「まち むら」114号掲載
ル ポ

自らの行動で伝える「自然の尊さ」と「地域の魅力」
兵庫県多可町 八千代蛍の宿路の会
蛍の住処を守りたい

 兵庫県多可郡多可町八千代区俵田地区。のどかな田園風景の広がる人口200人ほどの集落で「八千代蛍の宿路の会」は活動している。
 もともと、八千代は凍豆腐(高野豆腐)づくりで栄えた地区であった。工場生産の波で衰退した後、次に地域を支えたのは播州織だった。しかしこれも1980年代前半頃を境に担い手が減少していった。
 そんな中、昭和63(1988)年に野間川上流にゴルフ場がつくられることになった。折しも、商工会などが中心となって地域の活性化に取り組み始めた頃だった。地区の自然環境の現状を知るため野間川を訪れた小牧さん(「八千代蛍の宿路の会」発起人)は無数に飛び交う蛍を目にし、思った。「こんなに多くの蛍の住処となっている環境を、壊すわけにはいかない」
 こうして誕生したのが「八千代蛍の宿路の会」である。


「自らの行動で示す」

 このようなケースでよくあるのが、ゴルフ場建設の反対運動を起こしたり、行政に対策を要請したりということである。しかし小牧さんたちのやり方は少し違った。「反対したり責め立てたりするのは簡単。しかしそれよりも、自分たちの行動で示さなければいけない」。そう考えた小牧さんは、自ら蛍のための環境を守り、蛍の里として地区をアピールする活動を始めた。
 まずは地元の中学校の先生から蛍の生態や習性などを学んだ。蛍は非常にデリケートな生き物だ。暑さに弱く、水温が25度以上になると死滅してしまう。一方、俵田地区の野間川流域は南からの日が川沿いに当たりにくい。つまり蛍が生息するのに適した環境が整っているのである。
 この恵まれた条件を活かし、蛍の住みやすい川をつくるため、河川の掃除を始めた。大量のゴミと格闘しながらの清掃活動を2ヶ月間続けたという。今でも年に3回ゴミ拾いの活動を行なっており、ゴミの量は徐々に減少している。
 また、飛行中の蛍は光を嫌う。そこで、周囲の光を遮断するため、川沿いに桜の木を植えることにした。当時河川敷に桜の木を植えることを禁止していた国交省を説得し、実現にこぎつけた。鹿に食べられてしまったり、水に流されたりすることもあったが、そのたびに何度も植え直したという。
 蛍の卵やカワニナ(蛍のエサとなる巻貝の一種)を地域の各家庭で育て、川に放流する取り組みも行なっている。それによって、蛍の数を増やすだけでなく、地域の人たちに、自分たちの育てた蛍が飛び交う喜びを実感してもらう効果もある。
 その他にも、炭やセラミックス、EM菌を使った水の浄化や、700メートルに及ぶ水路(魚道)の整備などを通じて、蛍の生息環境の改善に取り組み続けている。
 活動を始めた当初は蛍の乱獲が多かったため、毎晩川に通い、1ヶ月間寝ずの番も続けた。まさに一意専心に蛍のための環境づくりに尽力してきたわけである。これらの活動が実を結び、今では俵田地区は関西有数の蛍の観賞スポットとなっている。毎年6月に開催される蛍観賞会や、蛍シーズン中には10万人を超える人が集まるようになった。遠いところからでは、岡山、四国、東京や外国からの来客者もいるという。


多様な展開を見せる活動

 蛍が多く飛び交う環境を守りたい。その思いから始まった活動は直接的な環境保全にとどまらない、様々な展開を見せている。例えば、蛍の観賞に来た都市部の人たちを対象に、蛍の生態だけでなく、八千代太鼓などの地域の文化、風習についても話をすることで、自然環境についての見識を深めてもらうとともに、蛍を通じて八千代の魅力を知ってもらうきっかけにつなげている。
 また、地区に残るすばらしい自然やその大切さを後世に伝えるため、地域の小学校などで講演も行なっている。若者を始めとして、一人でも多くの人に自然の尊さを知ってもらうことで、将来俵田の環境を守る担い手が生まれることが期待される。
 平成5年には、全国初の滞在型市民農園「フロイデン八千代」の管理者に選定され、施設を利用する関西各地の都市住民との密な交流が始まった。今では、蛍観賞会、レンゲまつり、収穫祭などの催しや河川の清掃活動を都市住民が一緒に行なうようになっている。
 尼崎との交流は今年で16年目を迎える。そもそもは、阪神大震災の時に、大きな被害を受け蛍がいなくなった川の復旧に協力したことがきっかけで生まれたつながりだ。最近では、西武庫公園で蛍を飛ばす活動に取り組んでいる人々に宿路の会のノウハウを指導している。今後も民間レベルでの交流が深まっていくことだろう。
 さらに、地元の主婦5人による「ホタルのおかんずー」も誕生した。フロイデン八千代で手作りのポン酢、マーマレード、柚子味噌やキクイモなどを特産品として販売し、施設の利用者たちに好評を得ている。
 このように、自然を守るための活動が、都市住民との交流や新たな活動の展開を経て、徐々に地域全体を元気にする効果を生み出しているのである。


蛍を通じて学ぶ自然の尊さ

 当初は2人だけで始めた活動であったが、今では地域内だけでなく周辺企業や都市住民との協力の輪も広がっている。会の発足当初は資金が少なく苦労したそうだが、県や国からも支援を受けるようになった。これは、小牧さんを始めとした地域の人々の強い熱意と地道な活動の賜物であるといえる。蛍の住みやすい環境を作るために試行錯誤を繰り返したり、地域の人たちからの理解が得られず悩んだり。そうした様々な困難にもくじけず、20年以上にわたって活動を続けてきたその原動力は何だったのだろうか。
「蛍を見た人々が『こんなに美しい蛍は見たことがない』『感動した』と言ってくれる。その声に励まされてここまできた。また、地域のみなさんや家族の理解と協力があったからこそ続けられた」そう小牧さんは語る。
 それでも、いまだに苦労は絶えない。予想以上に増えた蛍観賞の来客者の安全性をどう確保するかが新たな課題となっている。また、若い後継者の育成も大きな問題だ。温暖化がもたらす蛍への影響も懸念されている。しかし、これまでもそうであったように、地道な活動を通じてこれらひとつひとつが少しずつ改善されていくことが期待される。
「私たちは自然に生かされている。自然には様々な恩恵と怖さがあり、その両方を知った上でうまくバランスを保つことによって、人間は豊かな生活を営むことができる。逆に自然のありがたみにあぐらをかいていると、いつかしっぺがえしがくるだろう。まずは蛍の美しさに触れることで、自然の大切さ、尊さをより多くの人たちに実感してもらいたい」。小牧さんに今後の展開についてお聞きしたところ、こんな答えが返ってきた。
 どんなに小さなことでも自分ができることから始め、ひとつひとつ地道に取り組んでいけばいつかは実を結ぶ。それはまちづくりでも同じで、住民自ら行動を起こすことが、少しずつ地域の元気につながっていく。「八千代蛍の宿路の会」の取り組みは、そんな普段忘れがちな、しかし一番基本的で大切なことを私たちに思い出させてくれる。