「ふるさとづくり'97」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

小さな声から大きな公園づくり
熊本県 田浦町
 都市部から離れた町村にとって、農林水産業の停滞や商工業の不振による人口の流失は、過疎化へスピードアップするばかりで、ましてブレーキをかけるということは至難の技ともいえる。そんな中で誰もが一番に思いつくのが、美しい自然や素朴な田舎の環境を生かした町の活性化へのふるさとづくりである。
住民に心身のやすらぎや豊かさを求めて、さまざまな取り組みが全国各地で行われている昨今であるが、「人は人を求め集う」ことが最も豊かさを実感できる。20世紀で失われかけたものを取り戻すため「自然賢明活用」を図り、21世紀へ心の豊かさを助長することが過疎の町の得策であり、観光振興を主にした人や文化の交流と考える。


田浦町の概要と歴史

 田浦町は、熊本県の南部に位置し、東に日本三大急流の球磨川を挟んで九州山地に連なる山々に囲まれ、西は不知火海に面する面積32平方キロ、人口6,000人足らずの万葉集にも歌われた、美しい自然が自慢の小さな過疎の町である。
 産業は、温暖な気候と丘陵地の傾斜を上手に利用して、昭和24年から甘夏みかんが栽培され、質量共に日本一を誇り、近年は新品種のデコポンにも力を入れている。また、不知火海の豊かな水産資源に恵まれ、タチウオ漁を中心にした水産業も行われている。
 工業は、地方の町村部としては大型工場といえる男子雇用型の、東海カーボン田浦工場が昭和11年から幾多の変遷を経ながら操業を続けている。
 しかし、当地方は長年にわたり水俣病問題に苦悩され、産業の振興はもちろんのこと住民へも重くのしかかり、この影響は図り知れないものであった。農業においても近年、農産物の輸入自由化、消費者嗜好変化等で柑橘類の価格低迷による農業不振と、水産資源の減少から漁業の経営形態の変換への必要を生じ、後継者不足が大きな問題となっている。
 また、輸出産業の東海カーボン田浦工場は円高の影響をもろに受け、大幅な合理化を余儀なくされた経過もあるなど、若者の町外流出に町の過疎化は加速度を増すばかりであった。


町と町民の膝付き対話からスタート

 田浦町を取り巻く状況は決して明るいとは言えない中、現実と将来に向けて、これから町がどうしたら「快適で住み良い夢のある町づくり」が出来るかを、町と町民が膝を付き合わせて語り合う場を設けた。昭和62年から始めた「町政座談会」は、区会を9地区に分け、町長はじめ町会議員と町職員は、9日間毎夜各地区を回り、多くの町民から要望や意見を聞いた。その中で最も多かった共通意見が、太田・杉迫線に20年前に植えられた桜並木の公園化の声であった。
 田浦町は自然景観に恵まれており、天草の島々と相対する不知火海のリアス式海岸一帯は県立公園に指定され、特産の甘夏みかんが黄金色に塾れる季節は一つの景観をなし、その展望は素晴らしい。だが、甘夏みかん以外に県内外への町の知名度は薄く、町民の発展的な声は、町の憩いの場建設として早速取り入れられ、まず駐車場やトイレ等の簡易な整備から始まった。この小さな公園づくりが、熊本県南最大のマリーンレジャー基地へと拡大することを「町政座談会」の段階では、誰しも想像しなかったことである。


夢をのせた御立岬公園開発

 最初の、花見の出来る小さな公園づくり計画は、御立岬(おたちみさき)公園開発整備事業として開始された。また、地域の活性化と福祉の向上のため、恵まれた海の自然(マリン)と特産の甘夏みかん(オレンジ)に風土・風俗・風景・風味と人を織り込んだ、地域住民総意に基づく「マリン・オレンジ開発構想」を作成し、御立岬公園の整備を主軸に水俣・芦北地区の広域的事業として同時にスタートした。
 数10億円の投資を必要とするこの大きな開発事業は、小さな町の財政では到底成し遂げられるものではないことから、国・熊本県とタイアップを図り、色々な補助事業等を利用して本格的な海岸保養基地整備が進められた。
 約80ヘクタールの用地確保は、町民の協力もあり岬のほとんどを町有地とし、自然環境の保全を第1に公園は整備された。テニスコート、ローンスキー、スーパースライダー、パターゴルフ、人工釣り場、遊歩道、ジャンボ滑り台、展望所、多目的芝広場、くだもの村のみかんの家、シンボルタワー、人工の大滝、マリンハウス(高級バンガロー)、電動カート、海水浴場(人工ビーチ)等が現在まで整備してある。
また、1千本の桜のほか、10万本のツツジやツワブキ、サザンカ等四季折々の花や木で、美しい不知火海の景色と一緒に訪れた人を楽しませてくれる。


公園整備の効果と新しい感覚

 御立岬公園は単なる遊園地ではない。施設のほとんどが自然を巧みに利用したスポーツレジャー感覚に考えてあり、ファミリーを中心に低料金で、自然と一体になって1日中遊べる所である。また、町民を公園事業に参加してもらうため、桜、椿の記念植樹やくだもの村の共同経営、人工釣り場の地元魚協への委託運営、売店や食堂は地元婦人会と商工会の経営、農協婦人部等は、甘夏みかんやタチウオ等の特産物とその加工品の製造及び販売を行い、お土産物開発に伴う地場産業の育成が図られ、新しい経済効果と雇用の拡大に公園整備の役割は大きいものとなった。
 この公園が出来るまでの田浦町における観光客数は、小さな海水浴場客だけの年間5千人程度であったが、公園整備後の平成7年度では、年間35万人が訪れ、さらに待望の温泉センターと海水浴場が、全面完成する平成9年度には、50万人以上が見込まれる。
 ソフト面でも、平成元年度から始めた「御立岬ジョギングの集い」は、たった4キロ・1コースのみの日本一短いマラソンに、町内外から1,600人もが参加する人気大会で、公民館が主催となり町内のあらゆる団体等が協力する、町を挙げての一大イベントととして定着してきた。その他、全国放送の人気テレビ番組の会場に使われる等、御立岬公園があったからこそ生まれた新しいイベントであると共に交流事業でもある。


これから望まれ目指すこと

 町民の小さな声から生まれた、御立岬公園整備事業は、町の歴史に確かな大きな足跡を残し、夢を持たせることが出来た。
 しかし、物的な波及だけでは望ましいまちづくりではない。都市生活者へ休養地的場所を提供しながら地域内外の交流を促進することと、「日本一の甘夏みかんと御立岬のある町」と町民が誇り、故郷の自然と人情のありがたさを再認識できる、心の豊かさを趣意として、「町民自ら考え自ら行うふるさとづくり」に、田浦町の活性化が見えてくる気がする。