「まち むら」103号掲載
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こらぼ大森を支える地域の力
東京都大田区 NPO法人大森コラボレーション
 品川駅から京浜急行線に乗って平和島駅へ。その駅から歩いて7分のところに、こらぼ大森(大田区区民活動支援施設)という区民施設がある。この建物は2002年3月まで大田区立大森第6小学校だった。それが少子化による統廃合で閉校になると、耐震補強、バリアフリーなどの工事を経て2年後の2004年4月、新しく生まれ変わった。
 全国各地で閉校になる学校は少なくないが、学校は住民にとって貴重な財産である。それが失われることによる影響は大きい。そういうなかで、小学校を住民の手で区民施設へと再生させたこの事例は全国的に注目され、北海道を除く全都府県から視察見学者が訪れているという。
 旧東海道が通る旧い歴史の地域にこのような先駆的な施設が生まれたことに感心する。とりわけ注目されるのは、この施設の管理運営を中心になって担っているのが地元町会だということである。自治会町内会の会館施設には閉鎖的なところが多いのではないだろうか。こらぼ大森の場合は、乳幼児から高齢者まで幅広い住民が寄り集う開放的な施設である。


にぎやかだが、落ち着いた、たたずまい

 閉校となった小学校の利用には区民のあいだからさまざまな意見が出されていた。閉校した年の6月、区役所の出張所の呼びかけで「旧大森第6小学校施設活用協議会」が召集される。協議会委員は、地元六町会の会長、小・中学校のPTA会長、民生・児童委員協議会の会長、青少年対策地区委員会の会長、地域活動団体の代表など17人。会長と副会長(5人)に町会長が就任しており、町会が中心であったことが想像される。協議会は4か月間にわたってワークショップなどの方法で意見をまとめて、9月に「旧大森第6小学校施設活用についての提言」を大田区長に提出した。提言の内容は、第一に、子ども・高齢者・障害者を含む幅広い区民が利用する施設にすること。第二に、運営は、区民と区の「協働の仕組み」によるものにすること。この提言がその後の方向を決めた。
 提言を受けた大田区は「旧大森第6小学校施設活用の基本的考え方」(2002年12月)をまとめて地域住民に説明する。2003年1月、施設活用協議会委員、地域住民、区民活動団体メンバーなどの「旧大森第6小学校施設運営準備協議会」が発足すると、〈高齢者〉〈子ども〉〈障害者〉〈地域利用施設〉〈区民活動支援施設〉という五つの作業部会で検討を続ける。この年の10月、子ども作業部会を引き継いだNPO法人おおもり子どもセンターが法人格を取得する。12月、大田区が施設の設置条例を制定する。2004年1月、運営準備協議会は運営協議会へと改組される。この時期、施設の愛称を区民から公募して「こらぼ大森」に決める。「こらぼ」とは、連携・協働をあらわすcollaboration(コラボレーション)の意味である。
 2004年4月1日、いよいよ大田区区民活動支援施設こらぼ大森がオープンする。3階と4階に子ども交流センターが開館、NPO法人おおもり子どもセンターが運営を受託する。
 2006年3月、運営協議会を引き継いだNPO法人大森コラボレーションか法人格を取得、新年度の4月1日から、こらぼ大森の管理を受託する。
 施設の構成は以下の通りである。1階(食事サービス調理室、軽食コーナー、ふれあいコーナー、シルバー人材センター)。2階(共同事務室、情報交流室、会議室、ミーティングルーム、ワーキングルーム)。3階(ファミリールーム、図書室、学童保育室、ホール)。4階(音楽練習室、工作室、青少年交流スペース、音楽スタジオ)。敷地内には、グランド、体育館、多目的室などもある。
 元校舎とは思えない、というのもおかしな表現だが、落ち着いたたたずまいである。乳幼児から高齢者までの世代が集まってざわざわとしているけれども、不思議に居心地が良い。工作室では“名人”と呼ばれるお二人の男性ボランティアが、子どもたちと一緒に作業をしている。音楽スタジオでは中学生が楽器をいじっている。建物の外をみると、ボランティアの人々の工夫で、校舎のネットにゴーヤが実をつけるし、校庭には日陰をつくるみどりの実験室が建てられている。


