「まち むら」103号掲載
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地域住民が主体となって活発な防災活動を展開
徳島県鳴門市 里浦町自主防災会連合会
 東南海・南海地震の発生が懸念されている徳島県鳴門市では、自主防災組織の結成・育成が進められ、市内14の自治振興会を核に自主防災組織が続々と立ち上がっている。なかでも津波の危険性の高い里浦町地区は、2003年に里浦町自主防災会連合会を立ち上げ、活発な防災活動に取り組んでいる。防災倉庫や津波一時避難場所を整備するとともに、本格的な津波避難訓練を実施し、地域住民が主体となって地域や自らの命を守る活動を展開しているのが特徴だ。


自治振興会内に防災研究会を組織

 里浦町は、鳴門市の南東部に位置し、紀伊水道に面した6.58平方キロの地域である。里浦小学校区に相当し、1457世帯、約4100人が暮らしている。旧吉野川河口の砂州に広がる低平地のため、地盤は砂地で軟弱、地下水位は高い。1946六年の昭和南海地震で被害を受け、1995年の阪神・淡路大震災では沿岸部の畑が液状化現象を起こすなど、防災が地域の大きな課題となっている。
 1995年11月には、全21町内会と各種団体が参加して里浦地区自治振興会を結成。防災が活動のひとつの柱となった。だが、具体的な活動が行なわれないまま5年か過ぎようとした2000年に鳥取県西部地震が、翌2001年には芸予地震が発生し、住民の危機意識は一挙に高まった。今後30年以内に50%程度の確率で発生するとされる震度6弱の東南海・南海地震が起こった場合、里浦町は地震被害に加えて津波の危険にさらされているからだ。地震発生から約45分で第一波が東部の大手海岸に到達し、何回も襲ってくる津波の最大波高は約4メートルに達し、その結果、町内のほとんどは0.5〜4メートル浸水すると予測されている。
 そのため、2001年6月、里浦地区自治振興会内に防災研究会を立ち上げた。その中心的な役割を果たしたのが、のちに組織される里浦町自主防災会連合会の事務局長を務める松下恭司さんだ。1935年生まれで、元鳴門市職員の松下さんは昭和南海地震も経験していた。
 松下さんたち有志は、防災研究会立ち上げ準備と並行し、地域住民の防災に関する意識調査を行なった。
「113人から回答が得られ、7割以上が『大地震・津波はいつかある』と答えました。にもかかわらず、災害時の家族の集合場所や連絡場所を決めている人は約1割にとどまるなど、防災意識が低いことが分かりました。最もショックを受けたのは、『隣近所で災害弱者の救護等に助け合い協力することができるか』という間いに対し、6割が『難しい・分からない』と答えたことです。隣近所の協力関係が希薄になっていることを認識させられました」と松下さんは振り返る。
 コミュニティ再生の必要性を痛感した松下さんは、自治振興会を構成する21町内会の会長に働きかけ、防災研究会会員になってもらって自主防災組織の結成に向けた取り組みに着手した。


自主防災会を結成

 地域の現状を把握することが防災活動の出発点と考えた防災研究会は、手始めに町内の危険箇所・防災施設の調査を行なった。その結果、急傾斜地や危険なブロック塀、水路の障害物など危険箇所や問題箇所があることが分かり、行政に改善要望を出していった。
 同時に、防災講演会を開催したり、県内各地の防災セミナーに参加するなど防災学習を進め、地域住民の防災意識を高めた。また、徳島大学の協力を得て町内の標高測量調査を実施。それに基づき、2003年度に里浦小学校5年生の防災学習を行なうなど、小学校や大学と連携した取り組みも進めていった。
 2年間の活動成果を踏まえ、2003年9月、消防分団エリアを基に町内を3地区に分け、里浦北自主防災会、里浦仲自主防災会、里浦南自主防災会を組織するとともに、この3組織の連合体として里浦町自主防災会連合会を結成。21町内会の会長や消防分団OBなどに呼びかけて隊員を募集し、里浦地区自治振興会の会費の一部や市、地区社会福祉協議会の補助金などで活動を開始した。隊員は現在、約340人に上っている。
 2004年には北・仲・南の消防分団詰所横に防災倉庫を設置し、総務省の助成金を活用して防災資機材を配備した。また、津波に備えるため、住民自ら汗を流して町内の高台に3か所の津波一時避難場所を整備した。
 樋門や防潮扉の閉鎖講習・訓練も開始した。町内の樋門や防潮扉は国、県、市などが管理しており、閉めに来るまでに1時間近くかかることも考えられたことから、県と協議して津波発生の危険がある場合は自主防災会や消防分団が閉鎖できるようにしたのだ。
 さらには、「防災の手引き」や手づくりの「津波避難マップ」を町内全戸に配付するなど、活発な活動を進めている。


小学校と合同避難訓練を実施

 2005年1月には、「紀伊水道坤を震源とするM8.6の巨大地震が発生。大津波警報が発令され、40分後に里浦町沿岸に高さ4メートルの津波来襲の予測」との想定で、里浦小学校と合同で全町津波避難訓練を実施した。約500人が参加し、消防団員が防潮扉を閉めるとともに、住民約200人と児童約250人が1キロ離れた鳴門陸上競技場のスタンドまで徒歩で避難した。
 合同訓練はその後毎年1月に実施し、津波避難訓練をはじめ、救出・救護・消火訓練、負傷者搬送訓練、里浦婦人会によるアルファ米の炊飯・非常食の炊き出し、救急救命心肺蘇生など様々な訓練を行なっている。2006年1月の訓練では、津波の警報サイレンとともに半鐘を鳴らして津波を知らせる実験も行なった。
「防災無線の音声が聞き取りづらい地区があることから、サイレンや半鐘による音の伝わり方を検証しました。避難訓練は回を重ねると形式的なものになりがちなので、常に緊張感を持って取り組めるよう知恵を絞っています」と松下さん。
 災害に対する各家庭での日頃からの備えも重要だ。そのため、2006年からは家具転倒防止と火災報知器の普及に努めている。「どのくらいの家庭が家具転倒防止に取り組むかが、住民の防災意識を測るバロメーター」と話す松下さんが中心となり、地区住民向けの家具転倒防止講習会を開催しているほか、家庭訪問による家具固定サービスも実施している。
 これら里浦町自主防災会連合会の活動は高く評価され、松下さんは、鳴門市が自主防災活動促進に向けて2007年に結成した自主防災会連絡協議会の会長に就任。2008年には徳島県自主防災組織連絡会会長となり、自主防災活動のリーダー的役割を担っている。なお、松下さんは防災活動の功績が認められ、2007年度防災担当大臣表彰を受賞した。
 さらに里浦町自主防災会連合会は活動の幅を広げており、「里浦地区子どもの安全見守り隊」を編成して子どもたちの下校を見守る活動や、不法投棄防止に向けて遊休地に花壇を造成する環境美化活動などにも乗り出している。
「地域の防災力を高めるには、地域の結束が不可欠です。地域住民が関心のある活動に自主的に参加することで、地域を守る意識が高まっていけばと願っています」と松下さんは期待を寄せている。