「まち むら」138号掲載
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世界農業遺産「能登の里山里海」の祭りを守る!
石川県七尾市 小牧壮年団
背景・現状
(1)能登の人口推移
 石川県の能登といえば、常に、過疎化、少子化、高齢化といった言葉がつきまとうが、それは数字で見ると明らかである。能登の人口ピークは、1950年の35万68人で、2015年には、4割以上の15万3652人が滅少している。このままでは、世界農業遺産「能登の里山里海」の構成資産のひとつ、祭りが衰退、消滅してしまう危機にある。

(2)石川県七尾市の集落「小牧」
 これを何とかしようと、各地で取り組みが進められている。そのひとつが、石川県七尾市中島町小牧(以下、小牧)集落である。「小牧」は“こまき”とよく間違われるが“おまき”が正しい呼び方である。小牧は七尾北湾に面し、背後に棚田、山林が広がる、かつては半農半漁のむらで、国道、鉄道が縦走し、各施設、飲食店等が多数ある、能登の中でも恵まれた地域といえる。また、多くの伝統行事も残っている。太子講などの仏事、農耕儀礼の虫送り、そして、豊作豊漁を願い感謝する祭りといったものである。中でも、お熊甲祭は、毎年9月20日、22集落19末社が久麻加夫都阿良加志比古神社(熊甲神社)に参集する大祭で、1981年、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。特徴として「祭りの結“えー”」がある。“えー”とは“ゆい”の方言である。

課題
(1)小牧集落の人口推移
 小牧集落もお熊甲祭の22集落199末社のひとつであるが、平成に入るまで400人を超えていた人口が、平成に入ってからの急激な人口減少(2015年現在で208人)により、伝統行事の継承が困難となり、その解決策が課題となった。そこで、祭りや虫送りの担い手確保のため、小牧壮年団は、2003年から新たな取り組みを行うことになる。

(2)小牧壮年団の概要
 小牧壮年団は集落に居住する者及び出身者の男子23名で構成している(2017年1月1日現在)。役員は、団長、副団長、事務局等がおかれ、中学3年生で入団、45歳で退団となる。旧鹿島郡中島町の壮年団は全員加入型・青壮年型若者組で典型的な祭り型若者組と分類される。

目的と目標の設定

 先にも述べた、2003年から新たな取り組みを始めたが、それを行う目的は、ずばり、“祭りをすること”である。
 小牧集落は、1981年のお熊甲祭に枠旗を3本出して以来、年々、枠旗の本数は減っていき、2003年は、1本出すのが精一杯であった。そもそも、お熊甲祭の行列を構成するには何人必要かというと、枠旗を除くと30〜40人を要する。しかし、お熊甲祭の特徴は枠旗なので、これからも最低1本は出していきたいという目標を立てた(全体で70〜80人)。
 目標を達成するには、Plan(計画)、Do(実行)、See(評価)のサイクルを繰り返す必要がある。
 今回、何せ、人が必要である。集落にいないなら、外から連れてくるしかない。このため、数値目標として、今後数年間の人口減少を想定し、男子15人(神輿担ぎ手相当人数)の交流人口拡大を目階すこととした。

実現手段
(1)自己改革と先人の知恵「結」
 目的、目標を達成するには、「自助」「共助」「公助」のバランスが重要である。自分たちだけで頑張っても限界があるし、行政に頼り丸投げしても先がない。このため、2003年からの取り組みと併行して自己改革を行った。まず、戦時中以外に参加することのなかった小中学生、高校生等の女子が太鼓打ちやお道具持ちとして参加できるよう集落内、熊甲神社等関係機関と調整した。また、現状の人数でも祭りができるよう、大きくて重い枠旗を小型化して少人数でも担げるように壮年団員等が費用を出し合い新調もした。目先の祭り参加者の確保という点では即効性があるが、数年後さらに人口減少することを見据え、今のうちに新たな人材を確保したい。そう考えていたときに思い浮かんだのが、先人たちの知恵である「結“えー”」であった。「結」とは、集落同士で農作業や祭り人足の貸し借りをして助け合うことであるが、以前の小牧は人口が多かったため、祭りでそのような風習はなかった。「結」を実現することで安定的に参加者を確保できると考えたが、近隣集落で新たに「結」をできる集落がないため、地域外から協力者を募ろうということになった。そこで、2003年プランである。

