「まち むら」87号掲載
エッセイ<文化>

畑から思うこと
岸   ユ キ(女優)
 ふと気がつくと、もう秋風が吹き、とびっきり暑かった今年の夏が嘘のようである。山梨県韮崎市の私の畑の野菜たちも、今夏は雨が少なかったせいか、とくにきゅうりのできはいまひとつであった。ただかぼちゃは元気だった。ゴロゴロ収穫できたので、たっぷりかぼちゃの料理を楽しんだ。その年の気候によって野菜のできは随分違うものなのである。今、畑はすでに、大根、白菜、水菜といった秋冬野菜の季節に入っている。畑の西側に広がる南アルプスの山々も、南側に顔を見せる富士山も、まもなく雪化粧の季節をむかえる。
 夫と二人で野菜を作り始めて十三年目。畑を耕していると、いやでも季節を感ぜずにはいられない。いや畑は季節とともに在在するものなのだ。その季節の旬の食べ物を食し、季節とともに日々を暮らす。その事のすばらしさを思う。
 例えば春、蕗のとうが大地から芽を出すと、天ぷらや蕗味噌にして春をいただく。身体が春の訪れをとても喜んでくれて、胃も冬の眠りから覚めるのだ。夏の、あの真っ赤なトマトやみずみずしいきゅうり。あれは、あのギラギラ照りつける夏の太陽があるから育つのだ。そんな大地の恵みを、丸ごといただくのだから、暑い夏も乗り切れる。秋のきのこや冬の根菜などなど、それぞれの季節にいただく意味がある。また、昔の人は、食べ物をとても大切にした。無駄にならないように、干したり塩漬けにしたり、手間をかけて自然の恵みをいただいたのだ。我が家は夫が自称料理名人で、日本料理はどこで学んだのかほとんどこなす。そんなことで、畑にある十一本の南高梅の実を収穫し、梅干、梅酒、梅ジュースは毎年どっさり作るし、ラッキョウも手作りだ。春から秋にかけては、糖味噌漬けでおいしい漬物を毎日パリバリいただくし、冬は四斗樽で漬ける大根や白菜、蕪、野沢菜といった塩漬けだ。これは畑が氷りつく冬、生野菜がわりにいただく貴重な野菜なのだ。古漬けになれば、細かく切って生姜であえ、手づくりの山椒の実の佃煮を入れ、醤油少々で味をととのえると御飯が進む。
 日本食は、煮物など、どうもむずかしくてめんどうだという人がいる。そしてついつい油で処理する料理になるのだろうか。私が夫から学んだことは、日本食の基本は出汁なので ある。この出汁をとるのをめんどうがられる。しかし、習慣になれば何でもないことだ。我が家では、夜寝る前に鍋に水を入れ、昆布を浸して寝る。翌朝火をつけて煮立たせ、昆布を取り出し鰹節をたっぷり入れる。煮たったら火を消す。自然冷却すると、すばらしい出汁ができる。この出汁さえあれば、野菜の煮びたし、玉子とじ、煮物などいろいろなバリエーションにとんだ料理ができるのだ。勿論、出汁は日持ちしないし、すぐに味が変わってしまうので、 すぐに味が変わってしまうので、ちょっとめんどうと言えばそうだけれど、やはり本当においしい身体が喜ぶ食べ物を作ろうと思うと手間はかかるものなのだ。私は夫から「料理に手抜という言葉はない」とおそわった。確かに幼い頃のことを思い出しても、私の母は毎日出し雑魚の頭とはらわたをとる仕事をしていたし、さやえんどうやいんげんの筋も丁寧に取っていた。一日中、何かしら手を動かしていたものだ。食卓に上る食べ物は、勿論その季節の旬のものであった。今とは違う不便な時代であったのかもしれないけれど、そんななかで、親から子へ確実に日本の家庭の文化が伝えられてきたのだ。
 ところがいつの日からか、「簡単で便利」という言葉が耳に入ってくるようになった。めんどうなことはしない。とにかく便利さにのみ価値がある。お漬物など、揉むだけでできあがり。出汁も株式会社の味がごくあたりまえのように家庭に入り込んでいる。その結果、この何年かで、私の知っている鰹節屋さんが何軒か店をたたんでしまった。
 食べている野菜の旬がいつなのかもわからず何でも簡単にお金を出せば買えるので感謝の気持ちもわいてこない。一番基本の日本の文化がどんどん姿を消す今の世の中に、私は危機感を持たずにいられない。
 季節を感じ、ちょっと不便でも、そんななかで、いろいろ工夫をし日々を暮らす。これは食だけではない。衣食住全般に言えることであり、日本の文化の基本であると思うのだ。そんなことを思いつつ、また一人でも多くの人にそのことを伝えたいと、私は夫と二人、山梨で畑を耕し続けている。