「ふるさとづくり'98」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

美感優創 うだつのまちづくり
徳島県 脇町
はじめに

 脇町の歴史的町並みが文献に登場するのは、昭和50年代始めである。
 昭和61年に「伝統的建造物群保存対策調査報告書」を策定し、町並み保存の基本的な考え方や具体的な保存の方針などをまとめ町づくりを始めた。
 これは、地域に根ざした歴史や文化、また、風士や産業を歴史的環境保全と合わせて地域の過疎化や町の活性化対策として取り入れたのが、うだつの町並み保存である。
 そして、官民一体となった取り組みは、町並み保存条例の制定や保存地区の決定などに有効に働き、昭和63年12月16日、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。


脇町の心

 脇町は、徳島市から吉野川をさかのぼること約40キロ。吉野川北岸を東西に走る撫養街道と讃岐街道の交差する要衝の地にあり、中世後期に城下町が形成された。江戸時代には、藩の通商振興策と相まって、吉野川中流域での藍の集散地として藍商や呉服商などの富豪が軒を連ねた在郷の商家町として発達し現在の脇町の基が成立している。
 その中心となった南町は、通りに面して主屋、背後に土蔵などの付属屋が立ち並んでいる。主屋の大半が江戸時代以来の伝統的形成で間口が4間半以上の大規模なものとなっている。また、本屋、下屋とも本瓦葺き屋根で分厚い塗寵漆喰壁には虫寵窓やうだつなどの建築意匠が残り重厚である。最も古いのは、宝永4年のものであり、18世紀初頭以降の各時期の民家遺構が多く残り、近世在郷町の町屋の変遷を知る上で貴重である。
 また、年中行事で「お日待講」や「農具市」「秋祭り」などが受け継がれている。中でも「三味線餅つき」は、町指定文化財である。
 私たちは、こうして先人たちがはぐくんできた地域個有の歴史や文化を町の歴史的な財産として受け継ぎ、後世に伝え守っていかなければならない。
 町民自らがそれを知り、守り、育てていくことが町づくりの大きな礎となる。大切なことは、人や町を、そして文化を愛する心を持つことである。


町並み保存運動とまちづくり

 昭和30年代にすでに壊れてゆく日本の心を危慎する学者がいたと聞いている。つまり、歴史的環境の破壊が進み、日本の伝統や文化が崩壊することを危ぶんだのである。
 昭和40年代になると、住民参加型、主体型町づくり、集落、町並み保存は、全国的な気運となり、長野県の妻籠や愛知県の有松などで先駆的に取り組まれた。
 一方、四国では、愛媛県内子町や香川県丸亀市が早く手本となった。
 脇町での具体的な動きは、昭和59年の「脇町の文化をすすめる会」発足以来である。
 同会では、シンポジウムや研修会の開催、また、機関誌等の発行、先進地視察、町並み調査等を行い、地域文化活動の推進母体としてその機運を高めていった。こうした住民運動は、行政との協調、協力関係を図りながら地域住宅計画や総合振興計画に反映され、歴史的町並み保存と再生、その活用を町の主要プロジェクトとして位置づけた。
 そうした動きは、各種団体や組織の刺激となり、商工会青年部では、昭和60年、「喝・活かせこの町・この力」をキャッチフレーズに、歴史的町並みでのイベント「うだつの城下まつり」を始めた。それは、町並みの再発見となり、昭和61年に「南町町並み保存会」の結成へつながった。
 各種団体で築いた手作りの「うだつの城下まつり」は、毎年趣向を凝らした企画をし、回数を追うごとに観客が増え好評を得ている。とりわけ11回、12回の町並みライトアップ作戦はプロを巻き込み、映画照明数100個による夜の江戸の町を演出、復活させた。人びとは、黒光りの瓦や純白の壁に、江戸時代にタイムスリップした感覚に接し、感動と感嘆の声を上げた。また、観客から「うだつの上がる江戸の町」の復活をめざそうとする気迫が伝わってきた。その後、商工会青年部、南町町並み保存会が中心になり、毎月1回「復活江戸の町へ」として熱心な研究等を重ねている。
 全町民を主役にしたこうした活動の積み重ねにより、「手作り郷土賞」や「日本の道百選」「潤いのある町づくり」「都市景観大賞」などにも選ばれ、顕彰された。


