「まち むら」138号掲載
ル ポ

農福連携でつくる共生社会
熊本県小国町 小国町社会福祉協議会サポートセンター悠愛
農業と福祉を結んで地域の課題を解決

 高齢化による担い手の減少が進む農業の課題と、就労の場が十分にない障がい福祉の課題。二つの課題の解決をめざし、農業と福祉という異なる分野を結びつける「農福連携」が注目を集めている。
 熊本県小国町では、障がい者施設が農業に進出するだけでなく、生産した農産物の加工から販売までを手がける6次産業化に挑んでいる。
 社会福祉法人小国町社会福祉協議会の障がい福祉施設「サポートセンター悠愛」では、昨年から熊本県産大豆100%を原料にした豆腐の製造を開始し、大豆の栽培にも乗り出した。施設長の椋野正信さんは、その動機を次のように話す。
「かつて障がい者は農家の手伝いなどを通して地域に居場所を見いだすことができましたが、地域農業は障がい者を雇用する力を失っています。それなら自分たちで農業をしようと考えたわけです」
 障がいのある人とない人とが、大豆の栽培と豆腐の製造を通してつながり、住み慣れた地域でともに生きていく。その夢を実現させるという思いを込めて、豆腐には「小国のゆめ」と名づけた。
 障がい者の入所施設やグループホームを運営し、在宅の障がい者や高齢者への配食サービスも展開する悠愛には、大豆食品の需要が眠っていた。障がい者の自立という夢はまた、地産地消の豆腐を求める消費者の願いとも重なり、隣り合う小国町と南小国町の給食センターに採用され、直売所や温泉旅館などの特産品としても歓迎された。

多くの地域資源をつないで

 大豆を育て、豆腐をつくる。そのために必要な資源は、すべて地域にある。そのどれもが課題を抱えていた。
 手づくりの豆腐は、大量生産された安価な製品との競争にさらされていた。経験豊かな農家は、高齢化が進行している。大切に守り継がれてきた農地には、耕作放棄地が広がっていた。障がい者という人材は、就労の場を見いだせないできた。椋野さんはこれらの地域資源をつないでプロジェクトを構築し、それぞれが再生する道を切り拓いた。
 原料の大豆は「すずかれん」。合志(こうし)市にある九州沖縄農業研究センターが開発した新品種だ。熊本県阿蘇地域振興局の田中俊一さん(当時)が、「病害虫に強く、小国の気候に向いている。すずかれんの豆腐はないので、オンリーワンの豆腐になる」と提案し、原料や種子の確保などに尽力した。
 当面は県内産の大豆を購入するが、少しずつ地域産に切り替えていく。そのため、自ら生産に乗り出すほか、農家14世帯と、菊池市の菊愛会など県内外の福祉事業所2団体から栽培への協力を得た。
 事業はこうして、農業と福祉、障がい者施設と地域、福祉事業所どうし、大豆の生産者と豆腐の消費者をつなぎ、その絆を強めることになった。

困難を乗り越えて

 悠愛は、昨年4月から豆腐と油揚げの販売を開始した。福祉の世界に転じた豆腐職人の宮嵜修さんが、新しい設備と原料を相手に試作を重ねた末に完成させた自信作だった。
 その2週間後に、熊本地震が発生する。震源地から離れた小国では被害は少なかったものの、大豆工房の水道水と井戸水が濁り、営業停止を余儀なくされた。再開のめどが立たない不安を、宮嵜さんらは草刈りや肥料散布などの農作業で打ち消す。水質検査をくり返し、営業許可が出るまで2か月を要した。
 悠愛が借り受けた1.5ヘクタールの畑は6か所にまたがる。栽培を担当する桑原一一(かずいち)さんは、分散する畑をめぐって生育を見守り、太陽が照りつける真夏には雑草と格闘した。
 すずかれんは、関係者の期待に応え、その名の由来のとおり、かれんな実をすずなりに実らせた。しかし、収穫した株を畑で天日乾燥していた11月に、長雨が襲う。鞘にかびが生え、大豆は発芽した。脱粒作業を終えた大豆のうち、出荷できたのは半分にすぎなかった。
「いいものをつくりたい一心で、あれだけがんばったのにと思うと、悔しくて、悔しくて、夜も眠れませんでした」
 力尽きたかのように、桑原さんは肺炎に倒れる。椋野さんはその奮闘をたたえ、努力に報いることにした。
「体を壊してしまうほど、がんばりすぎた。次はもっといいものをつくるとはりきっているので、今年は職員を1人増員し、乾燥用の倉庫を借り、乾燥機と選別機も導入することにしました」
 また、県職員による栽培農家への指導を増やすほか、脱粒と選別を悠愛が行って農家の負担を軽減するなど、苦難から学んだ教訓を改善に生かしていく。

豆腐料理を味わう農福運携レストランを

 4月、桑原さんは利用者とともに、高菜の収穫に汗を流していた。桑原さんらが農作業に励む姿を見た農家から、自分の農地も使ってほしいという依頼が相次いだ。この畑では、秋から栽培できる作物として高菜の種をまいたのだという。こうして集積された農地は3ヘクタールと、昨年の2倍になった。新たに4軒の農家も栽培に名乗りをあげ、大豆の自給率は着実に高まっていく。
 一方、大豆工房では、地域産大豆を使った豆腐づくりが始まった。
「ようやく先月から、小国産のすずかれんで豆腐をつくり始めました。見た目は同じでも、みんなでつくった大豆だと思うと、気持ちの入り方が違います」
 仲間たちが苦労して育て、長雨をも生き抜き、障がい者が1粒ずつ選別した大豆。その重みを知る宮嵜さんは、新たな気持ちで原料に向き合っている。
 さらに椋野さんは、豆腐料理レストランの開設に動き出している。
「熊本地震で観光客が激減した阿蘇市のレストランで働いていた料理長を職員に迎え、豆腐料理をメインにした農福連携レストランを開店したいと考えています」
 農福連携は、障がいのある人だけでなく、障がいのない人の雇用創出にもつながっている。そして、関わる人が増えるほどにそれぞれの個性や能力が生かされ、障がいがあってもなくてもともに生きられる地域の未来に近づいていく。