「ふるさとづくり'97」掲載
<個人の部>ふるさとづくり振興奨励賞

オアシス鳴門市を夢に見て
徳島県鳴門市 村元信江
 鳴門市は人口60,000人余、まもなく明石海峡大橋が全線開通し、近畿圏と陸続きになろうとしている。昭和59年中学校の教員を退職した村元信江さんは、中学生親子を対象に「寺子屋」を開設したり、自らを「掃除と花のおばさん」と宣言、花いっぱい運動普及拡大に向け「鳴門市ボランティア支援の会」を結成、市の花「ハマボウ」1万本運動や「バーベナテネラ」の育苗・花壇づくりなど12年間、花と緑のまちづくり活動を続けている。


地域は住民の教室と自ら実践

 地域は住民の教室と自ら実践地域は住民の教室と自ら実践教員退職後直ちに始めた「寺子屋」や地域課題への取り組みは、村元さんが現職時代生徒たちに生き方「公共心」を説いてきたので、それを自ら実践することにあった。寺子屋では中学生の生活や学習の相談に乗り、手伝ってくれる子も含め40人近い子や親がそれぞれの課題解決の手助けに奔走した2年間でした。61年から住民による地域づくりを働きかけるために「掃除のおばさん専門」を宣言し、市婦連機関紙を発行、全市的にまちづくりを呼びかける。
 63年には、個人で自宅近くの黒崎バイパス、斎田地区を中心に草取りを始め、バーベナの育苗に取り組みながら、翌年徳島県主催の女性問題リーダー養成講座受講の知人に呼びかけ地域づくりの勉強会を開き、2年に「鳴門市ボランティア支援の会」を発足させ、代表世話人として環境・福祉・文化部門で多彩な活動を開始する。それは、ボランティアのたより「月2回発行」、まちづくり演劇発表、文部省の生涯学習まちづくり事業に参加したり、中央公園の花壇づくりや地域のクリーン作戦などへの取り組みである。


市内全域の花いっぱいを目指して

 鳴門市花とみどりのフェアでは、支援の会メンバーなどの畑で育てたバーベナテネラの苗を千数百本提供し、花によるまちづくりを呼びかけた。そして、市中心部の市営球場緑地地帯・鳴門駅・汽車公園・中央公園入り口などでの花壇新設、整備に努めたのが平成3年、この頃から協力花壇・フラワーベルトが増え、全市的に花いっぱい運動が活発になり飛躍的に拡充していった。7年度全国花いっぱいコンクール内閣総理大臣賞を受賞した。
 また、市の花ハマボウの挿し木に着手、日常需要に備え「ハマボウ銀行」を設置、頭取役を担い10,000本運動を提唱する。さらに、ドイツ兵墓地のコスモス花壇や福祉施設周辺花壇の誕生である。こうした活動を、生活会議の理念である自主性・連携・民主的集団運営などまちづくり活動実践の原則を大事にしながら、裏方さんに徹し楽しく展開している。