「まち むら」104号掲載
ル ポ

友情を育む心のこもった交流で地元も来訪者も元気に!
岩手県遠野市 宮代自治会
早くから外部にも目を向けた農村集落・宮代

 遠野市中心部の北西、標高798メートルの高清水山や756メートルの天ケ森が連なる高原の裾野に沿って広がる宮代(みやしろ)集落。北風をさえぎる背後の山にはりんごなどの果樹畑、充分な日照を確保してくれる南側の平地には田園風景が広がり、53世帯、約200人が暮らす。専業農家が2軒に非農家が10軒ほど、そのほかのほとんどが兼業農家という地域である。
 田舎はよそ者に対して閉鎖的であるとよく聞くが、遠野、特にこの宮代地区は決してそうとは限らない。もともとは四月の川原の野焼きから始まって、花見、5月のさなぶり、9月の元八幡宮例大祭、そして毎月の地域の清掃などと、四季折々の行事とともに1年を過ごしているのどかな集落なのだが、10年ほど前にはすでに自分たちを取り巻く生活環境の問題を察知し、「地域を元気にしたい」と有志の会を結成するなどしていた。そして、いち早く農業地帯という生活環境と豊かな自然環境を活かし、「来訪者からの労働力の提供」と「農家からの寝食の提供」の交換で成り立つ「遠野型ワーキングホリデー」や民泊などの受け入れに取り組む人が現れた。例大祭がまだにぎやかでなかったころ、道行く観光客に声をかけてまつりに誘い、その日自宅に泊めてしまうという「暴挙」に出る者もいた。それほどこの地域は外部のエネルギーにも目を向け、積極的に取り入れようとしていたのだ。


まつりのにぎわいも呼んだ大学生の受け入れ

 宮代集落に新しい風が入り込んできたのは平成13年。「宮代自治会」として、東洋大学の学生を受け入れることになったのである。
 グリーンツーリズム研究の第一人者といわれる青木辰司(しんじ)教授率いるゼミの学生が、宮代集落に入り、農村の活性化をテーマとしたフィールドスタディを行なう。その調査に基づいて集落に合わせた提案を行ない、その見返りとして宮代自治会は宿泊受け入れや滞在中の生活のサポートを提供するという、いわばギブアンドテイクのプロジェクトだった。期間は5年間。一行は、元八幡宮例大祭の時期に宮代に入り、民家や公民館などに宿泊しながら5日ほど滞在し、例大祭へも参加。大学に戻って研究やまとめを行ない、3月の宮代自治会総会の日に合わせて再び宮代入り。総会、学生からの報告会、住民と学生の親睦会を行なった。自治会の正式な取り組みということで、受け入れのために「協発型農村発展研究部」という実務チームが構成され、会員にアンケートを配布したり、報告会を開くなどきめ細かく動いた。
 「学生たちも参加するようになって、まつりの様子がずい分変わりました」と宮代自治会会長の佐々木僚平さんは感慨深げ。
 10数年前まで、例大祭は地域の旦那衆が集まって酒を酌み交わし、神事が行なわれる程度の小さな行事だったが、14年ほど前から40、50代の有志の会「遊々会」(平成15年解散)の呼びかけで神楽が奉納されたり出店が出るようになっていた。その後、大学生の参加、宵宮の復活、地元の若者の出店、地元中学校の吹奏楽部や郷土芸能団体の出演と、年々にぎやかさを増している。
 「横のつながりはむかしからあったけれど、活動を通して世代を越えたつながりができました」と同副会長の平井孝史さんはいう。


交友関係を築いたら思わぬ課題が発生

 「東洋大学の受け入れはひとつのきっかけでした」と平井さん。この体験から多くのことを学び、次の活動へもつながった。平成19年度、宮代自治会が岩手県の「元気なコミュニティー100選」に選定されたのは、有志の会や自治会の先駆的で積極的な活動が評価されたからに違いない。
 大学生の受け入れでは得るものも多かったが、課題にも気づかされた。それは、システムと組織に関するものだ。
 一般の民家で宿泊を受け入れる「民泊」は「自分の生活を『切り売り』するようなもの」と平井さんはいう。切り売りする分と相手から受け取る分のバランスや、ある種の割り切りも大切なことがわかった。業者ではないから収益は求めないが、持ち出しになってはつらいし、無理をしたのでは長続きしない。一過性でも一方通行でもなく、継続して、お互いに交流したい―――それが基本であり、すべてともいえる。だから、宮代の人は受け入れるだけでなく、自ら東京に出かけて一緒に飲んだり、学生の実家のある北海道に遊びに行ったりと、交流を続ける。
 ところが、良好な関係ができると思わぬ課題が発生した。当初は「交流を通して、遠野の農作物もアピールしたい」とも思っていた。望んだとおり、都会に帰った人たちから米や野菜を送ってほしいとか、どこに頼めばいいかといった連絡が来た。しかし、
 「友だちになってしまうと、お金をもらえなくなるのですよ」と苦笑する平井さん。連絡を受けては送り、ついには自分の食べる分は買ってきたという笑えない話も。それでは交流の継続が苦しくなるときがくる。料金設定などの割り切ったシステムの整備も必要だと痛感した。


自治会と有志会の棲み分けで活動の幅が広がる

 もうひとつの課題は組織。1年目の受け入れの後、自分もやってみたいと新たな参加者も出てくれば、今回限りで…という人もいた。希望しない人に無理強いはしないが、統一した合意が得られないためにやりたいことができないのも寂しい。そのジレンマを解消するのが、自治会と有志の会「里山クラブ やかまし村」の並存なのだろう。この二つの組織、構成員は重なっているが、一線を画している。「やかまし村」は自由参加で、「参加したい人はだれでも歓迎」。自治会でできることは自治会でやってもいい、合意に至らないことはやりたい人が集まればいい。この棲み分けされた関係が、無理のない、積極的な取り組みを実現し、この地域の活動の幅を広げている。
 たとえば自治会は、平成18年から遠野市の「里山美林推進事業」に手を挙げ、3年にわたって活動を継続している。作業時期を元八幡宮例大祭に合わせたので、プロジェクト終了後も東洋大学の学生が個人的に山仕事体験と例大祭への参加のために宮代を訪れた。みんなで間伐した杉は、境内で舞台となり、例大祭に活かされている。
 平成15年には「遊々会」が主体となって宮代の街道沿いに「茅葺きのゴミ捨て小屋 清捨(せいすて)」を設置した。これが近隣地区にも好評で、19年暮れには「自分たちも造って、茅葺街道をつくろう」という動きに広がった。昨年は「やかまし村」が土窯を建設。今後は子供会や観光客を対象に「ピザ作り体験」や、さらには遊歩道の整備なども考えているという。
 「里山や田舎の暮らし、雰囲気を楽しみに来てくれる人たちを、仕事や集落行事としてではなく、『そうすることが楽しい』と思える人たちが受け入れて、それが伝搬していけばいいのだと思っています」と「やかまし村」の幹事も務める平井さんはいう。宮代の人たちのフレキシブルで「楽しい」活動は地元も来訪者も元気にしている。