「ふるさとづくり'97」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

仲間づくり・地域づくり
秋田県田沢湖町 荒町壮年クラブ
燃えない根っこに火をつける

 いま農村では、昔のように共同作業も少なくなっている。私の住む集落も例外ではなく、地域の連帯感が薄れてきている。そんな背景もあり、いろいろな機会に人生をもっとも充実している50歳代の男子層に寄るべく組織がないことは残念だとの話が交わされてきた。
 JR田沢湖線神代駅から国道46号線沿いの集落、戸数100戸、駅前の地区だけに商店経営、サラリーマン、農業と職種はさまざま、こうした地域の一家の主たちが、親睦交流を中心に、これまでの経験を住みよい地域づくりに役立てようと昭和52年1月、荒町壮年クラブ(会長・高橋達)として旗揚げをした。


壮年の出番

 住民の生活は、基本的には行政が支えているものの手の届かない部分がたくさんある。
 冬期の歩道の除雪、国道沿線の清掃、道路花だんの管理、いこいの森の清掃、無人駅舎の清掃、50代という年齢層からの責任感と地域が良くなることにいくらかでも寄与できるという自負が出番となり20年を迎えた。


奉仕(ボランティア)活動

 最初に取り組んだのは町内の歩道の除雪だった。いまこそ小型の機械が稼働するようになったものの、昭和50年代は全て人力、排雪された雪が歩道を埋めつくし歩けない。高齢者や保育所に通う園児は極めて危険、交通安全の面からも身近な問題の解決であり、歩道の除雪に取り組んだ。
 私たちの町は、年間300万人を超える観光客が訪れる観光の町である。田沢湖町に入ったら周囲の景色だけでなく、町並みや道路の沿線もきれいだと言われたい。そんな潜在意識が沿道をきれいにしようと言うことになり、昭和52年の春から消雪直後の日曜日、約12キロの沿線の清掃を始めた。ドライバーのモラルの高揚を願いながら20年間、延べ240キロにも及んだ。今年もその期待も空しく空き缶、空きビンの屑は300袋にも達した。年々量は少なくなっているものの、依然として車からの投げ捨ては無くならず残念でならない。道路に立てられた交通標識の汚れもひどく、モップに長い柄をつけ泥を洗い落す作業も一緒に行った。
 集落の近くに町が整備した「いこいの森」がある。春は桜、ツツジ、秋は紅葉と憩いの場にふさわしい。毎年春汗をかいての清掃作業後、花見を楽しむ。集落から3キロ程のところに、東北の耶馬渓として知られる県立自然公園「田沢湖抱返り」があり、紅葉のシーズンには多くの観光客が訪れる。シーズンの前の清掃も奉仕活動の1つである。集落には、部落の玄関ともいえるJR田沢湖線の無人駅舎があり、ほうっておけば観光の町の駅舎として情けない。青少年の非行の場にもしてはならない。平成2年から日曜日ごとにトイレをはじめ構内の清掃、除草、草刈り、ミニ公園「抱返り」の手入れをはじめてみたが、なかなか大変である。近隣集落に誕生した壮年集団に呼びかけたところ、快く協力を引き受けていただき、3団体が1か月交代で当たっているが、年間の延べ人員は500人を超す。
 国道改良の際に造っていただいた道路花だんは、1,000平方メートル近くの大面積、私たちが担当してきたのは約半分、春には起耕、施肥、植付け、除草、秋は咲き終わった花だんの整理も毎年の行事である。旱魃の年は10数日間もかん水、止めると枯れてしまう。きれいに咲くと苦労も忘れる。今年はベコニア1,200本植付けた。


歳末のチャリティーバザー

 昭和56年、毎年町が行っている歳末助け合い募金のあり方に矛盾を感じ、各家庭に眠っている未使用の物品(頂き物等)、まだ使える品物(リサイクルを含め)の拠出と、一方、必要な品物を求めていただくチャリティーバザーの開催を呼びかけてみることにした。全く新しい試みであり心配でもあった。不景気や冷害の年もあったが、継続して実施することに意義がありと、もう15回になる。金額の多少にかかわらず、細やかな善意でも恵まれない人々の希望の灯火となっている。売上金は、3万〜6万円程であるが、全てを町の社会福祉協議会に寄付、福祉ボランティアとも言える寄付行為は、2万〜3万と少額であったが、予算の中から交通遺児基金、アフリカ難民の救済、雲仙普賢岳噴火、北海道南西沖地震、阪神大震災の被害者等に見舞金を贈り、心の痛みを分かち合ってきた。


やればできる(日常生活の簡素化)

