後45歳を境に私の人生観がどんどん変わって行った。


ライフワークづくり

 昭和42年36歳のとき、胃ガンと宣告され人生最悪の試練に突き当たった。私はこの貴重な体験を通して、人間が生きて行くうえで人間関係の大切さを知らされたのである。そしてこれが動機となって地域の人間関係づくりに関心をもち、21世紀の高齢化時代に対応する地域環境と住民、家庭環境と家族のあるべき姿を求め、また、老後を充たされた気持ちで生き抜く私白身の生涯設計として、20年間にわたり、同志の人達に呼びかけ共に率先して青少年の健全育成活動と町づくり活動、さらには新生活運動や生涯学習、生きがいづくリ活動を実践しながら、徹底した自分自身のライフワークづくりをも試みてきた。それは、予想以上の速さで進行する社会の高齢化に対応するためには、少しでも早くから自分自身心意識改革を行い、家庭生活の充実と地域環境づくりの必要性を痛感したためであった。
 そして、町内会の町づくり活動が開始されて15年目に、この間にわたる住民による町づくり実践ドラマを後世に留めておくべきと考え、昭和55年12月「新しい町づくりへの道」(ふれあいの原点)と題した、300余真の記録書にまとめあげて当時の町内160世帯に実費配布したのである。これはその後の町内活動を進めるうえで大きな指標となり、住民の町づくりに対する理解と強力、融和をさらに高める結果となった。それがさらにふくらみ、千代田会館建設資金1200万円の住民負担(1世帯5万4000円)と自治総合センターから1000万円の助成を受けることへ発展していったのである。そして、何よりも私自身の人生指針となり、老後への心の準備と生きがいづくりができたことである。


土地区画整理事業計画を契機に

 このように私の人生観を180度変える活動の母体となった千代田町は、秋田市のど真ん中に位置し、現在では世帯数も328世帯という大町内会となり、町内も整然と区画整理された町となったが、昭和40年当時は戸数約20数戸。夏の夜は蛙の合唱と蛍の乱舞を家の中で鑑賞でき、水路にはフナやドジョウが泳ぎ、野鳥が垣根に巣をつくりカッコウが鳴く田園地帯であった。しかし、市の中心街まで1キロ以内という地域にありながら、道路は農道のまま砂利道であるため埃と泥水に悩まされ、生活排水も昔のままの農業用水路に垂れ流しの状態であるためどぶ化して悪臭が発散し、雑草が繁茂し蚊、蝿、野鼠との同居を余儀なくされるという、現在の整備された町内の現状からは想像しがたい状態であった。
 昭和41年4月、秋田市はこの地区を含め新制度による新住居表示を実施し、町内会が住民の意見を集約して提案した「千代田町」という名称を、新町名に決定したのである。この町名の意味は、当時の田園風情を町名に留め、千代に繁栄を念じて千代田と考え出されたものである。
 さらに昭和45年に、市はこの地区を初期着工工区とした東北最大規模の土地区画整理事業計画を公表したことにより、私達の20年間にわたる町づくりドラマ「白紙からの出発」が始まったのである。


まずは子供会活動を活発化

 私たち町内会の役員有志が本格的に町づくりに取り組んだのは、この行政の町づくりプロジェクト土地区画整理事業計画が公表されてからである。この計画に対しては、公表されてすぐに反対運動が展開されたが、私達は冷静にこれを受け止めて検討を重ねた結果、将来の時代構築を視点におき、減歩負担や換地計画などに対する今後の交渉を条件に、町内会としては基本的に賛意を示したのである。町内では強固に反対する人達かおり、町の現状と将来における自分たちの生活の拠点としてのあるべき地域環境づくりを説得したが、最後まで理解を得ることのできなかった人達もいた。
 私たちは、将来をめざした町づくりの理念と手法をまとめた。「社会的に世帯の高齢化と余暇時代到来の必然性、これに対応する個々人の意識改革と家庭および地域環境の整備」すなわち、これまでの人生50・60年型社会の発想とは異なったものの考え方、生き方、社会システムを、個人や家庭、地域サイドにおいても真剣に考え、その対策を出来るだけ早く積極的に実行していかなければならない。そのためには、元気で若いうちに何をしておかなければならないかを、自分たち自身の問題としてとらえることであり、それは、職を辞してからの身体と心を支える健康と生きがいづくり、そして経済的な裏付けと人間関係を確立しておくこと。それはいずれも一朝一タになし得ることではないことを町内住民に提言し、健康と生きがい、人間関係づくりを町内活動の中に見いだしておく必要性を説いてまわったのである。
 そして新しい町づくりは住民の意志によってつくられなければならない、何でもかんでも行政に依存するのではなく、住民としてやるべきこと、やれることはきちんと実行する住民意識の醸成を図った。活動の手法としてまず実行したのが、町内の子供会活動を住民融和の機会として着目し、子供会活動を活発化させて住民の目を地域に向けさせた。そして、町づくり活動を行って行くための基礎は、住民相互の融和と連帯感の醸成であると考え、コミュニケーションのメディアとして町内会報「ちよだ」を創刊し、コミュニケーションの場として大型の廃車バスを利用した「廃バス町内会館」を設置して住民の触れ合いの場としたのである。
 これらの取り組みを通して、町内の住民意識が徐々にではあるが変わって行った。町内の人達がお互いに挨拶を交わし合うようになり家族間の交際が広まった。また町内会報に投稿者が増え町内行事に参加する人も多くなり、無関心であった人達からも善意が寄せられるようにもなった。


