「まち むら」117号掲載
ル ポ

棚田への思いを繋いで保全活動
静岡県菊川市 NPO法人せんがまち棚田倶楽部
荒れていく棚田

 「せんがまち」とは、数字の「千」にあやかって“せん”それに区画の意味をあらわす“がまち”からの由来にて上倉沢の棚田は、そう呼ばれ親しまれてきた。
 菊川駅から北東へ約7キロ、牧之原台地の西斜面、田んぼが階段状に連なり、面積10.1ヘクタール、最盛期にはその数3千枚以上、毎年5百俵余の米を生産していた。1枚1枚の面積が小さく昔、1枚足らないと探したところ、蓑の下に隠れていたという笑い話が伝わるほどだった。
 その後、数十年前から減反政策をきっかけに、高齢化問題、作付けにおける効率の悪さなどが原因で、棚田は荒れていった。現に取材に訪れた際にも、まだ3分の2くらいは荒れていた。


棚田への憧憬

 今、この荒れていった棚田がいろいろなところから脚光を浴びてきている。
「年々荒れていき作付け出来なくなっていっていました。ここで子どもの頃から、採れたお米を食べて、田んぼで遊び、蛍を見たり虫を捕まえたりして多くを学んできました。このままにしておいては、本当に棚田がなくなってしまう。荒れていく風景を見ていて、辛かった」とせんがまち棚田倶楽部の山本哲さん。
 平成6年にせんがまちを考える会を発足。当初は地元の有志で、子どもを集めて凧上げ大会やウォークラリーなどを通じてせんがまちについて考える時間を設けていった。
 そんなおり、平成10年に農耕具を入れてあった倉庫が火事にあった。火事で耕具が燃えてしまい、棚田の所有者が田んぼを辞めると言い出したのである。道路に面した位置にあったその田んぼは棚田でも象徴的な場所だった。
「辞めるのであればせんがまちを考える会で、なんとかするので貸して下さい」それがきっかけで、田植えが始まった。それから1年でなんと平成11年に「静岡県棚田等十選」に選ばれたのだ。入選を機会に「棚田保全推進委員会」に名前を変更。平成22年よりNPO法人せんがまち棚田倶楽部になった。


棚田から広がるコミュニティ

「活動の目的は主に棚田の保全。景観保持、子どもに自然の大切さを知ってもらう。最後にお米作りですね」と山本哲さんは笑う。
 1年の棚田の活動を通じて、地元の幼稚園、小中学校から高校生、県内の大学生がボランティアで来ている。農業体験として授業の一環で来ることもあれば、学校に赴いて教えることもある。ボランティアを通じて知り合った仲間も多岐に渡る。
 現在、定期的に交流を持つ静岡大学のサークルである棚田研究会もそのひとつだ。「一緒になって棚田のお米を使った新商品を考えていますよ。若い人たちと交流する良いきっかけです」さらに静岡大学の大学院生による生態学研究室はせんがまちを研究材料としている。せんがまちは、生物、植物に在来種が驚くほど多い珍しい地区なのだそうだ。
「生き物、植物。普段当たり前と思って接してきたものが、非常に珍しいものだった。他から人が入って来ることで、益々この土地の価値を知りました。よく見かけていたカエルがニホンアカガエルという絶滅危惧種だったんです。このカエルは真冬に卵を産むんですよ。そのため、冬場でも田んぼに水を張っているんです」と日差しに照らされて山本さんの笑顔が輝く。その他にも田んぼの貴公子シュレーゲルアオガエル、ゲンジボタル、ニホンタンポポ、ササユリ、シャジクモなど、季節の移り変わりを感じさせてくれる自然がまだまだ残る。
 また、菊川市文化協会写真部との共同事業として、毎年6月に行われるあぜ道アートがある。あぜ道にロウソクをたてるのだが、夕方からの景色はとても幻想的だ。年々参加者が増え、昨年は600名以上が参加した。「用意した駐車場だけでは足りなくて、道路整理が大変でしたが、棚田を知ってもらい、昔ながらの景色をみてもらうには、良い機会です」
 18年間続いた結果、周囲を巻き込み活動自体が大きくなってきている。人が集まり地元だけではないコミュニティが形成されている。
「ここまで長く続いたのも、まとまる“核”があったからだと思います。そして、地元のメンバーの思いも一緒だったんだと。最近は、静岡県の職員の方や、県外の大学の方までが視察に訪れます。そのまま、休日はボランティアで参加してくれる方も結構います」と言う山本さんの人柄の良さはコミュニティが長く続いた理由のひとつだと伺わせる。また、
「私たちも毎年棚田の勉強のために視察に行きます。棚田サミットに参加したり、棚田での横の繋がりで情報交換しています」現状に満足せず日々勉強していくことは活動が大きくなっていくことにおいて重要だ。


助成金に頼らない組織づくり

 平成22年度NPO設立を機に、棚田のオーナー制度を始めた。「オーナー様の特典は収穫棚田米(新米)10キログラムと新茶500グラム。あと作業に来ていただいた際に棚田女性部による地場産品を使った手作り弁当が出ます。毎年好評です」その他、賛助会員も募集している。「以前は、手持ち弁当の上、なにもしてあげられなかったのが、NPOになって少しは給与が払えるようになった」
 静岡県の補助事業にも積極的に参加している。平成22年、23年と荒廃農地再生事業に協力をし、その補助金を使って水車を作った。そして、その水車を利用して水力発電を行い、鳥獣被害対策の電柵を設けた。極力助成金に頼らないのは活動資金が自立した活動こそが長続きするとの思いからだ。
 また、平成22年に一社一村しずおか運動も始めた。せんがまちの活動報告用に活用するためにホームページ・ブログの制作を(株)ウェブサクセス、平成23年には田んぼを起こしたり、荒れた土地を耕すのに重機を借りるために(株)沖開発と提携した。


繋がっていく思い

「今後の活動としては、まだまだ荒れている田んぼがあるので、なんとかしていきたいです。ただ、長い年月で水を引き込めなくなっている所もあるので、そこは段々畑にしていきます。徐々にメンバーも高齢化していっているので、広がっていくコミュニティの中から後継者が育っていってほしいですね」と現実を見据える一方で、「1年中楽しめるように、桃、桜、梅などを植えて、せんがまちを桃源郷にしたいです。電車から見た景色でみんなが癒されるようになるといいですね」と山本さん。荒れ果てた棚田からはじまる、絆より繋がっていく夢は果てしない。