「ふるさとづくり'96」掲載
<個人の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

草の根新聞「新郷タイムス」
埼玉県川口市 叶 公
〈発行人〉叶 公
  妻  叶 珠子
〈新聞名〉新郷タイムス
〈編集方針〉地域住民の相互埋解と連帯を強め、豊かで活気ある郷土づくりを推進する。特定の政党・団体および個人に偏しない公正で中立・自主的な立場を堅待する。
〈創 刊〉昭和53年5月
〈発行部数〉当初650部、現在は3,500部
〈発 行〉月2回(タブロイド判4ぺージと2ぺージ)平成元年5月より月1回(8ぺージ)
〈購読科〉月ぎめ170円
〈発行地域〉川口市新郷地区(旧新郷村)
 ・世帯数と人口=発行時は8,000世帯・27,000人
         現在は12,400世帯・38,000人
 ・発行当時の状態=かっての田園地帯が、ベッドタウン化のため人口急増。新旧住民のコミュニケーション不足、環境諸問題が噴出。
〈廃 刊〉平成7年7月・最終号314号。
 ・原因=脳こうそく3度目の発作により、頭も体も絶対に無理は禁止となり、ついに発行を断念。
〈新郷地区とのかかわり〉叶さんは、昭和37年東京から新郷に移住。さっそく新郷公民館より請けわれて青年学級の時事解説を月2回担当。妻は歌が上手で歌唱指導をたのまれた。こうして、早くから地域とのかかわりを深めていた。また、東本郷台町会の設立に参画し、現在まで32年間、副町会長。


定年を機に地域新間の発行

 地域新聞の発行は、新間人の理想といわれるが、叶さんは、新聞社定年を機に、妻と2人で始めた。住民は、地域の情報を深刻に求めているのに、情報を得る手段が全くないという実情から、発行を決意したという。
 編集方針を毎号きちんと掲げ、2人で取材して原稿を書き、新聞を仕上げ、読者とのコミュニケーションが大切との考えから、できるだけ1軒ずつ、声をかけながら配達を続けた。
 また、トラブルのもとともなりかねない広告とりは一切やらず、広告は、広告掲載を申し込んできたものだけを掲載するという方針を貫いた。創刊後2年間は、記事の公正と充実を図るため、地区内の町会長・PTA会長・団体やクラブの代表による諮間委員会を設けるという配慮もなされた。
 しかし最初から順調であったわけではない。購読申し込み部数も、わずか650部。中には“たかり”と思う人もいた。しかし初心断行。腰てぬぐいでぺダルを踏みつづけ、コツコツ記事をひろう姿や、記事の内容に好感を寄せる人が次第に出てきた。苦しい中で“子どもの七光り”に救われた。「ミスターサマータイム」でヒットをとばしたコーラスグループ「サーカス」は叶夫妻の子どもである。「サーカスのおやじです」おかげで部数ものびた。
 17年後の現在では、手ぬぐいをぶら下げ、自転車に乗るヒゲづら“新郷タイムスのおやじさん”で通っている。清廉で正義感が強く、公正な記事を書く姿に、新旧住民の信頼も厚く情報の伝達手段としての機能を生かし、地域社会づくりの“たいまつ”となって活動を重ねてきた。


主な活動の記録

▲穴ぼこ道路、不便なバス、ドブ川などを取り上げて、住民の声を特集し、また地域内美化活動を推進し、区画整埋実現への導火線となる。
▲中学生の非行・暴力問題に積極的に取り組み、学校・親・子そして地域全体で取り組もうと訴えた。
▲21世紀への街づくり−未来の新郷地区は、どうあるべきか、交通・福祉・環境問題をシリーズで取り上げ、地域意識の向上に大きく貢献した。
▲郷土意識のシンボルとして新郷音頭を誕生させた。作詞・作曲・歌手・踊りの振り付けのすべてが新郷の人たちによって完成。現在では、新郷の全町会で、盆踊りの時などに盛んに踊られている。
▲新郷コミュニティオーケストラ。結成の呼びかけから、団員集め、後援者募集、活動の報告などを熱心に報道してくれた。新郷タイムスがなかったら、誕生は不可能であったろう。
▲緑と花いっぱいの会。結成から育成・会員増強に貢献。
▲県人会の生みの親。新郷にある新潟県人会や九州県人会、みちのく会は、それぞれ新郷タイムスの呼びかけによって結成することができた。そして叶さんは、結成にあたり「皆ざんの故郷を想う気持ちを、皆さんの第2の故郷である新郷の地域づくりのために尽くしてほしい」と説いた。これらの県人会は、新郷クリーン作戦参加など、地域の活動に積極的に参加している。
▲「小さな親切」運動。新郷タイムスで会員を募集して同運動川口市新郷支部が昭和53年12月に発足。自ら支部事務局長に就任し原動力となる。小・中学生の作文コンクールでは毎年、新郷で数百人の応募があり、中でも新郷クリーン作戦は、毎回34人が参加する地区の大イベントになっている。[話題になった記事](記事掲載はすべて無科)
▲新郷昔ばなし。屋号と、そのいわれ。
▲ペット拝見。迷いペット探し。
▲白血病少女の記事に献血者30人。
▲お寺さん物語。地区内の寺の話。
▲「こんにちは」新任者の詳しい紹介。


車イスでがんばる

 この頃では、「新郷タイムス見た?」が、近所での話題の始まりである。叶さんの新聞から、今では“私たちの新聞”になってしまった。痛風の発作の時にも車イスでがんばった。4台の自転車を乗りつぶして、走った距離は7万キロ。脳こうそくの発作は昨年夏に初めて起きた。そして昨年に2度目。いずれも妻・珠子さんの看護で立ち直ることができた。しかし、こんどの3度目の発作は甘くなかった。やむなく次の7月号を最後に、発行を断念。これからは静かな生活に戻れる。一番安心したのは珠子さんであろう。
 地域の大勢の人たちが、いま企画を練っている。さよならパーティー。「ありがとう新郷タイムス、さようなら新郷タイムス」