「ふるさとづくり'98」掲載
<個人の部>ふるさとづくり賞 内閣官房長官賞

小さなふるさとづくりから国際交流まで
滋賀県高月町 平井茂彦
 琵琶潤の北東部のほとりにある高月町雨森区は、25戸、520人の小さな農村集落です。ここで昭和56年から「ふるさとづくり」が始まりました。平井さんはこのとき、それまで新しいふるさとづくりがなかった雨森区の役員となり、以後今日まで16年間、小さな集落のふるさとづくりが全国に知られるまでに推進しながら、滋賀県の草の根まちづくりのアドバイスや、西日本のふるさとづくりの啓蒙普及、そして地区の生んだ江戸時代の国際人雨森芳洲の顕彰活動を通して韓国との民際外交など、幅広い活動を進めてきました。


ふるさとの仲間とともに

 このうち、雨森区の活動については、昭和56年に区役員として参加して以来、昭和59年に区長、平成7年から発足したまちづくり委員長として、積極的に活動を推進してきました。当時は、この活動を推進する若者のグループがなかったことから「雨森野球部」を結成し、昔の青年団活動のような「趣味はまちづくり」という著者の気楽な仲間の中心となつてきました。


ふるさとだより600号発行

 雨森区には、昭和37年に創刊された「区報あめのもり」が身近なふるさとづくり広報紙として発刊されています。
 しばらく休刊していた広報紙を、昭和56年、第60号から復刊させ、現在の670号まで600回を超える発行を編集長として、自ら手書きのぬくもりで続けてきました。
 創刊当時は月2回でしたが、ここ5年ほどは毎週発行して、ホットなニュースや楽しい話題を提供し、ふるさとづくりへ区民の心をまとめるのに大きな役割を果してきました。通算670号は全国の自治会紙として最多の発行と思われます。この経験をもとに、各地の自治会紙づくりへのアドバイスや交流会なども開いています。


ふるさとの先人を讃える「東アジア交流ハウス」の建設

 雨森区は、江戸時代に、当時の朝鮮との外交に活躍した雨森芳洲のふるさととして知られるようになりました。
 昭和56年当時は、滋賀県内でもほとんど知られていなかった郷土の先人の顕彰活動に取り組み、町や県に顕彰記念館の建設をお願いし、区長だった昭和59年に町の事業として「東アジア交流ハウス雨森芳洲庵」として建設されました。
 町内事情もあって、雨森区で事業費の地元負担金(1戸あたり約70000円)の協力にも努め、この建物を中心としたふるさとづくりを進めることになりました。
 ここを拠点に韓国を中心とした東アジアとの交流の推進も図ってきました。


ふるさと雨森の風景を守り育てる協定

 雨森芳洲庵は、槻の木立の中の美しい木造書院風の建物です。この建物と調和する美しい農村づくりのために全国でも珍しい「村の風景憲章」を制定し、景観づくりにもリーダーとして係わってきました。
 昭和60年には、滋賀県の「風景条例」の中に組み込まれている地域住民の景観協定「ふるさと雨森の風景を守り育てる協定」を全戸が締結し、滋賀県第1号の協定づくりを進め、今日まで雨森の村づくりを推進しています。
 この協定の策定については、農村らしい停まいを守りケバケバしい色彩の建物は建てない、日本瓦の勾配のある建物にしましよう、生け垣を増やしましよう等というもので、この協定を締結しておいたことから現在の雨森の美しい景観が保全されてきたものといえます。


鯉と水車と花のふるさと

 芳洲庵が建ち、景観づくりが始まり、区民がふるさとを再発見することになりました。
 国際交流や景観、環境を先取りした先見性が、ふるさとづくりの先進的な活動となり、全国的に注目されはじめることになりました。
 水と緑のふるさとづくりをめざし、集落を流れる川に鯉の放流や水車の設置、花飾りについても、ユニークなアイデアを生かして鯉と水車と花のふるさとづくりを進めてきました。
 新しい試みでしたが住民の人びとに受け入れられ、村中を鯉が泳ぐようになり、手作り水車が何台も置かれ自主的に区民が作った花ばなが川のそばに飾られるふるさとが出来てきました。
 花づくりをそれまで行ってきたことから率先して自らの計画を実行してきました。
 そして、区民の自主性を引き出していったのでした。


ふるさとの民際外交

 雨森芳洲庵が建設されてからは、芳洲を訪ねて雨森を訪れる人が増え、韓国等外国人が小さな農村へたくさんやってくることになりました。
 芳洲を身近な存在にするため「芳洲かるた」「芳洲凧」「芳洲すごろく」「芳洲トランプ」「芳洲和歌かるた」「芳洲マラソン」などのアイデアグッズを次つぎと生み出しました。
 そして、韓国からの青少年と雨森区、高月町民との国際交流を繰り広げてきました。
 今日では、全国的に市町村では国際交流が盛んになってきましたが、もう15年も前から、小さな農村の民際外交を始めたのでした。
 これまで1300人をこえる韓国の中学生や高校生が、集落あげての歓迎に大きな感動と友情を覚えて交流を広げています。今年の3月には団長として、ホームステイで友好を深めてきました。
 今年の7月にはまた同中学校の生徒40人を、隣り近所誘い合ってホームステイで迎える準備を終えています。
 芳洲の心を現代に生かす思想で青少年交流に尽力しています。


