「まち むら」107号掲載
ル ポ

雲城水よ、永遠なれ
福井県小浜市 一番町振興組合
 日本海に面した福井県小浜市に小さな公園がある。雲城公園の名をもつこの公園には、清冽な地下水が湧き出ている。1949年、地元小学校の同窓生が資金を出し合ってこの水場を掘ったとき、当時の校名にちなんで雲城水と名づけられた。道路拡張のため現在の地に移転した後も、この水を求めて訪れる人は後を絶たない。地元のまちづくり団体「一番町振興組合」は、多くの人が愛飲する水を守る活動を続けている。


名水を生かした銘菓

 雲城水は、公園だけでなく、一番町一帯に自噴し、地域の需要を満たしていた。天保元年(1830)年に創業した和菓子舗、伊勢屋の店先に、いまもその名残りを見ることができる。同店には2つの掘り抜き井戸があり、奥の井戸水は和菓子づくりに、店先の水は名物の葛まんじゅうの冷却に使われている。
 小浜市民の夏に欠かせないこの水菓子は、こしあんを葛で包んだ小さなまんじゅう。まるごとひとつを口にすべり込ませると、やわらかな葛の膜が破れてこしあんと葛とが融合し、さわやかな甘味が口いっぱいに広がる。
 1年を通じて13度前後の水温を保つ雲城水は、夏に冷たく、冬は温かく感じられる。その水で冷やす葛まんじゅうは、冷蔵庫のなかった時代に、家庭のおやつとして誕生した。伊勢屋はその手法を守り、注文を受けると水から引き上げ、ガラスの器に盛って客に供する。
「雲城水はとても口あたりのいい軟水で、素材のもつ風味を損なうことなく、引き出してくれる。100年以上、変わることなく愛されている菓子をつくることができるのは、水のおかげなんです」
 良質の材料を厳選し、技術の研鑽にも努めてきたであろう5代目店主の上田藤夫さんは、決してそれを口にすることなく、ただ雲城水への感謝だけを語る。


豊かな湧水の地

 一番町は、小浜港の船だまりに沿って南北に伸びる約300メートルの道沿いにある。この一帯では、地下30メートルまで掘り進めると、市内を流れる遠敷川の伏流水が自噴する。掘り抜き井戸が普及するのは、昭和初期のことだという。
 昭和20年代半ばには商店を営む家が増え、60軒あまりの店が並ぶ商店街が形成された。1954年、商店主たちは「一番町繁栄会」を結成し、翌年から水の恵みに感謝する「水祭り」を開始する。
「各商店が街区を七夕の笹で飾って売り出しを行い、たくさんの屋台も出て、1万人の人出でにぎわったものです」
 現在、「一番町振興組合」の理事長をつとめる宇田川省二さんは振り返る。
 商店では、店頭に掘り抜き井戸の水を引いた水槽を設け、野菜や果物などの冷却や食器洗いなどに使っていた。夏になると、和菓子屋だけでなく八百屋や魚屋、一般家庭でも、競って葛まんじゅうをつくり、水槽に漬けて客を待った。
 しかし、道路の融雪など水需要が増加するにつれて雲城水は自噴する力を失い、水道への切り替えが進む。商店街もまた、大型店の進出によって衰退していった。残った商店主が中心となって続けていた水祭りも1997年、44年の歴史に幕を閉じる。求心力を失った一番町では、2000年に商店が加入する繁栄会を全世帯が加入する一番町振興組合に改組し、活動の目的をまちづくりに定めた。テーマはやはり水だったと宇田川さんはいう。
「原点に戻って水に立ち返り、雲城公園の掃除から始めることにしたんです」


100年の歳月が水を育む

 公園の掃除を開始した宇田川さんは、雲城水がどこから来るのか疑問を抱く。答えを求めてさまざまな人に問いかけてみても、誰も知らない。市役所の水道課に問い合わせると、福井市で大村鑿井(さくせい)を経営する大村一栄さんを紹介された。大村さんは全国さく井協会の副会長をつとめたこともあり、現在も北陸支部副支部長の任に就いている。
 思い切って電話をかけた宇田川さんに対して大村さんは、「福井県でいちばん水がいいところに住んでいらっしゃる」と告げ、翌日には車を飛ばして小浜市まで駆けつけた。半生をかけて蓄積した地下水に関する知識をもとに、大村さんは集まった組合員たちにこう語った。
 ――滋賀県境にそびえる標高931メートルの百里が岳に降った雨が地下をゆっくりと旅し、100年の歳月をかけて雲城水となる――。
 慣れ親しんでいる水の壮大なドラマに感銘を受けた組合員たちは、雲城水のパンフレットを作成し、広報活動に乗り出すことにした。
「100年もかかるとはものすごい。一人でも多くの人にこのことを知ってほしいという思いだけで突っ走りました。でも、その後の展望はあったわけではなかったんです」(宇田川さん)
 だが、想定していなかった次の活動は、パンフレットの完成を報じる地元紙の記事が引き寄せてくれた。


人が名水をつくる

 2006年、福井新聞に掲載された記事を読んだ地元の酒造会社「若狭富士」の杜氏が一番町を訪れ、雲城水の水質を確認すると、この水で酒をつくりたいと社長を説得。若狭富士が雲城水の日本酒をつくり、一番町振興組合が命名と販売を担当するコラボレーションが実現した。
 組合では議論を重ねた末に、100年かけてたどりつく雲城水にちなみ、酒の名を「百伝ふ」(ももつたう)に決定。限定1000本は2か月で完売した。
 この活動がふたたび福井新聞で紹介されると、記事を読んだ市内の豆腐製造会社「小堂食品」が、福井県産大豆と雲城水を使った豆腐の開発を申し出る。次いで、一番町に住み、市内でそば屋を営む「米太」がそばを開発。さらに伊勢屋でも、日本酒を活かしたゼリーと、酒粕を使った酒まんじゅうをつくった。相次いで生まれた「百伝ふ」シリーズは、雲城水の名をいっそう広めることになった。
 毎週日曜日の朝8時、一番町振興組合の組合員は交代で伊勢屋の隣に陣取り、豆腐とそばを売る。豆腐100丁、そば10パックを完売するまでの2時間は、地域の絆を深める「とりとめのない、おじさんたちの井戸端会議」がくりひろげられ、収益は保全活動にあてられる。
 雲城水は2008年、環境省の「平成の名水百選」に認定された。選定基準は、「地域住民等による主体的な水環境の保全活動が行われていること」。雲城水は、その質や量だけでなく、保全しようとする人々の活動によって名水になった。
 今年の夏、一番町振興組合では1つだった雲城水の注ぎ口を3つに増やした。
「これからは地下水を共有の資源ととらえ、その保全に力を入れていきたい。駐車場もないこの公園で水を汲む人が増えると、行列の待ち時間が延びて、渋滞が起こります。少しでもそれを緩和しようと思いましてね」(宇田川さん)
 渋滞を解消することによって地球温暖化を防止する、水環境保全のためのささやかな一歩が始まった。