(2)2003年プラン
 そのPlan(計画)であるが、グリーンツーリズムの体験メニューとして、祭り、虫送りのサポーターを募ることとした。Do(実行)の際、新聞社へ働きかけ、サポーター募集の記事と問い合わせ先を併せて掲載いただいた。結果として、
@受け身、待ちの姿勢では思うように人が集まらない。
A不特定多数から募ることは、どのような考えの方が来るか分からず集落にとって危険。
というSee(評価)をした。

(3)2008年プラン
 5年の取り組みを経て、2008年、計画を見直す。Plan(計画)として、ターゲットを学生等の若者に絞ったパートナーの育成を目指し、4年制大学のサークル、ゼミヘの呼び掛けを行えば、大人数の参加が可能ではと考えた。また、卒業しても第二の故郷として再び参加することを期待するといったものである。それを、Do(実行)した。学生等若者は、祭りで神輿、枠旗を担ぎ、お道具持ちを担った。小牧からは、里山里海資源を提供した。里山里海資源の提供の一例であるが、七尾湾に船で出てキスを釣り、釣ったキスを自分で調理し食すといったものである。
 これらをSee(評価)すると、
@学生等若者に、お客さん扱いではなく、小牧の一員として区民同様に取り組んでもらった結果、自分たちの祭りという意識が芽生えた。
A当初、祭りに参加できなかった、女子学生等が祭りに参加することで、積極的に男子学生等を引っ張る。
B里山里海の提供は、普段経験できないことができるため好評である。
Cサークルは複数年参加する学生が多く、壮年団のレク等の負担が軽減される。
Dまた、学生とのマッチング、経費については、タイミング良く各種事業を活用できた。これらがプラスとSee(評価)した。一方、
Eゼミは単年参加が多く、レク等を毎年しないといけないため、壮年団の負担が増す。
F教職員が退職すると縁が切れてしまう。
 ことがマイナスとSee(評価)した。

効果

@まず、第一に、石川県立大学学生援農隊あぐり、KOBE足湯隊(被災地NGO恊働センター、神戸大学等)をはじめ学生等若者との交流が定着し、毎年、当たり前のように祭りの担い手が確保できる(男女30〜40人)。
A目標としていた以上に参加者が多く、祭り自体に活気が出ている。
Bさらに、学生等若者との連携が祭りを守るひとつの手法として確立できた。
ことがあげられる。集落への波及効果もあり、
C壮年団自身が次の集落リーダーとして成長した。
D区民の意識変化も見られ、子どもたちの里心が育まれ、女性が参加・参画することが多くなった。
E共同作業で家(や)から一人が出て終わりではなく、出られる人は全員出て作業するようになった。
F安心して暮らしていける在所づくりも進み、高齢者、独居者、空き家、誰と誰がつながっているかを示す、支え合いマップづくり、声かけ等、コミュニケーションが復活した。
G出身者の意識変化も見られ、学生等を迎え入れたことで、帰ってきやすい、参加しやすい雰囲気になった。
H移住・定住もあり、今でも一部で「タビノヒト」や「タビノモン」と外部から来た人を拒むようなところもあるが、その敷居の高さも下がった感があることがあげられる。

 祭りは、老若男女問わず地域、集落全員の宝であるがゆえに、各々が持つ思想、考え方が様々であり、かつ、重いものである。何らかの行動を起こす際、地域、集落全体の合意形成を図るということは大変な労力を要す。奇しくもというか必然というか、石川県では2015年4月、いしかわ文化振興条例の施行、日本遺産「灯(あか)り舞う半島能登〜熱狂のキリコ祭り〜」の認定と、祭りが持つ重要性が改めてクローズアップされた。
 「能登はやさしや土までも」という言葉があるが、今回の取り組みはまさに、小牧という土に学生等若者が種をまき、大輪の花(真紅の枠旗、松明の炎)を咲かせ、大いなる可能性、勇気を示し、小牧版「祭りの結“えー”」を確立した!