「まち むら」108号掲載
ル ポ

生活の知恵と暮らしていく力を育む「地域の大きな家」
熊本県植木町 地域交流サロン ばあちゃんち
 熊本県の北西部に位置する人口約3万人の鹿本郡植木町。熊本市の北部に隣接し、同市中心部から約15キロという距離から、そのベッドタウンにもなっている。また、自然豊かな農村地帯が広がる地域でもあり、全国シェアの5分の1を占めるスイカは、植木町の特産品として有名である。
 同町にある「ばあちゃんち」は、今年81歳になった太田隈(ただくま)フジエさん宅を開放し、子育て支援や高齢者の憩い場を提供する地域交流サロンである。その敷地の中には、築100年以上になる家屋や納屋、井戸があり、水神や荒神も祀られている。家の中に足を踏み入れると、昔ながらの土間が広がり、天井には飴色に変化した立派な梁が渡る。和室の襖を開ければ、広々とした座敷、そして昔懐かしい縁側が続く。まるで昭和初期にタイムトリップしたかのような、古き良き時代の日本家屋の姿がここにある。


地域の密接な交流が子育ての輪を広げる

 「ばあちゃんち」の活動がスタートしたのは、平成17年10月。植木町にある2つの子育て支援センターの企画で誕生した。「地域の台所(食を学ぶ)」、「地域の茶の間(生き方、暮らし方を学ぶ)」、「地域の縁側(人との交流を学ぶ)」の3つの柱を掲げ、伝統的な田舎の食や暮らしをありのままの形で体験できる「地域の大きな家」を目指し、活動を展開している。
 そもそも「ばあちゃんち」のノウハウは、平成13年に植木町の小学校や保育園などにより結成された「植木町子育て応援団」の活動の中で培われていく。地域全体で子育てができるよう地域力のアップを図っていた同団。熊本県「子育て応援団事業」の補助を受け、平成15年には小学校や保育園の食育も指導するように。そして、平成16年に「ばあちゃんち」運営のための準備を始める。
 「それまで植木町子育て応援団では、食育を通した様々な取り組みをしていましたが、活動の拠点が欲しいと思っていました」と話すのは、「ばあちゃんち」の立役者である植木町地域子育て支援センターの村上千幸さん。応援団のメンバーから、太田隈フジエさん宅を紹介され、「実際に生活しているお宅を利用できるのなら、より私たちの活動を実践できるのではと思いました」と、当時を振り返る。
 太田隈さんにその構想を伝えると、「子どもはそうにゃ(とても)好きですたい。みんなが来てくれると私も元気になります」との返事。その頃、太田隈さんは入退院を繰り返し、家にこもりがちだったが、「ばあちゃんち」の活動が始まると共に、すっかり健康を取り戻し、今では生き生きと楽しい毎日を過ごしているという。


食育を通して子育ての不安を解消
「地域の台所」の役割


 「おはよう。ばあちゃん、まだ寝とっとね(寝てるの)?」と、ばあちゃんを起こす子どもたち。中には、太田隈さんのご主人の仏壇に手を合わせることが、日課になっている子どももいるそうだ。広い庭では子ども同士で鬼ごっこ。ママたちは会話を楽しんでいる。ご近所のおばちゃんや農家の人たちも次々にやって来ては、納屋の板間でお茶をすすりながら井戸端会議。「ばあちゃんち」の日常は、朝早くから賑わいを見せている。
 隣接する畑は5000平方メートル。そこでは、地元の専業農家の方たちの協力や指導のもと、大豆や小麦を中心に、季節の野菜や果物を約20種類育てている。農薬を一切使わず、替わりに酢と焼酎を混ぜたものを代用。子どもたちは泥まみれになりながら土を耕し、草を刈り、水やりをする。食べる分だけを収穫し、すぐに納屋の調理場でこしらえる。
 ここでは普通は捨ててしまう間引きしたカブの葉も菜焼きにするなど、食べ物は決して無駄にしない。大豆はきな粉や豆腐、納豆に。小麦は小麦粉にしてうどんや団子に。梅干しや漬け物、干し柿などの保存食も昔ながらの方法ですべて手作りする。
 ご飯は、薪を割り、火をおこしてじっくり釜戸で焚き上げる。炊きあがったご飯は、ボタンひとつで炊ける炊飯器とはひと味違い、ふっくらとしていて甘みがあり、えも言われぬおいしさ。日頃食の細い子どもたちもペロリと平らげるというのも納得だ。
 このようにして子どもたちは、収穫するまでの過程や、それらを使って料理し味わうことで、食べ物のありがたみや、生活の知恵と暮らしていく力を自然に身につけていく。同時に、親も食を通して子育てへの自信を高めていくのだ。
 また、食だけでなく、冬には冬の暖の取り方を、夏には夏の涼の呼び込み方を伝授してくれる。訪れた人たちに“生活をしていく知恵”を授けてくれる。
 「ばあちゃんち」は、祝日を除いて朝9時半〜15時まで毎日解放され、熊本県民なら誰もが利用できる。1日5〜10組が利用し、年間5000人が訪れているという。常に近くの山東保育園の職員が2名いるほか、植木町の地域ボランティアや子育てサークルがその活動をサポート。ちょっとした子育ての悩みを相談できるのも魅力だ。利用は無料だが、季節のイベントなど費用がかかるときは実費を徴収する。
 土・日曜には「お父さんの出番塾」も開催。父親が子育ての輪に加われる取り組みも積極的に行なっている。また、毎月第3土曜日に開催する「くまちゃん市」では、加工品や野菜を販売。売り上げの余剰金を「ばあちゃんち」の運営費に充てられている。


地域ぐるみで子育てをサポート
出生率が約20%アップ!?


 昨年、植木町の出生率は約20%もアップしている。このデータには、「ばあちゃんち」の存在も少なからず影響しているかもしれないと村上さんは話す。実際、「ばあちゃんち」を利用している親たちは、「地域の方や同年代の子どもを持つママたちとの関わりが持て、心強いです」、「ほかの子育てサークルとは違って、いろんな世代の人たちと触れ合うことができ、子育てへの不安やストレスを発散できます」、「泥まみれで農作業をしたり、伝統料理を教わったり、子どもと一緒に楽しい時間を過ごせることをありがたく思っています」という声が。その言葉から、安心して子どもを育てる環境が整ってきているのを感じる。
 人と人のつながりが希薄になっている現代。身近に頼れる人がたくさんいることは、子どもを育てていく上で何よりも心強いことである。「子育て経験者から直に教わることで、子育ての不安は取り除かれます。また、お年寄りたちも子どもたちから元気をもらえますからね」と村上さん。また、子どもたちが大人になった時、「ばあちゃんち」で感じた音や匂い、畑がある田舎の風景、そしてここで体験したことが、生かされるに違いない。