ふるさとづくりの心を求めて

 テレビや新聞、雑誌で紹介されることが多くなった雨森には、いわゆる「まちづくり観光客」といわれる視察団が多く、最盛期には年間30000人もの人が訪れ、いまでも研修のため全国からたくさんの人でにぎわっています。
 多いときには1日8団体もの人びとが観光バスで町の見学に来ていますが、そんな人びとにふるさとづくりについてのアドバイスを行っています。
 また、西日本を中心とした市町などの主催するふるさとづくりの啓発を精力的にこなしています。
 編集している区報あめのもりの自作のコラムを集めた「ふるさとづくりの心をもとめて」を第1集から第5集までを出版し、ふるさとのぬくもりを全国の活動家につたえています。
 今年の春には、雨森に住んでいる人や訪れた人の含蓄のある言葉600を集めて「まちづくり名語録」を発行し、ふるさとづくりのヒントとして活用されています。


ふるさとづくりで震災復興のお手伝い

 これまで長年ふるさとづくりを進めてきたこと、全国のふるさとづくりネットワークも幅広いことから、活発な交流を行っています。
 滋賀県内の交流では、雨森区で「景観づくり草の根の集い」や「鯉の里ラブラブシンポジウム」、「鯉と水車の里サミット」などを開催して、外との交流をすすめてきました。
 また、震災地の兵庫県西宮市の復興のシンボルのりんご並木づくりでは、りんごの産地から苗木を集め、震災で亡くなった1134人の数のりんご並木づくりのお手伝いを進めてきました。
 震災の子らを招いて「田植え交流会」や「稲刈り交流会」を行って、都市と農村の交流を図って大きな成果を納めてきました。


ふるさとづくりに高い評価

 リーダーの1人として活動を進めてきた雨森区のふるさとづくりは、これまで数々の表彰を受けてきました。
 これらの受賞の影には、仲間とともに進めてきたふるさとづくりの活動がありました。
 昭和58年 滋賀県「わがまちを美しく」コンクール金賞
 昭和59年「東アジア交流ハウス雨森芳洲庵」県、町とともに建設風景憲章制定
 昭和60年 潮国百景「雨森の家並」入選風景条例「近隣景観形成協定」締結県第1号認定
 昭和61年国土庁第1回「農村アメニティコンクール」優秀賞
       建設省第1回「手づくり郷土賞」
 昭和62年あしたの日本を創る協会第1回「ふるさとづくり賞」奨励賞
 全国花いっぱい協会「第24回全国花いっぱいコンクール」最優秀賞
 京都新聞社「広報紙コンクール」最優秀賞
 滋賀県「麗しの滋賀建築賞」雨森芳洲庵
 平成2年滋賀県国際親善友好協会「フレンドシップ賞」
 滋賀県「景観功労賞」
 国際花と緑の博覧会「まちの花博コンクール」花博大賞
 京都新聞社第1回「市民国際交流賞」
 平成3年農水省・建設省提唱第1回「花のまちづくりコンクール」最優秀賞
 平成4年 リバーフロント「人と自然にやさしい川づくり大賞」
 平成5年内閣総理大臣「緑化推進功労賞」
    こどもの善行をたたえる会「草の根こども善行賞」
 平成7年建設省「手づくり郷土賞」10周年記念近畿最優秀


ふるさとづくりこれからも

 これまでの活動を次の世代に引き継ぐため、現在は「僕らにできるまちづくり」をテーマにして青少年をまとめてまちづくりを展開しています。
 中学生が中心になって計画を立て、日韓交流なども行われるようになってきました。
 21世紀の雨森のまちづくり総合計画書「雨森21ビジョン」も平井さんが中心になってまちづくり委員会でまとめられ、ふるさとづくり第2ラウンドが始まっています。その中心になって計画の実現に努めているところです。
 雨森区での各方面にわたる活動の他にも、町の職員として住民とともにふるさとづくりを進めてきました。
 現在は町の建設課長ですが、この中では道路や川づくりについては、「ふるさとの道づくり懇話会」や「春の小川づくり懇話会」などを設置して、住民の声をふるさとづくりに生かしてきました。
 また、これらの計画に基づいて整備された道の花と緑の管理などについては、「花子さんと道夫さん」のグループや松並木を管理する「松並さん」のグループなどとともにさまざまな工夫をこらしてふるさとの道づくりを進めたことから、建設省「手づくり郷土賞」や「人間道路会議賞」を受けています。
 高時川沿いの住民とともに、親しまれる川づくりを進め、建設省ラブリバー事業の認定を受けました。この事業では地域住民とともに「こいのぼりマラソン」を計画し、新しい川風を吹かせています。
 農業・農村づくりについても、琵琶潮の水質浄化のため「水色いちばん滋賀です。中でも一番高月です」をキャッチフレーズにして、農業排水水質浄化事業を推進しています。
 これらの新しい発想のふるさとづくりの実績により、国士庁農村アメニティアドバイザーや滋賀県創意と工夫の郷づくりアドバイザーなどを務めています。