「まち むら」112号掲載
ル ポ

住民総出の地域づくりを実践
山形県川西町 NPO法人きらりよしじまネットワーク
設立趣旨・新しき自治体を目指して

 山形県の南部に位置する東置賜郡川西町吉島地区は、最上川、鬼面川(おものがわ)、誕生川が合流する広大な地形に開かれた。集落は洲島(すのしま)、吉田、尾長島、下平柳から成り、戸数750、住民約3000人を数える稲作が盛んな土地柄である。
 かつてはこの地方も、農村社会における連帯意識を基本とした助け合いの心で生産に励み生活が営まれてきた。しかし、急速な少子高齢化に伴う人口の減少、核家族の増加、老子の福祉、若者の就労場といった問題を抱え、住民の連帯意識は次第に希薄化になった。その手立てに地区の有志が立ち上がり、社会教育振興会を主眼に事業の活性化を試みたが制限があり課題は重過ぎた。
 そこで地区公民館が母体となり、自分たちの力で行政や企業に負けない地域密着型の住民サービスに併せ、雇用の場も促進させようと、全戸加入の任意団体を発足させた。だが、県や町の行政と対等に肩を並べて運営するにはNPO法人化が最重要課題と考え、既存団体の見直しを図った。
 これまで慣例だった自治会長や役員など、いわゆる“あて職”を廃止して「自治」「環境衛生」「福祉」「教育」の4部会を構成した。地域おこしに熱意がある若者を募るなど地道に活動を続けた。2007年9月、待望の特定非営利活動法人(NPO)の認可が下りた。そして地域住民が輝いて暮らせる願いを込め、「NPOきらりよしじまネットワーク」の名称で正式に歩み出した。


誇れるわが地域活動

 現在の組織立ては、理事長、理事を含め、地区の8支部から推薦を受けた見識者10人、常勤4人、非常勤16人で運営。規約、人事、予算、事業計画も一元化した。事業は「社会教育」「生涯学習」「生涯スポーツ」「子育て支援」「災害時、平常時の要援護者支援」「地域産業振興」「環境衛生」「防災防犯」「情報発信収集」の9つの項目がある。年間を通してそれぞれの事業に経験豊かな指導者を外部からも招き、活動する地区民の姿を紹介する。
 「自主防災組織」災害から地区民の生命や財産を守るために欠かせない組織だ。8つの支部体制が取られ、各自治会と小学校に防災無線を備えて災害情報の迅速化を図る一方、一時待避所には救助用工具が配備されている。さらに全家庭には危険箇所を明示した安全マップを配り、災害時に援護を必要とする人に対して2名の救護者が当たる配慮である。毎年8月には災害時を想定し、隣組→自治会→自主防災本部→川西町の順に緊急連絡網を取り、地区民総出の訓練が行なわれる。また、自主防災組織には犯罪から子どもたちを守る「よしじま見守り隊」がある。地域から募った約50人の隊員が朝と夕方時に、管内はもとより校舎などの公的施設を対象に厳しく巡視している。
 「わんぱくキッズスクール」毎月一度、小学生を対象に農業や野外活動を通してコミュニケ―ションの持ち方を大人も参加して学習する。他県の子どもたちとの交流会も毎年開催され、グリーンツーリズムと活動のネットワークも整い、JA青年部やボランティアサークルの若い世代に支えられている。
 「よしじま燦燦塾」毎年5月から11月まで12、3回、小学校の空いている教室を活用し、平日勉強する子どもたちと同じ時間帯にお年寄りが集まって学習する。高齢者の社会参加推進と寝たきりにならない体力を養うために開校した。普段、学校を訪れる機会の少ないお年寄りと子どもたちが触れ合える環境にあり、理想的に学校と地域の連携が保たれている。
 「よしじま産直市」住民所得の向上を図るため、地元コンビニとの協働で地産地消を進める一方、特産物を全国に向けて発信するなどネットショップにも力を入れている。将来はレストランを備えた産地直送ステーションの構想も掲げ、地域住民と約束した産業振興策の夢が膨らむ。
 ほかにも住民ボランティアによる「美化運動と緑化推進事業」の中に、環境保全の「家庭のエコ活動」がある。各家から流出する汚水を防ぐに廃食油を回収して石けん作りの講習会が開かれ、主婦たちは真剣に取り組んでいる。また、放課後、留守宅の子どもを預かる「児童クラブきらり」や住民の運動促進を図る「マイマイスポーツクラブ」。それに地域のまつりを活性化しようと、「風きらり」と呼ぶ和太鼓チームが発足した。日々練習に励む勇壮なリズムが響き、民衆の心をときめかせている。


人材育成とプランニング

 これらの活動を維持するには、助言や企画力のある人材が求められる。それには各自治会から推薦された地域性をよく知っている若者を中心に専門部制度を設けて講習会を開き、創造性豊かなリーダーの発掘も欠かせない。
 設立当初からまとめ役を努める事務局長の高橋由和さんは、「地域が抱える問題を財政困難な町の行政に依存しては解決されず、独自の理想を掲げて地区の立て直しをするほかはなかった。それには仲間たちと綿密な計画書を作成し、住民が納得して意識を変えるまで幾度も説明会を行なった。幸い当地方には、昔から協力性を重んじる気風があり、多くの賛同を得ることができた。発足当時からマスコミにも注目され多数の賞を受けた。しかし楽観はできない。地域民の生活がかかっている。丹念に事業の検証を重ねながら20年を見据えた地域づくりの構想である。今後の課題はより住民と連携を密にし、コメを主力に置いた生産ビジネスを発展させ、地区の財源確保に努めることにある」と語る。


吉島周辺は歴史文化の宝庫

 最上川と鬼面川の合流地点に島のような大きな中洲が望める。その景観から吉島4集落の1つ、「洲島」の地名が発祥し、かつては物資輸送の舟が行き交う船着き場で栄えた。一方、「鬼面川」の語源も興味深い。平安初期の女流歌人小野小町が、出羽の郡司に任命されて行方不明になった父の良実を探し歩いた。当地方を訪れた小町は疲れ果て、川面に映る自分の姿が“鬼”のような様相だった伝え話が附会し、川の名に定着したという。
 ほかにも最上川を挟んで対岸の高畠町に夏茂(なつも)という地名がある。そこには伊達家16代米沢城主の輝宗が、天然痘で右目を失った息子の梵天丸(後の独眼竜政宗)の将来を案じて虎哉(こさい)禅師に教育を頼み、学問寺に開放した資福寺跡が残、中世期の置賜地方の歴史をしのばせている。
 また、町の中心地小松には平安期、法相宗の僧・徳一上人が法輪の罪で東国に流された際、当地の村人に教えたという勇壮な「小松豊年獅子踊」(山形県無形文化財指定)が伝承されている。また、当地は直木賞作家、故井上ひさし氏の生誕の地である。少年時代の思い出を題材にした「下駄の上の卵」や夏休みに仙台の孤児院から古里の川西へ帰省した際の自伝小説「あくる朝の蝉」などがある。これらの貴重な歴史や伝説、それに文学を観光面にも大いに生かし、プロジェクトの輪をさらに広げようとしている。