「まち むら」116号掲載
ル ポ

市(し)の中に市(いち)立て 交流人口増加を
長野県大町市 美麻地域づくり会議
 大町市美麻(みあさ)地区は、長野県北アルプスのふもとの山岳都市・大町市の東側の玄関口。標高1000メートル級の山々に囲まれ、昔ながらの山村の姿を残す。ここで、月に一度「美麻市(いち)」が立つ。
 合併後の地域を自分たちで守り育てようと取り組む地域自治組織「美麻地域づくり会議」(合津富吉会長)を核とした活動の集大成として定着してきた。過疎に悩む地区で交流人口を増やす場となり、心のふるさととして「美麻」に愛着を持つ人をはぐくんでいる。


多彩な人々が触れ合う「美麻市」

 美麻市は、長野市と白馬村を結ぶ主要道路に面する道の駅・ぽかぽかランド美麻で、毎月第1日曜日を原則に開催。地産野菜などの朝市を核に、地域の様々な活動や催しの発表の場とすることで、市内外の住民が触れ合う場を目指してきた。
 ネーミングにもこだわった。リーダーは「市長(いちちょう)」、マークは「市章(いちしょう)」、特典がある会員は「市民(いちみん)」―。「市(いち)」と「市(し)」をかけて、人口3万人の「市」の中に交流人口5万人の「市」をつくる―。合併した中でも地区の矜持を忘れず、遊び心あふれる名をつけ、誰もが気軽に交流できる場に育てようと願いを込めた。
 会場には屋外に農家の直売や飲食店のブースが並び、全天候型ゲートボール場を活用した屋内では、源流美麻太鼓の演奏会や地区の文化祭や、学校の吹奏楽の発表、伝統の麻細工や地域のクラフトマンが教える体験講座などの催しが行なわれる。幅広い世代や住居地の人々が集い、同じ「市民」として笑顔を交わしている。
 一つひとつの団体では出来ない規模の催しも、相互に活動を支援し、力を合わせればできる。地域づくり会議ならではの横のつながりで、実現した。


発想を転換 交流人口を増やせ

 合併当時は1230人ほどいた人口も、今では1080人程度。急峻な山あいの集落が点在する「村」では高齢化率が進み、出生率より死亡率が高い以上過疎は防げない。地方経済が悪化する中で人口流出も止まらない。どうするのか。
 美麻を自分たちの地域と考える人を増やし、将来の移住者の増加につなげるしかない―。地域づくり会議のメンバーは発想を転換。地区「住民」の人口を、@地区に住所を持つ「定住人口」、A市民農園利用者など都市と行き来する「二地域居住人口」、B旅行者など「交流人口」、Cインターネットなどでつながる「情報交流人口」―の4つにとらえ直した。
 美麻市では、さまざまな行事や住民活動の場を組み込むことで、地区内の老若男女や都会から移り住んできた移住者が参加できる。道の駅という場所がら、北アルプスを目指す旅行者も立ち寄る。みんなが一つの場に立ち寄ることで、美麻への思いが深くなる。


手弁当で情報発信

 合併で役場がなくなれば、行政から伝わる情報も激減する。地域の課題を解決するには、人と人のコミュニケーションで共有しなければと、2か月に1度と、こまめな広報誌の発行に取り組んだ。各団体の取り組みや地域づくりの情報などを細かく掲載。地元紙の記者からアドバイスをもらうなど、内容を煮詰めていった。
 地域の情報を発信するためのホームページは「美麻Wiki」。継続して更新ができるよう、誰でも書き込める形をとった。作っただけで更新が止まりがちなサイトとは一線を画し、美麻市の開催情報などを頻繁に更新。姉妹都市交流で渡米した子どもたちの様子が日本でわかるなど、しっかりと活用している。
 合併後の地域活性化のために誘致したインカレの自転車ロードレース大会では、フリーの中継サイト「ユーストリーム」を用い、大会の様子をインターネットで全世界に生中継した。
 旧村時代にいち早く導入したケーブルテレビ網が全戸に整備され、ネット環境も申し分ない。役場にはケーブルテレビの撮影経験を持つスタッフも残った。子どもたちは姉妹都市交流で英語のメールを交わすほど。メディアリテラシーが比較的高いこれらの環境を生かし、いずれも住民の手弁当で、お金をかけずに実現した。


合併論議から生まれた地域自治の機運

 時は戻り、平成16年。旧美麻村に押し寄せた平成の大合併の波は、大きく村民を巻き込んだ議論となった。隣の大町市は人口3万人規模で、編入合併は避けられない。姉妹都市だった米国のメンドシーノ州との子どもたちの相互訪問交流や、旧八坂村(現・大町市八坂)と行なっていた山村留学、都会の人が滞在し畑を耕す「市民農園」など、地域で独自にはぐくんできた取り組みは新市に残せるのか。合併すれば地域が消滅するのでは―。危機感が募る中、住民有志や若手職員の中から機運が高まり、地域自治組織の設立が提案された。
 立ち上げに向けても苦労の連続だった。アドバイザーとして、合併問題と地域づくりを見守ったのは、江戸川大学教授で鈴木輝隆氏、関西学院大学教授の小西砂千夫氏、北海道ニセコ町長の片山健也氏など。「何をやりたいか、住民が考えて取り組むしかない」。厳しい叱咤激励が飛んだ。夜毎の会議が続き、堂々巡りの中で反発も一度ではない。苦難を乗り越え、地域自治組織の実働部隊として「美麻地域づくり会議」が始動した。合併して4か月後の平成18年5月だった。
 構成団体や個人は、自治会や公民館、老人クラブ、企業や氏子総代、姉妹都市交流や太鼓、Iターン支援のボランティア団体など、その数は40余りにのぼる。市が諮問する地域づくり委員会と両輪を担い、スタートした。
 行政頼りだった村民が地域の存亡を憂いて立ち上がり、「ずく(やる気)を出そう」と手を動かしてきた結果が実を結んでいる。


成果と課題 今後につなぐ

 美麻市は22年4月、旧美麻村の135周年記念と同時にスタートした。4月から12月まで年に9回、2年目を終えた。市民登録を済ませたのは地区内・地区外合わせて約320人。平成23年は延べ2920人が来場している。一定の成果を挙げているが、まだまだ課題は多い。イベント内容次第で、参加者の数も層も上下する。滞在時間を増やすためにも、今後も魅力的な企画が求められる。
 地区内では、新たに訪れた移住者らをどのように地域づくりに巻き込んでいくかも課題だ。今後は新規移住者向けのガイドブックを、現在の移住者とともに作り上げていくことなども検討している。作成作業を通し、両者の融和が深まることも願う。
 合津会長は「移住者や市民が触れ合える場所としてつながってもらえれば、住んでもらえるようになる」と話す。人と人が交わるところに縁が生まれ、その地に根付く。
 地域に住む人々が力を合わせ、ずくを出してきた取り組みが具現化した美麻市。ふるさととは、このようにできていくものではないか。