「ふるさとづくり'97」掲載
<個人の部>ふるさとづくり賞 内閣官房長官賞

文化の町・御手洗いを観光地にリード
広島県豊町 長濱要悟
国の重伝建地区選定(町並み保存地区)

 私たちの広島県豊田郡豊町は、県の南端、瀬戸内海の中央部に浮かぶ大崎下島の中東部をしめる小さな島で、面積14平方キロ、人口3824人の過疎の町である。
 しかし、芸予諸島のほぼ中心に位置することから、島からのとりわけ近年整備されつつある「歴史の見える丘会園」からの眺望は素晴らしい。
 豊町の経済は、瀬戸内海特有の温暖小雨の気象条件と、急傾斜面、さらにミカンに適した土壌という土地条件を利用して、明治の半ばからミカンが栽培され、日本有数のミカン産地として、ミカン産業一色で発達し、他の産業、漁業や商工業の発達を見ないまま今日にいたっている。こうした、農業に偏った町であるため、昭和40年代以降、わが国の都市化の波に抗しきれずミカン農業の衰退が続いており、それがそのまま町全体の経済の衰退という図式になって現われている。
 豊町の中の御手洗(みたらい)地区は、かって天然の良港という地の利を生かし、北前船の寄港地として、瀬戸内海有数の港町として発達した。その当時の面影を色濃く残している港町として、平成6年7月に御手洗地区は、重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区という)「町並み保存地区」として国から選定された。


みかんの島で弓祭り

 長濱要悟さんは、昭和57年1月東京から妻と2人の幼い子どもとともに、御手洗にUターンして、代々続いている畳屋を継いだ。それから、かねがね御手洗地区は観光地として生かしうるし、そうする以外に御手洗が生き残る道はないと思う、観光地として再開発することは、すなわち「町づくり」そのものであると、提言し続けている。
 その観光地づくり、すなわち町づくりの理念は、平成6年3月に(財)日本離島センターが出された小冊子「島々からの提言・アイディア集」に掲載されているが、これは、「第2期島づくり人材養成大学受講生レポート」として提言されたものである。
 平成元年から、長濱さんの提案で始めた「みかんの島で弓祭・西日本弓道大会」は、昨年7回目を迎えたが、参加者は第1回に比べ3倍近くに膨らんできている。この弓道大会の開催に当たっては、島という特殊な環境下でどうやって参加者を確保するかが課題であり、そのため普通の弓道大会にはない、ユニークなアイディアをこらした大会を考えたのである。
 それは、本会場の近くにある、石組みの防波堤の沖合い約50メートルに小舟を浮かベ、その上に一辺1メートルの逆三角形の的を据えている。参加者はその的をねらいに失を射るが、的中すると約30センチの真鯛が与えられるというものである。参加者は、那須余市の気分が味わえるというものである。
 長濱さんは、この弓道大会を実現するために、1年がかりで地元の弓道クラブを初め関係各方面に、大会の主旨説明や資金の調達に定り回るという努力を続けられたのである。
 その結果、第1回の大会参加者は192人であったが、咋年の第7回大会は、ついに513人を数えるまでになり、支部単位で行う弓道大会としては全国一のものとなった。また、この大会のためにホームステイなどで協力する町民も200人を超えるまでになっている。そして、この大会を主催する「みかんの島で弓祭実行委員会(事務局長・長濱要悟さん)」は、昨年の広島県ふるさとづくり賞を受賞した。


重伝建を考える会」結成と観光ガイドなどへの取り組み

 平成6年3月御手洗地区が、重要伝統的建造物群保存地区に選定される内定があり、長濱さんは、ただちに町の有志に働きかけ「重伝建を考える会」を結成、事務局長として重伝建地区にふさわしい記念のイベントなどをどのように、どういうポリシーで考えればよいのかを次々に提案し、実行に移していった。
 その一つは、6年10月に芝祐靖(龍笛奏者)、石川高(笙奏者)、中村仁美(篳篥奏者)の3先生を招いて、雅楽コンサートを開催し186人の聴衆に感銘を与えた。
 つぎは、7年2月で黒田杏子先生の来島を得て「黒田杏子と楽しむ句会」を開催した。この句会には、東京から長崎までの各地から99人が参加された。
 そして、翌3月には「見せてほしいとっておきの島の表情」をテーマに写真コンテストを行ったところ38人が参加している。
 これらのイベントは、町に古くから伝わっている雅楽クラブ、俳句クラブ、写真クラブと共同で実行したものであり、いずれも地味なものながら、地元に現に生きている文化にスポットを与えることで「文化の町・御手洗」を際立たせようとしたものである。
 また、このようなイベントを実行する一方、北川義明さんという元高校教諭にお願いし、希望者6人とともに郷土史の勉強に励み、いわゆる侯文の読解力を身につけた。そして、重伝建を考える会は、町内会と共催し地元の歴史勉強会(7年3回、8年1回・各々に80〜90人が参加)や、町内美化活動(5回・各々に100人参加)も展開した。
 さらに、重伝建地区選定に伴い観光客が大幅に増加したため、長濱さんを中心にした7人による「ボランティア観光ガイド」は、対象となった観光客が通算で2、000人を越えるまでになっている。この「ボランティア観光ガイド」は、主として御手洗の史跡を説明するものであるが、時には要請に応じ、老人会や小学校にも行っており大変喜ばれている。
 長濱さんのこうした活動は、地元住民に「御手洗は本当に観光地として生き返るかもしれない」という意識を芽生えさせた。その意識は、御手洗が重伝建地区として整備されていくことへの積極的な取り組みに現われている。
 また、長濱さんは身障者や老人のために、町の公共施設や神社の入口のスローブ化、手摺りの取り付けなどを行政に働きかけている。