「ふるさとづくり'96」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

町の活力源となる婦人たちの知恵
長崎県小佐々町 あざみ生活改善グループ
 小佐々町は、石炭の町として昭和27年には人口16、000人を数えた。しかし昭和36年頃からエネルギー革命の余波により、石炭産業は不況から、経営合理化、廃業へと続いて人口は減少した。その後、町の基幹産業を漁業とし、昭和45年頃には、イリコの乾燥による加工を行うなど、県下でも有数の漁業の町となり人口も微増傾向にある。
 位置は、長崎県の北部、北松浦半島の西南、日本本土の最西端に位置し、東西8キロ、南北6.8キロ、面積29.9平方キロである。山岳部が多く地形は急傾斜地で、谷間に水田・普通畑・樹園地があり、山岳地帯に採草放牧地が点在する営農条件の厳しい地帯である。主要作物は米を主幹として、みかん、肉用牛、路地野菜であり、営農類型はこれらをプラスした複合経営である。
 農業は高齢者、婦女子の肩にかかり、男性は勤め人として安定兼業型が増加している。農家戸数182戸、専業農家13戸、その中の3戸は、あざみ生活改善グループ員である。


グループ活動の動機

 冷水集落の若妻(愛の会)10人が生活改善グループの活動に共鳴し、昭和36年4月、冷水生活改善グループを結成、家庭菜園づくりや、農家の健康管理活動を展開、農村地域に根ざした活動を手がけていた。昭和53年転作田に作られている大豆の活用に目をつけ、町に加工所設立について要望書を提出した。
 昭和55年、新農政特別対策事業(県単)で冷水集落に農産加工所(営農研修所併設)が設置され、その加工所の高度利用と、地域特産品の育成を図るため、施設の運営を冷水生活改善グループに要請された。
 冷水集落は当時、基幹作物のみかんが暴落し、経営主は他県に働きに出、また、グループ員も日稼ぎに出ないと生活に困る人も出て、隣按する矢岳生活改善グループにも呼びかけ12人で加工、販売を目的としたグループを再編し「あざみ生活改善グループ」として発足。


健康増進をめざした活動

(1)衣生活の改善
 昭和36年、最初に取り組んだのは寝具の改善で、薄くてかたい敷きぶとんを、布の共同購入、共同作成で藁マットレスに、これは暖かくてぐっすり寝めると好評。共同で物を作り出す素晴らしさ、暮らしの中の問題点を見いだす目が養われていった。
 また、みかんを中心とした農業経営の中で、健康診断等により、健康の大切さを認識。速切な防除作業衣、下着、マスクの研究と着用推進は、農業から身を守る運動へと展開した。
(2)住改善から地域環境改善へ
 かまどの改善、窓を取りつけて部屋を明るくする、押し人れの改善等頼母子講をもりたてて実施していたが、農業改良資金の利用により台所、風呂、便所の改善を実施、小佐々町のモデル地区となった。昭和48年度の生活改善グループの県大会では、「住みよい地域づくりと家族の健康増進」という謀題で実績発表をしている。しかし個々の住宅等は改善されても、集落内の道路は狭く、急な坂道で石ころも多く子供たちが学校に通うにも、病院に行くにも大変であった。少しでも住みよい集落にするため、集落内の環境点検をし、自分たちで出来ることは自分たちの手で実施することをモットーにしながらも、道路整備を集落の話し合いに出し、町に要請、昭和50年にやっと集落の道路整備がなされた。
 その後は集落の景観づくりに力を入れ、あじざいの共同育苗、植え方、手入れの仕方を学習して、集落内にあじさいを広げていった。これは町の景視づくりの啓発となり、西海国立公園冷水岳の整備となり、あじさいは町全体に広がり、現在ではあじさいロードレースまで実施されるようになった。町内のあじさいの管埋は各グループ員が引き受け、道路の端には四季折々の花が咲き、梅山と併せて他にひけをとらない美しい町となっている。
(3)食生活改善から地域おこし
 緑黄色野菜の摂取量増大のための家庭菜園の計画栽培と苗の共同育苗、自家生産物の有効利用、農繁期の蛋白質確保のための共同献立表の利用による魚肉、豆腐等の共同購入、健康講座の開設等、他グループにも波及し、昭和44年には、小佐々町に10のグループ誕生、45年には改良センター管内で第1号の生活改善グループ町連の結成となった。町連では現在も年2回の菜園コンクールを実施、それが発展して直売所を開設したグループもある。
 こうした活動の中で婦人の自立に目ざめ、地域全体にも目が向けられるようになった。
 農水産加工所が建設され、加工技術の確立と同時に味噌、味噌漬を販売する一方、加工野菜の計画作付を推進して農産物に付加価値をつけるための努力がされた。
 加工所の運営技術を身につけるため、消費者の嗜好調査並びに市場調査、優良加エグループの視察研修を実施、新製品の開発を手がけ自分たちが作っている味噌と小佐々町特産のイリコでイリコ味噌を開発、これは、食アメニティコンクールで、最高の国土庁長官賞を受賞した。
 今では、1億創生事業で町が作る物産館を西海国立公園冷水岳に設立されることを要請、その管埋運営を引き受け、自分たちが作る加工品、地域の特産品、老人に生きがいを持たせるための老人が作った作品も販売、また郷土料理等食堂経営もする起業婦人として成長、町のいろいろなイベントのささえとなり、地域の人々のよりどころとして活気が出ている。販売額も年々伸び、平成7年度は目標額を目ざしている。


