「ふるさとづくり'98」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

高齢者とともに生きる
千葉県我孫子市 DIYヘルプ
「たかが素人大工」と言われながらも

 平成9年5月15日、私たち「DIYヘルプ」のことがNHKの『ほっとモーニング』で放映された朝のことでした。放映が終わった直後に、あるご婦人からこんな電話がかかってきました。「いまテレビを見ました。お年奇りを大切にしない時代に、お年奇りのためにボランティアをしている皆さんの姿を拝見して感激しました。《高齢者や障害者の方から依頼された仕事に明日は無い》というお考えには泣けてしまいました。85歳になる母を介護している私ですが、励まされました。またあすから頑張る元気が出てきました。ありがとう、感謝します」その声は、涙で途切れがちでした。
 2年半の間、お年寄りのお宅にお伺いして仕事をしてきた私には、85歳の母親を介護しているこのご婦人のご苦労と心情が、痛いほど感じられたものです。  私たちは、平成7年10月「高齢者や障害者の方の家庭内事故を防ぐことと、自立の促進を図る目的で、“簡易な住宅改善”のお手伝いをしようと出来た集団なのです。
 その基本の精神は、あくまでも「ボランタリズム」に立脚したもので、高齢者や障害者の方が気安く頼める、そして費用は安く(材料の実費だけ)して、高齢者の方がリフォームを容易に促進してもらうのが目的です。
 発足当初、周囲は「たかが素人大工に何が出来る」と冷めた目で見ていたものです。
 だが、日が経ち、その仕事ぶりが認識されるようになると、依頼される軒数は鰻登りに増え、2年半がたった今日までの実績は、
 ・依頼者軒数=210軒
 ・手すりをとり付けた数=830本
 ・段差解消のためのスロープ、すのこ、踏み段等の作成数=316件
 ・稼労人員の数=847人 と、当初の予測を遥かに上回ったのでした。
 こんな小さな町なのに、これほどの潜在ニ−ズの存在していた現実に、今さらながら驚くとともに、住宅改良の必要性を痛感したものです。


安全そして自立の歓び

 玄関から外に出るには、急な階段があって出られない、何回も転んで怪我をしたお年奇りが「私の死に場所は、ここの階段だと覚悟していますが、手すりでもつけてもらえれば」と相談がありました。手すりをつけた日、この人はつけたばかりの手すりにしっかりと捕まって「ああ、これで安心です。外にも出られます」と喜んだものでした。
 重いリュウマチが痛むご婦人が「せめて、お風呂やトイレにだけは人の手を借りずに行きたい、リハビリを兼ねて手すりを付けてもらいたい」との依頼で、風呂場に7本、廊下やトイレに5本の手すりをつけました。
 半年後この人から「ひとりで動けるようになりました」と連絡がありました。その声は明るく、弾んでいました。
 病院でリハビリを終えて帰宅した人が、帰宅をしてからは一歩も歩かなくなりました。その埋由は「病院と比べて、我が家は狭い。段差があるし、手すりが付いていないので、危なくて歩けない」というのです。
 さっそく、本人の希望を聞いて手すりをつけ、段差解消の工事をしたのです。
 数日後、散歩中だという元気なこの人に再会することが出来ました。外の空気をいっぱいに吸って一人で歩いていました。
 庭には、立派な盆栽が所狭しと並んでいました。ご主人の丹精の品だという。だがそのご主人は、いま、車椅子の生活になってしまいました。盆栽の手入れをしたくても40センチの段差が障壁になって、庭に降りることが出来ません。私たちは工事現場で使っているアルミ製の足場板を利用して長いスロープを造ってあげました。
 「これなら、一寸手伝ってもらえば庭に出られます」と、喜んでくれたその人の瞳は、希望に輝いていました。


