「まち むら」101号掲載
ル ポ

市民と行政の協働が実現させた学童クラブ
北海道滝川市・滝川市留守家庭児童を持つ親の会
 3時45分、てんでに遊んでいた小学生たちが一室に集まってきた。並んでテーブルに着き、隣同士、小声でおしゃべりしながら合図を待つ。今日の当番は2年生のナオヤ君と1年生のコウキ君だ。「いただきます!」の合唱で、おやつタイムが始まった。
 ここは北海道滝川市の住宅街に建つ「中地区児童センター」。古い赤レンガの建物内に設けた一室、「中地区学童クラブ」には、それぞれ1〜1.5キロほど離れた三つの小学校から毎日の放課後、合わせて26人の低学年児童たちがランドセルを背負ったまま直接「帰宅」してくる。子どもたちはここで遊んだり、宿題をしたりしながら、親たちが勤務を終えて迎えに来る午後6時までの時間を過ごす。いわゆる「学童保育所」だ。
 働く親にとってなくてはならないこの公共サービスが滝川市で始まったのは、ようやく今年4月から。行政を動かし、ユニークな官民協働方式の学童クラブを誕生させたのは、同じ境遇同士、連携して奔走した保護者たちだった。


「4月の壁」を乗り越えるために結束

 北海道中央に位置する滝川市は、人□約45000人。このうち約2300人の児童が市内七つの小学校に通学する。
「長女が小学校に上がる時、『滝川には学童保育がない』と知って途方に暮れたのを今でもよく覚えています」。作業療法士の村井八恵子さん(42歳)は、7年前をこう振り返る。公務員の夫(43歳)とともに他市から滝川市に移り住み、長女(14歳)と次女(9歳)は生後10か月目から保育所に通わせていた。
「保育所は乳児保育や延長保育なども充実していて、共働きの私たちはとても助かっていたんです。だからかえって、小学校に上がった途端、そんなサービスがゼロになるのが信じられなかった」(村井さん)
 保育所通いの親子にとって、子どもが7歳を迎える年の4月は大きな「壁」だ。保育所修了日の3月31日まで完全保育を受けていたのが、翌4月1日から小学校入学式(4月7日ごろ)まで、安心して子どもを預けられる場所が急になくなる。入学後も1週間は午前中で終業し、給食は出ない。この間、親戚などに応援を頼めない家庭だと、子どもは鍵を持って1人で帰宅し、1人で食事し、親が戻る夜まで留守番するほかない。かといって、親のほうも簡単には仕事を休めない。4月を乗り切っても、平日の休校日(創立記念日、運動会の代休など)や夏・冬・春の長期休みがやってくる。
 やはり親子4人の共働き世帯で、地元の國學院短期大学幼児・児童教育学科で助教授をしていた吉田耕一郎さん(47歳)も、同じ思いを抱いていた。「息子2人の保育所で、保育士さんや他のお母さんたちに聞くと、子どもの入学に合わせて夫婦のどちらかが――たいていは奥さんですが、仕方なく仕事を辞めたり、フルタイムをパート勤務に変えたりしていた。どう考えてもおかしいと思いました」。
 保育所の保護者同士は世代が近く、境遇も似ているので、互いに意気投合しやすい。職業柄この分野の専門知識を持つ吉田さんに、村井さんや他の父母たちも加わって、2001年夏、「留守家庭児童を持つ親の会」が結成された。


市民ニーズを掘り起こして行政を動かす

 「親の会」の望みはシンプルだった。受益者負担の有料サービスで構わないので、小学校の空き教室を利用して、公的な学童保育を開設して欲しい――。
 だが行政の反応は鈍い。「市は財政再建中で、新たな支出はとても無理という雰囲気でした」と、吉田さんは当時の様子を明かす。
 役所と協議している間も、一番しわ寄せを被っていたのは子どもたちだ。「親の会」は2002年秋、単独で非営利の学童クラブ開設に踏み切る。お金を出し合って指導員を雇用し、夕方の1時間半だけ中地区児童センターの一室を借りて、仕事の合間にわが子を送り迎えした。利用者10人からのスタートだった。
「まるで綱渡りでした。苦労したのは指導員さんの確保。保育士の有資格者を探しましたが、何しろ時給は最低賃金レベルの750円ぽっちです。親が交替で休みを取って代役を務めたりもしました」と村井さん。「もうこれ以上は無理って、集まるたびに悲観し合っていた気がします」。
 しかし、一方で学童クラブ利用希望者の数は着実に伸びていく。シングルマザー、シングルファザーの親子にも頼りにされた。「親の会」は不安を抱えつつ、夏・冬・春休みだけの開設ながら、クラブ会場を2か所、3か所と増やし、3年後には当初の8倍、約80人がクラブに通うようになっていた。


市民の熱意が生んだ「新しい協働モデル」

 こうなると行政も腰を上げざるを得ない。2007年暮れ、滝川市は市内7校区のうち5校区で学童クラブを通年開設すると決定した。このルポの冒頭で訪ねた中地区児童センターをはじめ、5か所の児童センター内に新たに専用室を設け、専従の児童厚生員(市職員)を配置し、利用料金はこれまでのほぼ半額(月額3000円)に抑えたうえ、運営は「親の会」と一緒に「協働方式」で進めることになった。むろん非営利のままだ。
「現実にこれだけの市民ニーズがあるんだと『親の会』がはっきり示してくれたのが大きい」と、担当する滝川市役所子育て応援課の佐々木哲課長は、“施策転換”の理由を説明する。「滝川市にとっても市民との協働の新しいモデルになりました。この方式を生かして、未実施の校区での開設や、空き教室の有効活用も視野に入れ、少しでも理想型に近づけたい」。
 新方式は市民に歓迎され、今年夏の登録者数は前年よりさらに増えて約150人になった。市内の低学年児童全体の1割が学童クラブに通ってくる計算だ。
 この4月から利用し始めた新1年生の母親(35歳)は、「インターネットなどでも『4月の壁』が話題になっていたので心配でしたが、滝川には学童クラブがあって良かった」と話した。


協力すべきは協力し、伝えるべきは伝える「協働」を

 吉田さんや村井さんら、滝川市で「親の会」を創設したメンバーの大半の子どもたちは、すでに学童クラブ適齢期を過ぎている。吉田さんは昨年、実家の幼稚園を引き継ぐために一家で滝川市を離れた。いま「苦しい道のりだったが、会のみんなの献身的な努力と、応援してくれた人たちのおかげで第4コーナーを曲がるところまで来た。行政と協力すべきところは協力し、伝えるべきことはきちんと伝える、そんな協働を目指してほしい」と、「親の会」にエールを送る。
 「親の会」スタート時に2歳児だった末っ子が小学3年になった村井さんは「親の会も少しずつ世代交代を図りながら、今後も協働の一方の当事者として役割を果たしていけたら」と話す。
 「学童保育があって当たり前」という、かつて自分たちが熱望していたまちの子育て環境を、親たちは行政との協働という新しい手法で自ら創り出したのだ。