 昭和30年代の半ば頃から、日常生活の簡素合理化運動が行政(公民館)主導で提唱されてきた。昭和63年、ある日の役員会で、病気見舞いのお返しは、やっと治った本人や家族に気苦労をかけることにもなるし止めるべきとの提案があり、早速実行することにした。この種の簡素化は、これまで町や農協が提唱してきたが守れずじまいであった。
 町内の部落会、青年会、老人クラブ、婦人会、若妻会等の団体に呼びかけ協議する。その結果はいずれも趣旨に異論はなく、要はいかに徹底させるかであった。趣旨を要領よくまとめて印刷し、各家庭に配布した。その内容は、部落交際の申し合わせ「病気見舞いお返し廃止」と太書きし、「荒町部落では、日常生活の簡素合理化の一環として下記の申し合わせをしました。今後は皆でこの申し合わせを固く守り、少しでも無駄を省き、明るく住みよい部落にしましょう」と添え書きし、さらに「病気見舞いのお返しは、葉書による礼状のみとしましょう」と礼状の案文も印刷した。以来あれほど出来なかったことが、自分たちで決めたことと言う意識がお返し廃止を葉書礼状に定着させた。


70余年ぶり祭典を復活

 町内に文化8年(1811年)創建といわれる、古くから子宝の神様、安産の守護神として信仰されてきた金勢神社がある。壮年クラブでの研修で、ある町の地蔵尊の縁日が盛大に行われているのを見て、地元の神様を見直す機運が高まり、平成2年壮年クラブを主体に実行委員会を組織し、縁日の8月17日、町内の祭りとして賑やかに行った。祭典は、神社の沿革を記した説明板の奉納、親子梵天、仮設舞台での余興等であった。手づくりの祭りは町内のコミュニケーションをより深め、薄れかけていた連帯感の醸成に大きな役割を果たした。


コミュニティ活動

 平成2年、これまでの活動が認められ、町からの推薦もあって、(財)自治宝くじ協会から、コミュニティ助成団体として認定していただき、活動推進の備品「行事用テント5張、祭り半纏50着、大太鼓、小太鼓、集会所にレーザーディスク一式、格納庫」等を手にすることができた。これらの備品は、町内の家庭をはじめ各種団体等広く地域にも活用され喜ばれている。
 一方、5年前に健康増進と心身のリフレッシュに取り入れたグランドゴルフ、今では会員はもとより広く町内に普及し、毎月グランドフェスティバルを開催、競技を通して親子、地域のふれあいが深まっている。


親睦交流会・勉強会

 酒の席や旅行、レクリエーションの楽しみ会は夫婦同伴。奉仕作業等は夫婦のいづれか、特に総会は過ぎし1年を反省し、来るべき年への抱負を語り、意見を述べ合う大事な勉強の場と捉えてきた。会員の中には、諸般の事情で残念ながら参加できぬ人もいる。会では総会や行事の模様を克明に記録し、後日会報として配布し、周知を図ってきた。このことは次回の参加に大きく役立った。
 総会は、参加者が最も多いことから格好の勉強の場でもある。これまで、町長、新聞記者等を講師に招き「ことばの功罪」、「笑いのある家庭生活と生涯学習」、「ニュースを追って」、「私の町づくり」等の講演会を開催し、会員以外の皆さんにも聞いていただいた。その内容はいづれも胸を打ち、心に残るものであった。一昨年は「北欧4か国の福祉事情」、昨年は「最近の中国事情」について会長の報告を聞いた。


成果とこれから目指すもの

 老人でもない、青年でもない中間の壮年層でつくった任意グループが、他から一切の援助を受けることなく、20年という歳月を休みなく活動を続けてこれたのは、これまでの人生経験を地域に生かす奉仕活動等を通して奉仕に対する誇りが芽生え、地域に薄れかけていた連帯感を醸成し、自分たち中心であったが、他地域にも壮年集団の輪が広がり、地域に根さした集団として定着したことにより、結果として仲間づくりが地域づくりに大きく関わることになった。
 これまで汗を流すボランティア活動、少額であっても各種の義損金や寄付などのボランティア、日常生活簡素化の提唱、ささやかな活動であってもいろいろな機会に発表や提言を通して、会員はもとより住民意識を高め、地域課題の解決に役立った。
 今後も結成の原点を忘れず、息の長い活動こそ有意義と20年の実績の上に、活動の反省、新たな視点、役員の輪番制等により、マンネリ化に陥ることのないよう留意し、これまで以上にコミュニティ活動の推進、地域課題の解決に積極的に取り組む。今年度は結成20年、1つの節目であり、記念事業(記念講演会、記念誌の作成)等を通してさらなる飛躍の年としたい。