「ふるさとづくり'99」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり賞 内閣官房長官賞

近江商人の発祥地・てんびんの里のまちづくり
滋賀県 五個荘町
 五個荘町は、滋賀県の琵琶湖の東部、近江盆地湖東平野の中央に位置し、北は和田山、西に繖山、南に箕作山、東に愛知川と三方が山、一方が川に囲まれた、「安住の地」として早くから開かれた地である。
 この4キロメートル四方、面積16.28平方キロメートルという小さな町から、江戸時代てんびん棒一本で全国に行商に出向き、大きな財をなし、故郷に錦を飾った近江商人の一派、五個荘商人が発生した。五個荘商人は成功し大商人となっても、田を耕し農業を捨てずに、先祖を大切に自給自足を基本に、質素倹約を旨として故郷の発展に尽くした。また、商売のみでなく文化面でも独自の文化を育み、町内の各地には商家の旧い町並みが多く残されている。
 そこで町では先人「五個荘商人」の進取の気性や三方よしの精神、合理的なものの見方や考え方、伝統文化などを学び、新しい淡海文化の創造と「歴史と文化のまち てんびんの里」ふるさとづくりを推進するものである。


ふるさとまるごと博物館を構想

 まず町では「五個荘商人」をキーワードにそっくり地域全体をまるごと博物館と考える「ふるさとまるごと博物館」を構想し、エコミュージアム(生活・環境博物館)の理念を基調とした地域博物館を整備した。博物館といえば、大変人気の高い江戸東京博物館、京都文化博物館、琵琶湖博物館など、立派な施設の中に、資料を並べ映像や模型を造り公開する施設を思い浮べる。しかし、このエコミュージアムとは地域の自然や文化、歴史遺産を通じて、地域を理解し発展させることにあるとし、建物中心の従来型の博物館とは異なり、地域や町全体を展示室として、自然遺物や文化遺産を現地において、展示品として位置付け、人びとの暮らしを含めて、現地依存型の野外博物館であるとする。この考え方がエコミュージアムであり、エコロジー(生態学)とミュージアム(博物館)の造語で、フランスが発祥の地といわれている。このエコミュージアムとは一つの文化圏で真ん中のコア(核)となる施設、その回りで地域の特性を出すサテライト(衛星)、サテライトにはディスカバリートレール(自然観察路)がいくつもでき、また、サテライトとサテライトを結びつけるネットワークからなる。
 そこで町ではこのエコミュージアムの理念を導入し、ハード面でのコアミュージアムとして、平成8年5月に近江商人博物館(五個荘町歴史博物館)を建設した。このコア博物館では近江商人がなぜこの地方から多く発生したのか、その土壌や歴史、教育、精神、芸術、文化を映像や、レプリカ、模型を使って楽しく解説する施設である。近江商人屋敷や歴史民俗資料館などサテライトミュージアムで実際の生活文化を学習するためのガイダンス施設として、また、関係資料を保存収集し「近江商人発生の謎にせまる」研究者の施設としての役目をはたす。昭和55年11月に開館した歴史民俗資料館(明治期にスキー毛糸で一躍豪商となった典型的な五個荘商人藤井彦四郎邸、近江商人関係の実物資料を展示)、平成2年5月に商家であり、作家外村繁の生家を近江商人屋敷として開館した外村繁邸、平成6年6月開館の江戸期から明治期にかけ全国の長者番付けに名を連ねた豪商外村宇兵衛邸など、既設のミュージアムを平成8年それぞれの役割を分担し、サテライトミュージアムとして再整備した。また、平成9年9月には、戦前朝鮮半島などでデパートを経営し、一躍豪商となった三中井一族の中江準五郎邸をあきんど大正館として新たにオープンし、サテライトミュージアムの充実を図った。
 また、町の人びとも自主的に商家本宅を保存、管理してその生活文化を紹介しようと、民間のサテライト館が生まれた。紅定と呼ばれ勤勉で、明治の教科書にも載った塚本定右衛門の本宅・聚心庵、文化人と交流の深い塚本源三郎家の八年庵、治山の父と呼ばれ公共事業に貢献した旧塚本正之の屋敷、塚本家の隠居として建てられたといわれる秀明庵、江戸時代に活躍した奥井新左衛門邸などがあげられる。


