「まち むら」123号掲載
ル ポ

井戸掘りから見える地域活動の姿
神奈川県横浜市神奈川区 滝乃川源流を守る会
 横浜市営地下鉄の片倉町駅で下車、新横浜通りを横浜駅の方向へ歩いておよそ10分。児童公園を目印に右折してしばらく歩くと、道沿いに湧水の小さな池がある。住宅地のなか、まるで別世界のような落ち着いた雰囲気の空間だ。パネルの案内文に「滝の川の水源の一つ」と記されている。その下に「井戸掘り隊 募集!!」の掲示もある。
 ゆるい勾配の道を進むと、防災備蓄倉庫が見える。その先に、足場板を載せた工事用の小さなやぐらが建てられて、10数人の大人と子どもが楽しそうに寄り集う姿があった。皆で井戸を掘っているのだ。
 「滝乃川源流を守る会」(代表・瀬井恒之さん)の活動場所は、横浜市神奈川区片倉2丁目、高度経済成長期に開発された住宅地に、2001年に誕生した片倉うさぎ山公園だ。

湧水をよみがえさせる

 東日本大震災後の5月のことだ。瀬井さん(1954年生まれ)は、地域の仲間と酒を呑みかわしながら自分たちにできることはないかと真剣に考えた。「ここには池がある。水を確保しよう」と相談がまとまる。「始めちゃったほうがいい」と、まず3人で活動を始める。その後、17〜18人のメンバーで、滝乃川源流を守る会を立ち上げる。片倉地区の青少年指導委員・スポーツ推進委員・消防団員、それに神大寺小学校のおやじ倶楽部のメンバーなどが加わって、今では会員が30人ほどに増えた。
 最初の年、池を掃除してカワニナと蛍の幼虫を放した。が、育たなかった。そこで、神奈川区の土木事務所と相談、本格的な改修工事を、公園愛護会の事業として行なうことにする。ユンボ(油圧ショベル)を持ち込んで作業を進めた。瀬井さんは総合建設業の会社に勤める“建築屋”。重機の手配や土木工事の采配はお手のものだ。底にはヘドロが50センチメートルも溜まっていた。その半分を取り除いて砂利を入れた。すると、新たに何カ所かから水が噴き出した。水源が復活したのだ。2年目の6月には、池に手づくりドームを設営して蛍の鑑賞会を開催した。3年目の今年の鑑賞会には300人を超える住民が集まったという。
 これに続いて井戸掘りを計画する。災害時に手洗いやトイレに活用する水を確保するための防災井戸だ。かたちだけの防災対策ではない、いざというときに実効性のある防災対策を、と考えた。「平成24年度ヨコハマ市民まち普請事業」に応募して60万円の助成金を得る。町内会からも活動費を受け取った。今年7月、井戸掘り隊への参加を広く住民に呼びかけて手掘りの井戸づくりを始める。

井戸を掘る

 わたしが訪ねたのは、その作業日。手慣れたふうの作業着姿の男の人たち、お揃いのつなぎを着た女の人たち、楽しそうな子どもたちが作業に加わっていた。お洒落なつなぎは、会員がデザインしたオリジナルだそうだ。地元小学校の女の先生がやって来たのには、ちょっと驚いた。この地域では学校の先生の参加も普通のことのようだ。子どもたちも嬉しそうだ。
 井戸掘りの作業は、こんな具合に行なわれる。丸い枠で囲んだ穴の真ん中の地面にパイプを差し込んで掘りすすむ。パイプの先端に土を回収する爪が付いている。地上に突き出たパイプには、十文字にもう一本のパイプが取り付けられている。そのパイプを握って何人かで押してぐるぐると回る。大人がパイプの上に乗って重みをかける。このようにしてある程度、掘りすすむと、パイプを地面から引き抜き、爪の内側に溜まった泥を取り除く。再びパイプを差し込む。これを繰り返すわけだ。
 見ているうちに、子どもたちが作業に加わった。皆、一生懸命だ。5年後、10年後に「この井戸を掘った」と自慢できる。こんな楽しい夏の思い出があるだろうか。
 井戸の掘り方はインターネットで調べた。しかしそれだけでは難しい。実は最初の仲間の一人、新毛治美さんは建築物の基礎工事に従事する“杭専門業者”。プロが加わっているのだ。年初めには試掘もした。道具は、用意した材料にボルトを通したり、溶接をしたりした、すべて手づくりだ。完成すれば手押しポンプを載せる。
 この活動には、多彩な地域活動の経験の積み重ねがある。その一つを挙げると、ヨコハマ市民まち普請事業に選ばれたのは初めてではなく、2度目なのだ。1度目は、2008年3月に完成した、うさきちハウスの建設事業だった。

子どもたちへ手渡すもの

 この話は、片倉うさぎ山公園が誕生した2001年までさかのぼる。このとき公園のなかに、片倉うさぎ山プレイパークがオープンする。当時、片倉第一町内会の会長の瀬井さんは、「遊びを広げようピッピの会」の母親たちの提案に賛同して、片倉うさぎ山公園遊び場管理運営委員会の会長を引き受けた(『片倉うさぎ山プレイパーク10周年記念誌』2011年、参照)。
 このプレイパークは、市民活動団体(目的や使命による団体)と、地域住民団体(自治会・町内会などの地縁による団体)が力を合わせて実現した、実に特筆すべきものなのだ。そこで両者の結び目となったのが瀬井さんなのである。そして、うさきちハウスは、利用者スペースと事務局を備えた、プレイパークを象徴するような建物だ。
 手掘り井戸づくりは、このような地域活動の積み重ねの上に実現した事業とみることができる。プレイパークには炊飯道具やトイレも備えられている。ゆくゆくは片倉うさぎ山公園を近隣の高齢者を助ける身近な災害避難場所にして、防災倉庫やトイレを増設したいと考えている。
 もう一つ、この活動が、子どものころの暮らしの記憶に支えられていることも指摘しておきたい。瀬井さんは、熊本県の阿蘇山の山麓、標高700メートルのところで生まれ育った。農業や林業が生業の暮らしは、水の確保や配分をはじめとして相互扶助が当たり前だった。子どものころ世話になった、忘れられない大人の思い出もある。19年前にこの土地に住むようになった瀬井さんは、これまで町内会長などさまざまな地域の世話役を引き受けてきた。それには、生まれ育った故郷の暮らしの記憶が支えとなっている。
 井戸掘りに参加した子どもたちも、いずれ大人になったときに、この夏を思い出すことがあるだろう。

追記 プレイパークとは、「自分の責任で自由に遊ぶ」という合言葉のもと、土や木や水を相手に活動する子どもたちの遊び場。全国各地で行なわれている。