「ふるさとづくり'98」掲載
<個人の部>ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

徳島発、世界に広がる点字絵本
徳島県北島町 寒川孝久
 K子さんの見えない目から、涙が溢れた。M君は涙をこらえて、くちびるをかみしめている。私が点訳した映画『うしろの正面だあれ』をみて、この子たちはこんなに感動している。全盲の彼らにとって、映画をみるのは初めての体験である。東京大空襲で両親を失った主人公のかよ子が、自分の家の焼け跡を訪れて、お父さんの湯呑を発見し、それを抱きしめて泣き崩れるラストシーンである。涙をうかべて感動している2人の姿を見て、私は胸があつくなった。


子ども向きの点訳が少ない

 私は昭和60年に小学校を退職すると、板野町社会福祉協議会事務局長を委嘱された。ここで5年間勤務する間に、社会福祉の重要性を痛感した。私たち高齢者は福祉施策の受給者であるが、元気な間にボランティア活動等を通じて地域福祉の提供者になりたいと考えた。そこで、社協を退職した平成3年に、徳島県点訳奉仕員養成講習会を受講した。
 点訳を始めてみて、子どもの点訳本が少ないことに気がついた。それで、私は童話の点訳を始めた。点字は、自宅のパソコンで打ち、盲学校の点字プリンターで印刷した。イソップ物語を点訳して、5年生の児童に見てもらった。彼の指がすらすらと点字をたどって、声に出して読んでくれるのを見て、「私の点字を読んでもらえた」という喜びでいっぱいになった。けれども、『ライオンとねずみ』のお話のところで、「ぽく、ライオンってどんな形か知らん」とつぶやいた。私は、ショックだった。小学校5年生の晴眼者で、ライオンを知らない子はいない。動物園で見たか、絵本やテレビで見ている。けれども、盲人には、動物園の動物も絵本もテレビも見えないのである。私は、そのことに気がついていなかった。ライオンやねずみがどんな形か知らないでこの話を読んでも、その意味を理解出来ない。盲学校の先生に聞くと、絵のついた点字の童話は、ほとんどないとのことである。絵本が子どもの人間形成に与える影響は大きいものがある。子どもは、絵本から無意識のうちに人間の温かさややさしさを学ぶ。私は、何とかして絵のついた童話を点訳しようと考えた。


点字の絵を描く道具を作る

 点字の文字は、点字板や点字タイプライターを使って打つ。パソコンで点字を打つソフトも開発された。しかし、どちらも絵を描くことは出来ない。形を示そうとすると、糸をのりで紙に貼り付けたり、紙や布を動物などの形に切って貼り付けたりする制作に時間がかかり実用的ではない。私は試行錯誤の末、アクリル樹脂などを使って点字図形作成器を作った。これは、誰でも簡単に点字の図形が描けるもので、これを使って、『かぐやひめ』『桃太郎』などの童話に揮絵をつけて、つぎつぎに点訳して盲学校へ持って行った。子どもたちは大喜びで、繰り返し読んでくれた。
 『ねずみのよめいり』を読んだ盲学校の児童から、次のような手紙をいただいた。
 「『ねずみのよめいり』を読みました。絵がついていて、面白かったです。ねずみが、とてもよくわかりました。もっと絵のついた絵本を読みたいです。楽しみにしています。(原文点字)」
 この点字図形作成器は平成5年度徳島県発明工夫展で県知事賞を受賞した。


パソコンで点字絵本の作成

 私の作った点字絵本を見た徳島県立盲学校の藤野稔寛先生は、パソコンで点字の絵を描くソフトを作ろうと考えた。私の方法であると、文字はパソコンで入力するので、一度入力すると何部でも印刷できるが、絵は点字図形作成器で打つと1回打って1部しか作れない。絵もパソコンで入力できると、点字絵本が大量印刷出来るようになる。藤野先生は、パソコンで点字の絵を描くソフト『エ−デル』を作成した。日本で初めての画期的なソフトである。藤野先生は、その後も『エ−デル』の改善を続けている。
 私は、これを便って『桃太郎』『かちかち山』など10数編の童話を点訳した。点字の絵を描くのは全く新しい試みであるので、暗中模索の連続であった。1冊作っては盲学校へ持って行き、児童に見てもらって意見を間いた。そのたびに、「お日さまは、円を全部描いてほしい」とか、「壁の穴は、点字で<あな>と書いてほしい」など、私にとっては貴重な意見を聞くことができた。「お日さまが笑っているのがわかりました」とか、「しっぼの形から、ねずみとわかりました」などと言われて、ほっとしたり、なるほどと思ったりした。
 「出来るだけ単純な形でないと、理解しにくい」「顔は正面向きでないと、わかりにくい」など、児童からたくさんのことを学んだ。そのうち、児童も「顔は正面向きでなくても、わかるようになった」というように、児童の触読能力の向上も見られた。
 『エ−デル』は、大・中・小3種類の点が便える。これは、点で絵を描くうえで、非常に重宝である。また、直線・長方形・円・だ円などが自由に描け、複写・移動・消去などの機能があるので、絵や図形を描くのに大変便利である。


