「ふるさとづくり'98」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

“リサイクルの町”巻町をめざして
新潟県巻町 巻生活学校
県内初の古紙集団回収・年間200万円の町費の軽減

 巻町は、新潟市から日本海に沿って約30キロ南西に位置し、人口約3万の町です。
 巻生活学校は、昭和50年に誕生しました。51年からは古紙の回収、52年に空缶・金物回収に広げ、53年空瓶回収、61年にグリーンマーク集め、平成2年から高齢者福祉対応、その他生ごみのEM菌を便った肥料化、洗剤を使わない運動等に取り組んできました。ここでは、最も大きな事業であった古紙回収、空瓶回収、高齢者介護衣について記します。
 生活学校が誕生したものの、これと思うテーマが見つからず戸惑っていた時、メンバーの1人が「この頃、ちり紙交換が来なく、紙のやり場がなく、もったいないね」と、もらした一言から、“資源ごみを見直そう”ということになり、最初の事業「古紙回収活動」を始めました。
 業者と何度となく話し合いをもち、「集団回収なら引き受けてもよい」ということから、町、区長会、商工会、ライオンズクラブ等の協力を得て実施に踏み切りました。
 なにしろ県下で初めての仕事であり、お手本はないのです。第1回が、昭和51年12月7日でした。以後毎月7日を“古紙の日”と定め、今日まで21年間続けてきました。
 古紙の回収は、この21年間決して順調ではなく、その時その時の日本経済や世界の政治経済の動きの中で、激しく揺れ動きました。昭和54年には、私たちの売値で、キロ14円のものが、すぐゼロ円になる。業者も3回替わり、今度はだめかと覚悟していると、また引き受けてくれる業者が現れ、私たちは荒波を切り抜けることができました。
 しかし、今年(平成9年)は、古紙がだぶつき、にっちもさっちもいかなく、不安で一杯です。 古紙の回収及び次に述べるガラス瓶回収は、リサイクルの大切さを町民に示した“社会教育”でもありました。小学校3.4年の社会科の副読本に6ページにわたって、限られた資源を大切にする生活の重要さと、それに真剣に取り組む巻生活学校の活動のようすが記載されています。私たちは、それを誇りとし、喜びをもって活動してきました。
 私たちの活動は、一方では巻町のごみ焼却費を軽減させてきました。処理費はトン当たり18000円とのこと、咋年回収した量は120トン余、ざっと見積もっても200万円の町費削滅となる。これは21年間で膨大な額となります。
 今日、市町村によっては、行政が補助金を出して自治会や子供会に回収を依頼しているところが多いようです。私たちは、もともと“資源を大切に”というところから出発した運動です。会の運営が苦しい時でも、町から1円の補助金を受けたこともありません。またもらうつもりもありません。今、古紙がだぶつき、値段が下がったから、お金をだして集めさせるというのは、おかしいことだと思っています。今、必要なことは、再生紙をもっと使うことです。県も町も率先してその具体策を示して欲しい。今私たちは“再生紙使用運動”を推進しています。これから町全体で取り組むよう働きかけたい。“再生紙を使う町、リサイクルの町、巻町を目指して”。


県内初の空瓶回収・ごみの中の大量な空瓶

 昭和53年、巻町にごみ収集の現状と問題点の説明を求めたところ、町が毎月2回回収する不燃物ごみのうち空瓶(小売り店が引き取らない洋酒、乳酸飲料、調味料、化粧品等の瓶)の量が占める割合は、4〜5割。これらが他の不燃物といっしよに埋められ、巻町他3町村の合計量は年5000トン。埋立地は毎年4000平方メートルの用地が必要となり、穴の掘削費だけで年間800万日を要するとのことでした。
 一方、地域住民を対象に「空瓶に対する意識調査」を実施。同時に、メーカーにも質問状を送りました。住民の回収再利用を希望するビンは乳酸飲料とウィスキーのビンに集中。乳酸飲料のK社とウィスキーのS社からは誠意ある回答を得ました。
 回収ルートに乗っていない空瓶の回収利用を目指して対話集会を開きました。巻町助役、近隣3町村の衛生組合局長、全国びん商連合会、乳酸飲料K社、ウィスキーS社が出席。雑びんの回収を求めたのに対し、「予算が伴うので今後検討」、業者は「量的にメリットがなければ無理」と回答しました。その後近隣4町村の婦人会長に集まってもらい、運動の趣旨を説明して協力体制を整えました。4町村長にアンケートを送り、その方針を聞きました。こうして4年の歳月をかけ、巻町で試行的に実施しました。
 (1)1回最低2トン以上の量を集める、
 (2)住民がビンをだし行政が収集、
 (3)近隣町村に呼びかける、という条件で始まったのです。
 こうして、月1回、98か所に設けられたステーションに各戸からビンが集められる。集める容器は業者が提供し、婦人会に配布しました。業者と町役場の車で収集します。住民・行政・業者3者が一体となった“巻方式”が誕生しました。これが5年後、県内20市町村に広がり、ガラスリサイクルの会社も誕生しました。


高齢者対応介護衣の取り組み

 私たちの町・巻町は、高齢化が急速に進んでいます。この問題に本腰で取り組まねばなりません。私たちは危機感にも似たものを感じ、高齢者問題に取り組みました。平成2年、新潟県高齢者福祉センターを見学し、在宅福祉の学習からはじめたのです。
 私たちの願いが通じ、町にディサービスセンターができ、介護支援センターも設置されました。私たちは、今、これらの施設にボランティアとしてかかわり、高齢者の生活実態や町のケア体制を知る努力をしています。最近始めた事業の一つを紹介したいと思います。
 昨年介護支援センターから、寝たきり老人や病気の後遺症で、手足の不自由な人のための病衣や介護服を縫って欲しいとの依頼がありました。生活学校では、さっそくボランティアを募り、取り組みました。まず、先進地や新潟市の実践グループの活動を見学し、自分たちの手でもできそうだ、ということになりました。その時、ハタと困ったのがミシン。ミシンを町にお願いしましたが、駄目だったので、自分たちで調達しようということになりました。窮余の一策として、考えついたのが、“大型ごみの中から拾ったら”という案でした。
 私たちは、過去18年、町の大型ごみの監視を続けてきた会員だけに、たちまち使えそうなミシン4〜5台を見つけ、支援センターに持ち込み、修理をし、作業を始めました。
 以前洋服店で、仕立て作業の経験のあるメンバーが中心になり、試行錯誤を繰り返しながら、手足の不自由な人が着脱できるよう、ファスナーの取り付けに工夫した苦心作ができあがりました。
 この活動を通して、メンバーそれぞれの持ち味や特技を生かすことのすばらしさを身をもって感じました。1人ではだめ。1人ひとりの仲間のよさを生かすことの喜びをこんなに痛感したことはありませんでした。これがボランティアの本質とみんなで語り合っています。
 23年間の生活学校を振り返る時、メンバーの互いの顔のしわは深くなりましたが、精神はむしろ“はつらつ”とし、この運動をつづけてきてよかったという充実感でいっぱいです。これは私ひとりでなく、メンバー全体の気持ちです。ただ、この運動は決してあせらず、決してあきらめないで、1歩ずつ歩み続けることだと思っています。そして、その中に必ず小さな“楽しみ”を入れることを忘 れないで。
 ごみに取り組んで23年、私たちのめざす“リサイクルの町、巻町”はまだまだ先ですが、私たちは止まることなく、歩みを続けたい。これからもずっと。