地域に貢献する町会の役割

 2階の事務室で、後藤三郎さん(1928年生まれ)と笹原勇さん(1932年生まれ)にお話を聞いた。
 後藤さんは、NPO法人大森コラボレーションの理事長。笹原さんは、NPO法人おおもり子どもセンターの理事長。お二人とも町会長として旧大森第6小学校施設活用協議会の段階から活動を担ってきた中心人物である。
 前例のない施設づくりのプロセスは、並大抵の苦労ではなかったらしい。旧小学校の利用には、実にさまざまな要望が出された。話し合った上で、それらすべてを実現させる施設にすることを決めた。もう一つ、児童館と学童保育をめぐる意見の調整に苦労した。既存の児童館と学童保育の閉鎖に保護者のあいだから不安や疑問が続出した。子ども作業部会長をつとめた笹原さんは「眠れない日が続いた」と語る。「親方日の丸でやっていれば安全というのではなく、自分たちで引き受ける」という考え方を大切にして計画づくりをすすめた。子どもたちの声を聞こうと、子ども会議も開催したという。
 後藤さんは地元の生まれで「昭和30年に、まちづくりをやろうよと、52人で青年会をつくった。青年会では、野球大会をやったり、学校の講堂で敬老会を開催したりした」という。青年会の活動には、地元の中小企業が寄付してくれたし、勤めていた工場の社長も理解してくれた。「それがきっかけで、これまで地域活動を続けてきた」という。
 笹原さんは「役人上がり」だそうで、1959年に神奈川県から転居してきた。自宅前に住む町会長さんは「定年になったら町会役員をやらせよう」と、手ぐすね引いて待ち構えていたという。定年後すぐに副会長を引き受け、続いて町会長も引き受けた。「町内活動には慣例でやっていることが多い。誰のために、何のために町会という組織があるのか、もう一度原点に帰って考える必要がある。個人や近隣の者だけではできないこと、たとえば災害発生時対策等を、町会という組繊で行なうべきではないかと考え、災害時要援護者支援対策づくりもやってきた」と語る。今、お二人とも毎日のようにこらぼ大森へ通う。他の理事と同様に無給である。


多彩な人々が力を合わせる

 話は前後するが、地元町会は、旧第6小学校の校区が4町会、旧第2小学校の校区が2町会である。2002年4月、2校を統合した開桜小学校が、第2小の校舎に開校した。その校区の6町会が中心になってこらぼ大森をつくったわけだ。二つの小学校は1区画を挟む程度の近距離で、こらぼ大森から開桜小学校の校舎はすぐ近くにみえる。借用した『開校5周年記念誌わたしたちの郷土』(大田区立開桜小学校平成19年3月)を読んだ。100頁余にわたって、写真、イラスト、図表を掲載して地域の歴史と現状をまとめた資料集である。その充実した内容は、こらぼ大森を実現させた地域の力を想像させる。
 二つのNPO法人の事務局長は女性である。NPO法人大森コラボレーション事務局長は坂井和恵さん。NPO法人おおもり子どもセンター事務局長は羽田澄子さん。お二人とも小・中学校のPTA活動の経験者。坂井さんは、区役所の複数の関連部局とのやり取り、団体や個人への対応など、いろいろな考え方や立場の人々との調整役として活躍している。羽田さんは、毎週木曜日に子ども交流センターで「だがしやすみちゃん」を開店している。このお二人の笑顔を絶やさない、粘り強いはたらきぶりが印象に残った。
 子ども交流センターの館長も紹介しておきたい。初代館長の竹内敏さんは品川区の児童館職員を50歳そこそこで退職、まちづくりのNPO活動をしていた人物である。現在の館長の上平泰博さんは児童館史の研究者で品川区の児童館職員を定年前に退職してこの職に就いた。
 こらぼ大森を支えるのは、地元町会のリーダー、地域活動を経験した女性、ベテランの専門スタッフと、多彩な人々である。ここに、これからの自治会町内会の可能性を考えるヒントがあるのではないだろうか。
【参考資料】坂井和恵「地域コミュニティー再構築の拠点へ」(『町並み』Vol.39財団法人東京都防災・建築まちづくりセンター2006年9月)
『地域がつくったNPO児童館のあゆみといま 資料集』(編集・発行/NPO法人おおもり子ども文化センター2008年2月)