1本の手すりが体と心を支える

 高齢者や障害者の方の安全と自立を願って、リフォームのお手伝いを始めてから、もう2年半が経ちました。お年寄りの方と語り、交わっていくうちに、お年寄りの心情がようやく分かるようになったものです。
 “人とのふれあいが欲しい”この心情は、すべてのお年寄りに共通しているもので、例え家族に囲まれ、一見幸福そうに見える人でも、例外ではないのです。私たちが仕事を終え、帰ろうとすると、「お婆ちゃん1人なんだから、話していきなよ」。「いま旨いお茶を入れるからゆっくりしていってください」等と引き留められることが多いのです。そして、もう家族にも聞いてもらえなくなったであろう、過ぎ去った古き良き時代の思い出話が出ます。戦争の時代、そして戦後の苦難の時代、希望と歓びの青春の時代等々、話は何時果てるともなく続きます。この人の勲章なのだろう、語っているその表情は生き生きとし、誇りに満ちていました。
 「こちらの方に仕事に来たら、ぜひ寄ってくださいね」と、何回も念を押しながら門口まで送ってくれる人に、今日の満ち足りたひとときを感じることが出来るのです。
 だが、聞き役というのも大変なもので、「もう疲れたから早く帰りたい」等と考えていると、すぐこちらの心を見抜いてしまいます。ただ耐えるだけだが、「福祉サービス」や「保健サービス」の質問、「身の上相談」までもちかけられると、下手な答弁が出来ないだけに、悩んでしまいます。


動きだした「ふれ愛」の行動

 我孫子市が開いている「社会教育ゼミナール」という講座で、福祉を学んでいるグループに、お年寄りの寂しい心情や、私たちの悩みを訴えたことがあります。
 「それなら、DIYヘルプの人と同行して、お年寄りとの“ふれあい”の役は、私たちが引き受けよう」と協力を約束してくれました。
 6月の初め、その日は強い雨が降っていました。いよいよ私たちとふれあいグループが行動する日です。1人暮らしのお年寄りのお宅に出かけて行きました。私たちが仕事をしている間、グループの人たちに、話し相手や、家事の手伝いをしてもらいましたが、私たちの仕事場にまで弾んだ話し声と、時折明るい笑い声が聞こえてきます。何時から絶えていたのであろう、暖かい家庭の雰囲気がこの家にも戻ってきました。  2時間半の仕事と“ふれあい”の時が過ぎました。「今度はお茶を飲む会をしましようよ!」と再会を約束して別れたが、送る人、送られる人の表情には美しい人間愛を見ることが出来ました。
 ある独居のお年寄りのお宅に網戸の修理にお伺いしたことがあります。小雨が降っている肌寒い日で、この人は蒲団に入っていました。「風邪を引いたのですか」と聞くと「ううん、頭の中がモヤモヤして起きていられないんで」といいます。「たまにはお友だちなんか遊びに来るの」と聞くと「いんや…」という返事でした。私たちの仕事が終わる頃、この人は起き出していたが「元気を出してよ。今度お友だちと一緒に来るからね」と一言うと、ニッコリ笑ってこっくりをしてくれました。この人が今日初めて見せた笑顔でした。
 そうだ、また“ふれあい”のグループに出番を頼もう。


人間共生の社会を

 平成8年の大晦日、あと何時間も残さなくなった頃、1人住まいのお年寄りから電話がかかってきました。「テレビが故障しているんです。電気屋さんに頼んであるんですが、来てもらえなくて」。さっそく直しに行きましたが「5日も前から故障しているんです。これで今夜は紅白が見られますよ」と喜んでくれました。
 テレビが唯一の楽しみのお年寄りが、5日間も音のない空間で、じっと我慢をしている姿を思い浮かべると、あまりにも無惨です。周囲の人はなぜ手を賃してあげなかったのでしようか。世の非情さをしみじみと感じた年の暮れでした。
 東京の下町で生まれ、「お互いさまよ」と気軽に手をさしのべ、助け合って生きている社会で育った私には、時折見せつけられる、こんな人情の簿い「町」の姿が無性に悲しく腹立たしく思うことがあります。
 よく、友人から「君はボランティアを受ける歳になって、何で今更ボランティアをするの」とやゆされることがあります。
 人間同士が「お互いさま」と言って優しく、助け合える社会が欲しいのです。たとえ、その力は小さくても、そんな日が来ることを信じて頑張っていきたい、これが私の《生きがい》なんです。こんな思いが、やっと小さな芽を出したふ“ふれあい”グループです。こんな愛情の芽が、大地に根を張り、大きく枝葉を繁らせる日を願っています。