『点字絵本の会』の結成

 絵のついた点訳という新しい分野が開拓できたので、このことを多くの点訳者に知ってもらうために、平成6年7月、徳島県立21世紀館で2日間の「点字絵本作成講座」を開かせていただいた。参加者は19名で、熱心に受講してくださった。その受講者が中心になって、『点字絵本の会』が結成された。このことがNHKのテレビで放送されたので、県内はもとより、県外からも参加者が現れた。このようにして、点字絵本の制作の輪が徳島から県外にまで広がっていった。また、点訳の内容も日本の童話から、『すずの兵隊』など外国の童話や『トムソーヤの冒険』など児童文学の分野にも広がっていった。


全国の盲学校へ寄贈

 点字の文字も絵もパソコンで入力すると、同じものを何部でも印刷することができる。そこで、試みに『ねずみのよめいり』を70部印刷して、全国の盲学校70校へ寄贈した。すると、盲学校の先生たちから、「子どもたちが大変喜んでいる」「絵からイメージがふくらんで、話題も豊富になった」「ほかの絵本も是非送って欲しい」という手紙が殺到した。この切実な希望に、何とかして応えなければいけない。私は、ロータリークラブの友人に相談した結果、点字用紙代10万円を援助してくれることになった。私は、毎日のように盲学校へ通って点字プリンターを借りて、次つぎと点字絵本を印刷して全国の盲学校へ寄贈した。
 さいわい、点字印刷物は郵送料が無料になる。これは、私にとって涙が出るほどありがたい制度である。
 もうひとつ、頭の痛い問題があった。盲学校の点字プリンターは、盲学校の先生が使うときは待たなければならない。また、私の家から盲学校まで、朝夕のラッシュ時には車で1時間かかる。そのため、印刷が思うようにはかどらないことである。点字プリンターが、手近に欲しい。けれども、購入には108万円必要だ。私は、日本船舶振興会に援助を申請した。これが承認されて、100万円交付された。これで思いきり点字絵本を制作することができるようになった。その後、徳島新聞社などから助成金が交付され、点字プリンターは連日フル運転することになった。


新しい分野の開拓

 さらに、漫画『ちびまる子ちやん』に挑戦した。続いて、視覚障害者の方にも映画を楽しんでもらおうと、梅老名香葉子原作『うしろの正面だあれ』の映画の画面を、120カツトの点字の絵にした。レンタルビデオで音声を聴きながら、指で画面を見るというものである。日本で初めて、映画の点訳が誕生した。冒頭に書いたのは、これを視聴したときのようすである。
 これに続いて、『宇宙』全2巻を点訳した。
 生徒から、次のような手紙がきた。
 「宇宙の図鑑を、ありがとうございました。とてもわかりやすく、宇宙に興味をもってきました。地球のまわりには沢山の星があるなんて、びっくりしました。もっと、こういう本を作って下さい。(原文点字)」
 また、中学生のために『眠りの森の美女』など英語の物語を点訳したので、アメリカの盲学校へも送った。すると、「アメリカには、まだ揮絵のついた点字の本はない。ぜひ他の本も送って欲しい」という返事がインターネットを通じてアメリカの盲学校14校から寄せられた。送った本を読んでいる子どもの写真や、「この本に絵を付けて点訳して欲しい」と、本も10数冊送ってきた。こうして点字によるアメリカの盲学校との交流が始まった。ニュージーランドの盲学校とも、交流が始まった。これまでに約300冊を海外の盲学校へ送った。今後、他の英語圏の盲学校へも送りたいと考えている。
 また、国内の盲学校へ贈った点字絵本は、2000冊を超えた。


地域の視覚障害者のために

 私は、地域の視覚障害者のために北島町の点字地図を作って配布した。障害者の方から、「チューリップ公園の話など、ニュースを聴いてもどこにあるか想像できて、楽しさが増した」という感想をいただいた。地図は好評であったので、他の市町村の地図も作成した。また、阪神大震災の時は、鉄道復旧の状況を点字地図にして、被災地の盲人にお贈りした。徳島で生まれた点字絵本は、全国や世界に羽ばたいて、視覚障害者から喜ばれている。いま、私は盲学校の生徒にも全国読書感想文コンクールに参加してもらおうと、課題図書の点訳に取り組んでいる。