「まち むら」118号掲載
ル ポ

特産品開発から広がるまちづくり
熊本県小国町 小国菊芋倶楽部
定年帰農で菊芋を栽培

 まぶしい陽光が降り注ぐ自宅横の畑で、夏野菜が日ごとに成長する。
「朝、起きてから、この畑を見て回るのが楽しみなんです。私だけでなく、夫も母も。それから3人で朝ごはんを食べると、ほんとうにおいしいんですよ」
 橋本はるみさんは夫、克征(かつゆき)さんの定年を機に関西から熊本県小国町に帰郷した。はるみさんの母、ミネ子さんが丹精し続けた畑はいま、2人にとっても健康と生きがいの場となっている。8アールの畑には、周到な計画に基づいて植えられた野菜が整然と並ぶ。その一角に、ひときわ背が高い植物の群れがある。
「小国に戻った最初の秋に、黄色い花があちこちで咲いていたんです。その美しさに惹かれて、親戚から種芋を分けてもらい、栽培し始めました。無農薬でも手がかからず、素人でもつくりやすいと聞きましたが、そのとおりでした」
 それが菊芋だった。2年前、0.1アールに植えた菊芋を昨年は0.4アールに、今年は1.3アールに増やした。秋に花を生けて楽しみ、冬には収穫した芋を食卓に乗せ、食べきれない分は販売する。2年前に34キロだった販売量は、昨年は120キロに増加した。
 橋本さんから菊芋を購入するのは、2007年に結成された小国菊芋倶楽部。その活動が、帰郷まもない橋本さんが栽培を通してまちおこしに参加し、ささやかな収入を得ることを可能にした。


健康を切り口に新たな特産品開発をめざす

 小国菊芋倶楽部は、地域経済を活性化する新しい特産品開発をめざす有志5人が集い、代表の児玉政俊さんが経営する酒店を事務局に活動を開始した。
「健康を切り口にした商品を検討するなかで、メンバーで唯一の農家、渡辺泰治さんが北陸から取り寄せて栽培していた菊芋を研究を始めたんです」
 北米原産の菊芋は幕末に日本に伝えられると、秋に菊のような黄色い花を咲かせ、地下には生姜のような芋をつけることからかれんな和名が与えられた。繁殖力が旺盛で、寒冷な気候や荒れた土地でも成長する。そのため飢饉など食糧難に備える救荒作物として全国に普及したが、経済成長とともに忘れられた。ところが、食後の血糖値の上昇を抑制するため「天然もインスリン」の異名をもつイヌリンという成分を含むことから、健康野菜として再評価されるようになった。
 糖尿病などの生活習慣病が改善されるうえ、標高の高い小国の風土に適している。メンバーは、漬物にして食べる習慣が根づき、栽培が継続されてきた長野県や岐阜県を視察するなどして研究を深め、特産品のアイテムを菊芋に決めた。
 その後、健康に関する講演会や料理講習会、花の写真コンテストや温泉に花を浮かべる花湯などのさまざまなイベントを開催。イメージキャラクター「健康の味方!キクイモマン」や「キクイモマンの歌」まで生み出すなど、メンバー自らが楽しみながら、思いつくかぎりのアイデアを考案しては実行する努力を続けてきた。


火山の恵み、地熱を利用

 大分県から熊本県にまたがる火山、九重連山の裾野に広がる小国町は、各所で温泉が湧出するように豊かな地熱資源に恵まれている。なかでも西里地区の岳の湯集落では、地熱の蒸気が自噴している。県境を隔てた大分県九重町には、国内最大の八丁原発電所をはじめ九州電力の地熱発電所が3か所もある。これに対して岳の湯では、温泉のほか、調理や給湯や暖房、農産物の乾燥など熱利用の手法を進化させてきた。
 各世帯では自噴する蒸気を配管で住宅に導き、料理や給湯、暖房などに利用している。さらに集落が所有する共同井戸の蒸気は、公設民営の温泉と食事処「ゆけむり茶屋」や、小国町森林組合が運営する木材乾燥施設にも供給している。
 小国菊芋倶楽部は、地域固有の自然エネルギーである地熱に着目した。その理由を、児玉さんは次のように語る。
「生活習慣病が増加するなかで菊芋が普及することは確信しましたが、小国ならではの商品として差別化するために、地熱の利用を思いついたんです」
 菊芋倶楽部では、「地獄」と呼ばれる蒸し釜で蒸し芋にするほか、民家の乾燥室でスライスした菊芋を乾燥させてチップスにし、これを粉末にしたパウダーも商品化した。東洋思想と和食に基づいた食養生法、マクロビオティックの研究家でもあるメンバーのひとり、北里洋子さんは、加工のこつを次のように話す。
「『一物全体』の考えに基づき、皮をむかずに蒸し、乾燥させることで味もよくなり、菊芋全体の栄養もいただけます」
 自然エネルギーである地熱を利用することで、菊芋の関連商品は健康だけでなく、環境にもやさしい特産品になった。


特産品が新たな特産品を生む

 小国菊芋倶楽部では、生産量を増加させるために栽培面積を拡大させながら、消費を促進するための商品開発にも力を入れてきた。
「無理をしてでも確実に菊芋を買い取り、生産意欲を高めることによって、生産量を増やしてきました」(児玉さん)
 活動開始から5年を経て、1ヘクタール以上に作付する専業農家から家庭菜園で栽培する人まで、菊芋の生産者は150人を超えた。それによって休耕田も活用されるようになった。たとえば、メンバーの渡辺さんは3ヘクタールの経営面積の3分の1にあたる1.1ヘクタールに菊芋を作付しているが、そのうち0.5ヘクタールは借り受けた休耕田だ。
 一方、買い取った菊芋の商品開発にも力を入れ、味噌漬け、まんじゅう、せんべい、かりんとう、アイスクリーム、プリン、焼酎などを試作。いまや商品数は10を超える。さらに家庭での普及をめざして、北里さんが50以上のレシピを集めた料理本を出版した。こうした活動の積み重ねが実を結び、小国の菊芋そのものと地熱エネルギーの両方が注目されるようになった。
 菊芋の生芋は、福岡県北九州市の中央御卸売市場に出荷するようになり、蒸し芋などは京都の老舗うどん店のニューヨーク支店でも人気を博している。また、自然エネルギーである地熱の利用も評価され、菊芋以外の野菜を地熱で蒸し、乾燥させた商品への問い合せも増えた。これを受けたメンバーは、人参や大根、ごぼうなどさまざまな乾燥野菜の商品化をめざして試作を重ねている。
 菊芋とその関連商品は小国町の特産品として定着し、多くの町民が生産に関わり、休耕田が活用され、農村景観も向上するなどの成果を上げた。そのなかでメンバーの最大の喜びは、たくさんの人たちに糖尿病がよくなったと喜んでもらえたこと。健康を取り戻したこうした消費者が、強力な応援団として菊芋の普及を支えている。