ふるさとの味伝承を信条に地域活性化

1.農業経営におよぼした経済的成果
(1)地域内農産物、水産物に付加価値をつけて加工し、販売に結びつけたことは、農林水産業の振興に一役買い、高齢者、婦人の農業への取り組み意欲を高め、野菜作り等が積極的に行われ、土地の高度利用が図られるようになった。
(2)農作業、加工作業、物産館の管理運営に家族労働の計画化、合埋化が実施され、農業の経営改善につながった。
(3)少しキズがあるようなハウスみかんやビワ等が物産館で販売され、農業収人が増加している。
(4)起業婦人として、物産館、加工所の管埋運営で帳簿の記帳をすることが、農業経営の中にも生かざれてきている。
2.家計におよぼした経済的成果
(1)起業婦人として女牲が自立し、年間150万〜200万円のお金を家庭にもたらすことは、家庭生活が潤い、生活が安定した。
(2)グループで取り組んだ緑黄色野菜の摂取増大から、家庭菜園づくりによる自給率の向上が、家計費の節減となり、町全体の家庭菜園コンクール、加工品づくりと発展し健康食品による食生活改善の取り組みがされるようになった。
3.地域社会におよぼした成果
(1)小佐々町の特産品を販売したり、加工したり地元で採れる野菜、山菜、魚等を使った料理による食堂経営は、ふるさとの味が味わえる場として観光客やお正月、お盆等に帰省する人々に喜ばれ、物産館は消費者と生産者の交流の場となり、心のよりどころとなっている。
(2)年4〜5回開かれる大きなイベントの陰には、グループ員の協力があり、物産館を中心にした西海国立公園冷水岳で実施されている。観光客も年々増え、年問15万人となり、地域の活性化に大きな役割を果たしている。
(3)あじさいの苗づくりから集落の景観づくりへとグループ員が始めた活動は、町全体の景観づくりへと広がり、四季折々の花が咲き、美しい町として人々の目を楽しませてくれている。6月には、両側にあじさいの咲き誇る道路で「あじさいロードレース」が実施されるようになり、参加者には、グループ員が育てた苗が配布され、町外へも広がっている。
(4)忙しい時は、地域の人たちをパートとして雇い高齢者、婦人に働く場所を提供している。また、高齢者の人たちが作る手芸品、人形、竹や籐のかご細工等も物産館内で販売。その結果高齢者も現金収人が得られ、働く喜び、生きがいを感じている。
(5)農産加工だけでなく、押しずし、山菜おこわ等の郷土料理が家庭や地域を問わず諸行事の時に利用され、手づくりの良さが認識され、郷土料理の伝承にも一役買っている。
(6)小佐々町の特産品であるイリコを使って開発した『イリコ味噌』は、イリコの宣伝にも大きな力を発揮し、漁業との結びつきを一層強くし、イリコ製造の最盛期には、物産館で作られる弁当が利用されている。
(7)加工品等の製品は学校給食にも生かされ、また、子ども農園での農業面の指導交流は、次の世代の農業後継者づくりに、郷土を愛する子どもたちの育成に大きな役割を果たしている。
(8)65歳を過ぎた人が、生き生きと働いている姿は、地域の人たちの手本となっている。
(9)8人の中の3人は、地域のリーダーとしても活躍しており町、集落の中で女性の立場からの意見や要望を行政に取り入れてもらうよう努力している。
(10)以上のように、新しい家庭生活のスタイルを作り上げ、経済的収入を得て、社会に貢献をしているという自負を持ったことは、個人としての自立心を高め、メンバーとしての結び
つきを強固なものにしている。