地域住民の協力と参加を得て

 町並みの中を流れる水路や川戸、白壁土蔵や船板塀、赤松の庭、大石垣の鎮守の森、大屋根の本堂など、近江商人を多く排出した典型的な近世の集落の形態をとどめる町並みには、いくつものディスカバリートレールがあり、さらに近江商人をテーマとしたコア、サテライト館とのネットワークを図る。
 従来の「点」から「面・空間」を博物館とするこのエコミュージアムは、地域住民の方の協力や参加が不可欠であり、施設などのハード面の整備とソフト面、すなわち文化面での協力も重要な課題である。
 ソフト面では地域の文化を掘り起こし学習し、顕彰しようとする「文挙の会」が平成6年地域住民有志により結成された。この文挙の会は、五個荘商人は商売のみでなく、高い文化性を持ち、文化人や芸術家との交流も深く、五個荘商人の文化面での発掘や顕彰を目的に、文化のふるさとづくりに貢献しようとするものである。会の名の由来は当町出身の野村文挙から取ったもので、文挙は安政元年に五個荘の商家の長男として生まれ、絵描きとなり、近代風景画の先駆けとして近年高い評価を受けている。近江商人の高い文化性や芸術性を示すシンボルとして、その名前を借りて文挙の会としたものである。発足を機に、地元に残る作品を発掘、「明治の巨匠 野村文挙展」を開催した。毎年郷土の文化や文化人をテーマに展覧会を開催している。
 また、町でも文化人の顕彰の一環として、平成10年近江商人屋敷外村繁邸を作家外村繁文学館としてリニューアルオープンした。
 外村繁は金堂の商家に生まれ、一時は稼業を継ぐが、文学への道が捨て切れず、作家となり、作品「草筏」が第1回芥川賞候補に、昭和31年「筏」で野間文芸賞、昭和35年「澪標」で読売文学賞を受賞し、私小説家として活躍した。滋賀県高等学校の副読本「近江の文学」でも「滋賀県生まれの純文学作家としてまず第1に上げられるべき人物である」と紹介している。近年近江商人の神髄を描いた作品として評価も高く生誕100年にある2002年を目標に作品の発掘を行い業績を明らかにし、外村繁文学の再評価につながればと取り組んでいる。町では、今後もそれぞれの時代を担っていろいろな分野で活躍した文化人の発掘と顕彰に努めたいと考えている。


人気を博した時代絵巻行列

 さて、毎年9月23日の秋分の日にJCや商工会青年部や婦人部が中心となり、近江商人の町並みが多く残る金堂を会場とて、近江商人の文化や精神を広く紹介し、また学ぼうとする「新近江商人塾」が開催される。今年で13年目にあたり、このふるさとづくりイベントもすっかり定着した。「大正ロマンを求めて」と題し、商工会青年部や地域の人たちが参加する時代絵巻行列は大変人気がある。平成7年からこの事業にさらに地元の人たちが参加して「ぶらりまちかど美術館・博物館」が開催されている。いつもは公開されていない商家の本宅や庭園の公開、地元に残る美術品や調度品の公開、寺院や宝物の公開、また現在活躍中の作家や芸術家の発表の場となる。
 昨年は31の会場が美術館、博物館となり、3日間で約4万人の方が訪れた。地域住民が近江商人の町並みや文化を広く紹介し、ふるさとづくりにつなげようとするこの事業は年々参加者が増え、約500人の地元の人びとによるふるさとづくり運動となっている。
 平成7年4月には金堂地区に町並み保存会が結成された。金堂地区は江戸時代中頃から多くの近江商人を輩出し、今も白壁土蔵に囲まれた商家の本宅が多く残る地域である。しかし近年の著しい生活様式の変化から新しい建造物が新しい様式で建てられ、その景観は姿を変えつつある。町並み保存会は近江商人の伝統的な建造物を自らの手で誇りをもって次代に引き継ごうと活動している。 


年間通じて伝統行事も保存継承

 地域の伝統行事などを保存継承しようと積極的に地域の人びとが関わっている行事として、毎年4月に各地で盛大に開催される春まつりがある。この祭りは近江商人たちが寄進した立派な神輿と大太鼓の祭りで、明治時代から続くしきたりが今もなお守り続けられている。神輿の担ぎ手は近江商人の旅姿、尻り捲りのきものに脚半草鞋姿の格好で参加する。役員は山高帽に紋付き羽織り袴、皮靴にステッキという出で立ちで、まさしく文明開化のスタイル。それは近江商人の進取の気性の現れといわれる。その他龍神祭りなど年間を通じ伝統的な行事も保存継承している。
 平成7年には地域婦人会がふるさと事業の一環として、ふるさとの歴史と文化を学ぶ学習講座を開設、その後観光ボランティアガイドを組織した。会員30人が年間230回の活動を続けている。
 また、特産品づくりとして、地元の生活改善グループが、昔近江商人の家で食されていた「おかき」を再現、てんびんおかきとして生産販売するようになった。商家の本宅で祝いごとに出された黄金膳の復元など、食の面でのふるさとづくりも進められている。
 また、ふるさと顕彰事業として「てんびんの里を描く日本画コンクール」を開催、画家の視点で五個荘商人の町並みや自然を見つめて、描かれた作品は新鮮で、新たなふるさと再発見となっている。その他、春祭りフォトコンクール・ビデオコンクールを開催し、広く五個荘の祭りを紹介している。
 また、近江商人をテーマに世界に発信するホームページも昨年開設した。
 以上、天秤棒一本で全国津々浦々まで商いに出向き、大きな財をなし、故郷に錦を飾り、地元に貢献した五個荘商人。その精神や文化を学び次代につなぐふるさと「てんびんの里」まちづくりを住民と行政が一体となってさらに推進する。