町づくりマスタープランを策定

 さらに、市で公表した区画整理事業計画が単に行政サイドの町づくりであってはならないことと、町内活動が単に一時的な花火閃光のようなものであってはならないとすることから、昭和50年には町内活動の指標として「明るく住みよい町づくり長期計画」を住民サイドによるマスタープランとして策定し、これを行政に提起したのである。
 この計画は、市の区画整理事業計画など行政の町づくりプロジェクトを踏まえたうえで、町内会館や公園施設、子ども用プール、テニス・バレーコートなど町内コミュニティ施設の構想、町内の植樹と緑化、防犯と防火および交通安全、環境衛生と健康、道路、排水路など生活施設の整備および町内住民の融和と親睦事業などを内容とし、B5判17頁からなっており、昭和60年を目標に、町並みの整った文化的な千代田町の将来ビジョンを描いたものである。これを行政に提案して行政プランに盛り込みの可能なものについては住民の総意として請願し、町内会が行うべきものについては、可能なものから順次、計画的に合理的な実現を図っていこうとしたものである。この私達の夢の計画が、80パーセント近く実現するとは当時だれもが予期しなかったと思う。
 現在、町内は整然と区画整理され、町の中心部には住民の多目的広場「千代田児童公園」ができ、これに接続して市街地公園道路「四季の散策路」と、住民が資金を出し合って独自に建設した「千代田会館」など、この街地構図は、これからの時代に生きる地域住民の生活の核として、行政の町づくりプロジェクトと住民が自主的に描いたマスタープラン「明るく住みよい町づくり長期計画」がドッキングし、行政と住民の新しい関わり合いをつくりながら、18年間にわたる住民と行政の町づくりドラマの中で完成した新興住宅地域となったのである。
 今、千代田町の人たちは、完全に整備された町内環境の中で、新たな時代に対応する地域の生活文化は、住民自身の自主的な立場で築き上げるものであることを再確認し、住民の生活スタイル変化に対応した新たな将来ビジョンを設定して、次のレベルへの活動展開が必要と考えている。


千代田町の新たな将来ビジョン

 人は澱んだ動きのない空気のもとでは、生活それ自体は可能であっても、生活の喜びや張り合いを感じることはないものと思う。間違いややり過ぎがあってもいい。絶えず活動していることの中から意欲と活力が生まれるものと私は信じている。そうした意味では、これまでの千代田町内会は常に若々しく躍動してきた。しかし活動を継続するためにはエネルギーをつくり出していかなければならない。その点で千代田町内会は世話役の高齢化や転出などに伴い、今一つの転機にさしかかりつつあり、そのエネルギー源をどこに求めるべきか。町内活動を支える若い人達の役員を育てることが最大の課題となっているのも事実である。こ
れらの課題をかかえつつも、人が生活している町はその歩みを止めてはならないし、これからも新たな問題を引き起こしさまざまな難題が起きると思う。
 私は今、昭和40年以来の町内活動の記録写真アルバム36冊を整理し、このスライド編集に取りかかりながら、私の勝手な夢「千代田町の新たな将来ビジョン」として、公園道路四季の散策路を彫刻の通りとすること、千代田会館の隣接用地を確保して町内会館と併用の地域老人デイサービス施設をつくることを行政に提案し、町内会組織を社団法人化してその経営を引き受ける構想を夢見ながら、地域ボランティアマンに徹し、老後に向かって心の準備を全うしたことの充実感と、この夢の実現に向って人生最後の情熱を燃やしてみたいと思う昨今である。