「まち むら」102号掲載
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郷土芸能を通してきずなを強める
岩手県奥州市 広瀬振興会
 岩手県の内陸南部に位置する奥州市は、人口約13万人を抱え、県内では盛岡市に次ぐ人口規模を誇る。その奥州市北端にある江刺区広瀬は、北上山脈の分嶺に四方を囲まれ、中央を1級河川の広瀬川が流れる水と緑にあふれる地域。この地で、地域文化の中心を成すのが郷土芸能だ。鹿踊(ししおどり)、剣舞(けんばい)、神楽、奴踊(やっこおどり)といった伝統芸能の数々が、親から子へ、子から孫の世代へと脈々と伝えられてきた。


郷土芸能が集中する小さなむら

 広瀬は1980(昭和55)年、旧国土庁(現国土交通省)の「特色のある村づくり計画地域」の指定を受けた。少子高齢化の影響もあり、後継者不足から休止を余儀なくされている団体もあるが、実に27もの郷土芸能保存団体が、江刺区で最少という人口1466人(平成17年国勢調査より)のこの地域に存在する。
 神の使いと言われる鹿をあしらった衣装で太鼓を打ち鳴らし踊る鹿踊は、宮澤賢治も愛した江刺の名物芸能。広瀬では奥山上山流歌書獅子躍、奥山行山流鴨沢鹿踊、金津流軽石鹿踊など4団体がその伝統を受け継いでいる。
 大償斎部(おおつぐない)流野口伝鴨沢神楽は、国の重要無形文化財早地峰神楽の流れをくむ山伏神楽。文楽系統の人形を使う広瀬人形芝居常楽座は、伝習を受けた常陸(現水戸市)と文楽から命名され、明治の初めに始まったと言われる。
 ほかにも剣舞、田植踊、奴踊、歌舞伎、念仏、劇団、和太鼓の団体があり、守り伝えられてきた芸能の種類、数は群を抜く。


伝統の剣舞しっかり継承

 奥州市立広瀬小学校(千田水也校長、児童55人)は鴨沢念仏剣舞保存会の指導を受け、演目の一つ「片入踊(かたいりおどり)」を「広小剣舞」として習い、継承している。
 年度末には、卒業する6年生から在校生への引き継ぎ式も実施。郷土芸能は地元の宝としての意識を、在校生たちはこの儀式でより強く抱く。
 6年生たちが力いっぱい最後の舞を披露。それに応えるように、在校生が舞を発表する。160年の伝統を誇る鴨沢念仏剣舞の後継者育成の願いを込め、同保存会の太鼓と笛の音が同校体育館に響きわたる。
 4月には新1年生を加えて練習に入り、5月の運動会で発表する。1976(昭和51)年から続くこの学校の伝統だ。


広瀬の祭り出演 大学生も「責重な体験」

 私立独協大学(埼玉県)の学生たちは、学部の夏合宿で2年に1度広瀬を訪れる。約1週間の滞在中、地域住民の指導の下で鹿踊、神楽などを集中特訓し、その成果を祭りで披露するという郷土芸能への挑戦だ。
 同大国際教養学部言語文化学科の飯島一彦教授のゼミが2002(平成14)年から続ける体当たりの地域文化研究として親しまれている。
 発表の舞台は、広瀬の音石神社例大祭。今年も残暑の厳しい9月、学生22人が郷土芸能の衣装に身を包み、軽石薩摩奴踊、軽石神楽、江刺甚句踊りの三つの芸能にそれぞれ分かれ、地区内5か所で踊りを披露した。
「とりならば とりならば ノーホホホン アーソレハハハ」
 大小の刀を差し、単純素朴に踊って派手さはないが、歌詞と節に独特の面白みがあるのが、1910(明治43)年に旧江刺郡福岡村(現・北上市)から伝わった軽石薩摩奴踊。道中かさをかぶり、やりを持つ踊り手と、裃(かみしも)はかまを着た歌い手、太鼓打ちで構成される「サムライ奴」とも呼ばれる芸能だ。
 同大4年生の栗原千佳さん(群馬県出身)は「腰を落としたままで踊るので、普段使わない筋肉を使う。地元の方はつくづくすごいと思う。お酒が入っても踊れるし、歌も上手」と目を丸くし、「向こうでは体験できない貴重な体験をさせてもらった」と充実の表情を見せた。
 祭りの場では地元の子どもたちとも共演。舞台の合間、弟や妹と接するように遊びの相手をしてやり、じゃれ合う。同保存会のメンバーや地域住民も、「孫ができたよう」と学生たちの姿に目を細める。
 学生たちの訪問は、地域に相乗効果ももたらしている。同保存会の菊池昭栄会長は「都会からやってくる子たちによって皆の結束が高まり、地域づくりに結びついている。奴踊自体の活性化にもなり、その効果は大きい」と大歓迎だ。


地域発展に誓い新た広瀬振興会20周年

 1989(平成元)年、地域の自立と住民自治を目指す新たな組織「広瀬振興会」を発足。2004年度からは住民主導型の地区センターを他地区に先駆けて設置した。地域独自のまちづくりの方針を明文化した地域コミュニティ計画を策定し、郷土芸能を核としたまちづくりを進めてきた。
 同振興会発足20周年を迎えた2008年9月には、記念式典を広瀬地区センターで開催。地域住民や来賓ら約400人が出席して、古里の「成人」を祝った。
 歴代の会長、役員ら20人に感謝状を贈呈。振興会発足に尽力した千葉明・元会長が「まずは発車し、走りながら考えようと振興会は発足した。30年、40周年に向け、目まぐるしく変わる今の社会に対応できるよう祈念したい」とエールを送った。
 菊地孝司会長は「先達の献身的な活動が組織を支え、住民の全面協力があったからこそ、今日の振興会がある」と、地域で息づく「結」の精神に感謝。その上で、「広瀬の芸能は、数、種類においても県内一。地域のさらなる飛躍発展を目指す振興会でありたい」と、郷土芸能を縁に受け継がれた地域の力をさらに高めていくと誓った。
 30年以上にわたり毎年開かれる同振興会など主催の芸能発表会は、各芸能保存団体が磨かれた伝統の舞を見せる一大イベント。毎年地区内外からの多くの観客が詰め掛ける人気の催しだ。


人と自然・光り輝く郷土芸能伝承の郷

 キャッチフレーズは「人と自然・光り輝く郷土芸能伝承の郷」。「郷土芸能はこの地域の顔」との思いから2008年8月、広瀬振興会は奥州市地域づくり推進事業の補助金を活用し、このキャッチフレーズを記した看板(縦約3メートル、横約2.7メートル)を、広瀬字柿ノ木地内の国道456号沿いに設置した。
「通りすがりのドライバーなどここを訪れる人にも、郷土芸能を大切にしている広瀬という地域を知ってほしい」と菅野範正広瀬地区センター長は力を込める。
 年少人口はここ30年で半分になり、老齢人口は3倍に膨らんだ。それでも、地域住民は郷土芸能を通してきずなを強固にし、世代間交流にも結びつけている。関東の大学生など外部からの刺激もいい材料だ。広瀬には、「郷土芸能の宝庫」という誇りがある。
「人と自然・光り輝く郷土芸能伝承の郷」という看板の文字は、クリの木の薄茶色の木目を背景に、白く浮かび上がっている。