「まち むら」71号掲載
ル ポ

空き地を花でいっぱいに
和歌山県田辺市 NPO花つぼみ
 和歌山県田辺市は、紀伊半島南部の中核都市で、人口約7万2000人。近畿有数の温泉地、南紀白浜に隣接している。同市の新興住宅街、新万(しんまん)にある小さな公園、通称「三角(さんかく)公園」が特定非営利活動法人「NPO花つぼみ」(古守一晶理事長、こもり・かずあき)のふるさとだ。チューリップの花が満開になる4月上旬、毎年ここで「花つぼみ」主催の花まつりが開かれる。訪れた人たちは、プランターに行儀良く並んだチューリップをはじめ、キンギョソウやアネモネなど、春の花を、先を争うように買い求めていく。
 「花つぼみ」が産声を上げたのは、昭和58年1月11日のことだ。まだあちらこちらに空き地が目立つ新興住宅街に花を植えようという古守さんの呼びかけに11人が集まった。
 縫製業を営んでいる古守さんはその何年か前から、仕事一筋の人生に限界を感じていた。そこでふと思いついたのが花の栽培。秋になって、3坪(約10平方メートル)の庭にヒナゲシの種をまいた。それまで少し花に興味はあったものの、熱心に育てるほどでもなかった。翌年春、古守さんの苦労に応えるように赤い花をつけたヒナゲシを見て、「住宅街の空き地一面に花が咲き乱れたらどんなに素晴らしいことだろうか」という思いにかられた。
 理髪店を営む藪言方(やぶ・ゆきみち)さんは、「花つぼみ」の設立当初からのメンバー。古守さんと二人三脚で、活動の要となる事務局を引き受けてきた。交差点に面した藪さんの店の向かいには、細長い緑地帯が設けられているが、当時はセイタカアワダチソウなどの雑草が生い茂り、草むらの中にはポイ捨ての空き缶がいっぱいだった。「公共の場を自分の庭だと思えば、こんなことにはならないはずなのに」という思いは以前からあった。古守さんが「花を植えたい」と言い出し9時、すぐにメンバーに加わった。「何しろ、人と人との出会い、花を通じた人との触れあいを大事にしています。一期一会ですよ」と藪さんは話す。


立場の違いを乗り越えて

「まず自分たちの足元でできることをしよう。少しずつでも花を植えていこう」。こんな古守さんの思いが通じて花の植栽が始まったが、その活動は当初は、ちょっとゲリラ的なものだった。最初に花を植えたのは、藪さんの店の向かいの緑地帯と、公園予定地として空き地になっていた三角公園の土地。これらの土地はまだ、住宅街を造成した建設会社の所有になっていた。「実は、許可をとる前に勝手に花を植えてしまったんですよ」と、古守さんは苦笑する。
 11人で始めた花いっぱい運動の道のりは、決して順風満帆ではなかった。「全員が仕事を持っているし、休みもバラバラ。家庭もあるし、価値観もさまざま。毎週のように『花を植えよう』と呼びかけても、やはり参加できる人とできない人があり、長続きしませんでした」と古守さんは当時を振り返る。運動は壁に突き当たったのである。「一人きりになっても、花を植え続けたいという気持ちもありましたが、仲間と継続していくには『違いを認めることが大切』ということに気付きました」。


バイパス道路に進出

 活動を始めてから5年目の昭和63年、「花つぼみ」は一つの決断をした。田辺市の郊外に建設された国道42号田辺バイパスの道路脇をコスモスでいっぱいにしようというのである。同バイパスは4車線分の用地が確保されていたが、暫定的に2車線で開通した。残りの2車線分の土地(幅約15メートル、延長約700メートル)が対象地だった。
 会の内部でも意見は分かれ、かんかんがくがくの議論になった。そのころ、植栽の呼びかけに応じて常時参加する人はほんの2、3人。「三角公園の花壇の手入れでも大変なのに、あんなに広い場所にコスモスを植えるのは不可能」という意見が大勢を占めた。しかし最終的に「古守さんがやりたいというのなら、一度やってみよう」という結論に達した。
 広大な面積に花を植えるために、人手をどう確保したらいいのだろうか。メンバーは、市内の事業者や公的機関を一軒一軒訪ね、グループ単位で参加してくれるよう頼んで回った。地方新聞の記事による呼びかけもあって、当日は300人もの人たちがクワやスコップ、移植ごてなどを手にして集まった。秋には、赤や白、ピンクのコスモスが咲き乱れ、まるでじゅうたんを敷き詰めたように見えた。
 通行屋が多い幹線道路への植栽は「花いっぱい運動」の格好のアピールになり活動は一気に広がった。その後、コスモスやチューリップ、ハナスベリヒユといった花の植栽は、同バイパスが完全4車線化される平成11年まで続いた。
 これらの活動が評価され、昭和62年に建設省の花いっぱいコンクールで建設大臣賞、平成4年に緑の愛護功労者として建設大臣感謝状、平成10年には地球環境美化の功績で環境庁長官賞を受賞した。


NPO法人ヘ

 平成12年1月29日、田辺市内のホテルでNPO法人の設立記念パーティーが開かれた。会場には、脇中孝田辺市長をはじめ、周辺の町村長や、これまで活動を支えてきたボランティアら約200人が顔をそろえた。華やかな舞台で古守さんは「花を植えるだけでなく、人と人との出会いを大切にしたい」と、控えめにあいさつした。
 その1年前から「花つぼみ」の活動は、発足以来2度目の転機を迎えていた。活動を広げるきっかけになった田辺バイパスの植栽事業は、バイパスの拡張工事や交差点の改修で、平成11年度で終了した。このままでは約20団体、300人がかかわっていた活動の大きな目標がなくなってしまう。NPO法人化は、そういった悩みの中から浮上してきた。平成11年6月から準備に取りかかり、認証を受けたのは同年12月。「花いっぱい運動をもっと広げたいという思いと、若い人たちに活動を引き継ぎたいという考えから、NPOの認証を受けることにしました。ちょうどその新しいエネルギーが内部にたまってきた時期でした」と古守さんは話す。
 NPO法人に移行したのを機会に、知人のつてで2階建て、延べ床面積50坪(約165平方メートル)の事務所を借りることができた。例会は毎週月曜日の夜開かれる。イベントや事業が目白押しで、会員はかなり忙しい。
 今年5月から、地元の新万町内会、市立東部小学校と共催で「通学路花いっぱい事業」を始めた。7月には、田辺市花いっぱい運動連合会(武田正邦会長、加盟20団体)が主催する「第3回花の写真コンクール」に協力。11月下旬から12月上旬には、再開発事業で新装オープンする商店街にプランターを並べてコンテストをする「ドリーム・ガーデン・ストリート〜小さな花壇コンテスト〜」を実施する予定だ。これ以外にも、秋と春には恒例の花まつりの開催がある。
「田辺市の空き地全部が自分たちの庭という意識で、各地区の住民と協力しながら花を植えていきたい」。古守さんらは、18年前の原点を今も見つめている。