「まち むら」78号掲載
ル ポ

地域づくりで輝く50代
埼玉県川口市・盛人の会
 川口といえば、1962年の日活映画「キューポラのある街」を思い浮かべる方も多いだろう。鋳物の街で貧しいながら懸命に生きる少年少女を描き、吉永小百合が主演した。当時の川口で600社を超えていた鋳物工場は現在、200社を切った。年間40万7000トンの実績がある銑鉄鋳物の生産量も昨年は不況の影響などから12万トンを割り込んだ。鋳物工場跡地には次々と高層マンションが建ち、荒川を隔てた東京へ通う新住民らを引き寄せる。人口47万6000人。川口はすっかり都会的な街に変貌した。


50歳の盛人式開催

 5月半ば、川口市広報の定番「市長のふれあい訪問」で、岡村幸四郎市長が「盛人(せいじん)の会」の会員たちにインタビューした。その一人の尾崎幸春会長(51)が「土地を掘り返す建設機械の運転資格を私を含めて会員5人が習得しました」と答えて市長をびっくりさせた。5人はIT(情報技術)専門家や会社員、整体師らで、建設機械とは無縁。埼玉労働局長指定の教習機関に通い、建設機械の車両技能教習を受けて合格した。
 コンピューターのネットワークデザインをする尾崎会長や人間相手の整体師らが、なんで重々しい建設機械を扱うのか。話は昨年11月10日にさかのぼる。パイプオルガンを備えた川口市自慢のリリア音楽ホールに約750人の50歳の男女が集まった。「第1回きらり川口盛人式」。50歳になった人たちが節目の年に過去を振り返り、今後を見つめながら楽しく集いましょうと、36人の実行委員会を立ち上げて開催した。
 きっかけは、その年の川口の成人式が荒れたことだった。一部の者がビールをまいたり、会場の植木をひっくり返したりして騒いだ。「私たちが手本を見せようじゃないか」。行政に頼る成人式と違って、企画段階から同窓生らへの案内、式典まで自力でやり遂げた。翌年の成人式の実行委員が見学を兼ねて式典を手伝い、先輩の行動力に感心していた。盛人たちも今年1月の彼らの成人式の受け付けを手伝い、式典は静粛に行われた。
 盛人式実行委員会は、全国公募のエッセイ「50歳と私」、50年を振り返った一言集をそれぞれ冊子にまとめたりもした。委員長は鉄工会社社長で、川口鋳物工業協同組合専務理事の伊藤光男さん。温和な人だが、「伝統の鋳物の火を消したくない」と、活性化の話になると熱っぽい。盛人式前の数か月間、川口ボランティアサポートステーションで毎晩のように準備に追われていた実行委員の様子を取材し、熱気に満ちた工場で働く鋳物師の精神が熟年世代に受け継がれているような気がした。
 鉄は冷めやすいが、盛人式が終わっても実行委員の高揚した気分はおさまらなかった。「このまま解散したくない。盛人同士で社会活動などができないか」。決断は早かった。参加者に新しい会の設立案内を出し、協力を呼びかけた。そうして4月6日、ボランティア団体として正式発足したのが盛人の会だ。会員は130人を超え、女性が約7割。報道などで会の設立を知った川口周辺のさいたま市、蕨市などの住民からも「仲間に加わりたい」と入会希望があり、認めた。


手作りの森造りを

 七つの活動クラブがあり、そのひとつは「盛人の森くらぶ」。東京方面から国道122号の新荒川大橋を渡ると川口市に入る。その橋のたもとのスーパー堤防の土地約3500平方メートルに盛人の森を造成したいという。土地は国土交通省や川口市の協力を得て借りるが、森の造成、植樹、維持管理などすべて自分たちでやる。そのため、土地を掘り返したり、土砂を運ぶ建設機械の運転資格を5人が取得し、本当にやる気を見せたのだ。
 川口には植木の里・安行がある。そこの盛人仲間の造園業渡辺進さんが建設機械を貸し、森造りの指導をしてくれることになっている。まず、今年末まで土壌改良をする予定で、渡辺さんはすでにダンプカー約500台分の赤土を運び込む作業をした。盛人の会員たちは渡辺さんに頼ってばかりはいられないと、5人がパワーショベルなどを交代で運転する。樹木は植物の先生の指導を受けて川口の風土に適した樹種を選んだ。トチノキ、クヌギ、コナラ、スダジイ、シラカシ、ケヤキ、タブノキ、ムクノキ、ヤブツバキなどで、来年2、3月ごろ植樹する。国道を隔てたスーパー堤防上に昨年、小中学校と幼稚園が隣り合ってできた。子どもたちのためにも自然の森に育てるのが願い。会員は、森に立てる木製の看板を早々に作ったが、それには「盛人の森30年後にはきっと……」などと書き込んだ。息の長い壮大な森造りになり、大勢の森造りの後継者も必要だ。


気軽にボランティア

 50歳の盛人式は2年ごとに開かれる予定なので、新たな盛人たちに協力を呼びかける。2回目の来年は市制施行70周年でもあり、50歳のほか、希望があれば50歳代の人も対象にする大盛人式が検討されている。来年、50歳になる岡村市長は「川口を日本一のボランティアの街にしたい。先輩たちがボランティアで森造りをするなんてありがたい。東京から見て川口の玄関に、うっそうとした森ができそう」と喜んでいる。
 ほかのクラブは、手話で話したり歌ったりする「手話おしゃべりサロン」、車いすの人や高齢者が安心して歩けるための「バリアフリーMAP研究会」、地球にやさしい生き方やゴミの減量を考える「環境くらぶ」、盛人の会のホームページをつくりながらパソコンの技術や知識を学ぶ「ITサロン」、盛人や障害者向きの全国温泉情報を集め、時には障害者と一緒に温泉を楽しむ「盛人温泉くらぶ」、原爆詩を読んで平和について考える「原爆詩朗読クラブ」。
 温泉くらぶのリーダー、永井紀代子さんは「温泉が好きな人の集まりです。盛人仲間をいやし、活動の源泉にもなるクラブですよ」と笑った。朗読クラブの安孝一さんは「発声練習を始めています。原爆詩朗読に熱心な吉永小百合さんを呼んで朗読会を開くのが夢」と強調する。サユリストを自認する岡村市長は「ぜひ頑張って、吉永さんを呼んで下さい」と期待。川口を有名にした「青春スター」への市民の思いは強い。
 おおむねまじめで、どこかくだけた盛人の男女。大半は会社などの中枢で活躍しているが、突然のリストラに遭った人も入会している。50歳。ちょっと立ち止まって旧友とおしゃべりでもしてみようか。盛人式は、そんな気分から出発したようにも思う。でも還暦まで10年。ここいらで仕事や家事から離れた一般社会と結びついてみたい。大方の熟年世代が生きがいと重ね合わせて考える気持ちを、川口の盛人の会は肩の力を抜いて実行に移そうとしている。こんな盛人の活動が全国各地に広がったら、年を取っても面白そうだ。