町並み再生を核とするまちづくり

 町並み保存の先駆的取り組みとして、町立図書館、脇町中学校などの公共施設や県西部屈指のショッピングセンターなどがある。本瓦葺きに白壁仕上げといった町屋風や土蔵風の建物にうだつ等の意匠が用いられ、伝統的様式が脇町の地域デザインになり、全国的にPRすることができ、施設等の見学者が増えた。
 脇町の町並み保存は、保存地区のみならず脇町全域において脇町の持つ自然や歴史的背景を生かしながら、脇町らしい歴史的風致と景観を守り、育て、造ることによって質の高い文化を継承し、しかも、現代生活に対応しうる個性豊かな町づくりを行うことと位置づけた。
 紆余曲折の推進期間から始まった保存修理事業は、家族構成や今後の利用計画の違いから伝統的建造物としての価値保存や住環境の改善策、また町の活性化対策等をめぐって錯綜し、葛藤の日夜が続いた。しかし、今では住民と行政が一体となった取り組みによって26棟の修理、修景事業が進み、次第に歴史的景観を取り戻している。また、花いっぱい運動に始まった住民運動は、伝統的町屋の公開や藍染め体験休憩施設の設置、電線類の地中化までも現実のものとした。
 最近では、民芸店の出店やボランティアガイドも組織され、地場産業の開発とともに、人びとの暖かい心の温もりも、有形無形の土産物となっている。また、町並みを保存活性化する中から、新しい文化の息吹きが感じられ、今後の町づくりに対する活力がみなぎっている。


「虹をつかむ男」をきっかけに新たな飛躍へ

 お正月映画として全国を賑わしたのが、「男はつらいよ」に代わる松竹映画「虹をつかむ男」である。
 この映画では、脇町劇場(オデオン座)や町並みを主舞台に徳島の文化や自然、そして素朴な人情まで映し出されている。山田洋次監督と脇町の出会いは五年前になるが、歴史的風情や温もりに感動され、興味を抱いたようだった。ロケ地として選ばれたのは、そうした歴史的環境を守り育ててきた町民の熱い町づくりであったのではないだろうか。1か月以上にわたった映画ロケも1000人以上のボランティアスタッフにより支えられた。
 その活動は、山田監督に「まるで撮影所で撮っているようだった」という言葉で表現されている。
 ロケで醸成された町への誇りや愛着は、住民の今後の町づくりへの計り知れない自信につながり、「土曜名画会」などのボランティアグループによる地域づくりに関したさまざまな活動が大いに楽しみとなっている。


これからの脇町

 平成10年春の明石海峡大橋の完成による阪神〜鳴門ルートの全線開通を、県民挙げて祝うとともに、脇町では「美しく・感性高く・優しさと・創造豊かな・うだつのまちづくり」を基本理念として、京阪神と2時間圏域となる交通立地条件を生かした「観光・リゾートタウン脇町」を将来像とする10か年の総合計画をスタートさせた。その一環として、町の玄関である脇町インター周辺や主要国道沿線を四季の花で美しくしようと町民から声が上がり、脇町花いっぱい運動推進協議会が結成され、第1回一斉清掃等が行われ、活気に満ちている。来年の春には、美しい花で脇町はイメージアップされるだろう。また、恵まれた自然環境やうだつの町並み、脇町劇場などの歴史的資源を活用した交流の場づくりや農山村の生活環境を大都市住民に提供し、ともにふるさとの復活を目指すグリーンツーリズム計画の実現を目指している。
 現代社会に対応した町づくりは、唐突な手段や方法でできるものではない。柔軟な発想とたゆまない継続の力である。地域づくりの主役はそこに生活する住民であることを再認識し、新しいコミユニテイ活動という幅広い理念のもとに、地域住民と行政が一体となって歴史的町並みをさらに活かして、今楽しい物語づくり、町づくりへと展開しようとしている。