「まち むら」87号掲載
エッセイ<教育>

汽水人のエッセイ
畠 山 重 篤(牡蠣の森を慕う会)
 この七月、拙著「日本汽水紀行」が、第五十二回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
 エッセイとは、上質な随筆のイメージが強かっただけに、俄物書きの一漁民が記したものがなぜそのような賞の対象になったのか、と首をひねるばかりであった。
 授賞式には、前年までの受賞者が大勢出席されていた。新聞やオピニオン誌で見かける錚々たる顔ぶれである。
 まったく異次元の世界に居るような気持ちで落ち着かなかった。
 村尾清一理事長が挨拶に立たれた。
 その中で、「エッセイとは、随筆であり、評論であり、何かほかのものでもある。最近はノンフィクションや学術論文まで、面白いものは、エッセイスト・クラブ賞の対象になってきました。」というのである。
 汽水紀行というタイトルは、一般の読者の方々には難解だと思ったが敢えて採用した。これからこの言葉を広めなければと思ったからである。思っていた通り、二十人の審査員の中で、汽水という言葉を理解していた方は、五人だったことも知った。それだけに、この賞の候補として、本書を推薦してくれた方に感謝した。
 じつは、本書は、文藝春秋のオピニオン誌「諸君!」からの依頼で、「汽水の匂う洲(くに)」というタイトルで二年間連載したものである。
 毎月一回、国内のどこかの川の河口に立ち、そこから何が見えてくるか。そんなことを書いてみないかという依頼であった。それは私が、汽水人であったからだと思う。
 私は、三陸リアスの気仙沼湾で、牡蠣の養殖を生業としている漁民である。
 牡蠣の漁場は、全世界、河川水が海に注ぐ淡水と海水が混じり合った、汽水域に形成されている。
 故に、陸側と海側の、両方が見られるポジションに暮らしている。だから汽水人なのである。
 牡蠣の餌は植物プランクトンといわれるもので、森の腐葉土層の中にプランクトンを育む養分が含まれ、雨が降る度に川がそれを海に運んでいるのだ。
 そのことを知った気仙沼湾の漁民は、湾に注ぐ川の上流の山々に、ブナやナラの植樹を行なっているのである。
 まずはホームグランドの三陸リアスの海辺のことから書き始めた。
 ギザギザの入り江をよく観察してみると、必ず湾奥から大・小の川が流入している。
 それもそのはず、リアスという言葉はスペイン語で、リオ(川)の派生語だったのである。
 連続して続く入り江は、元々、川が削った谷で、縄文時代に海の水位が上がり(縄文海進という)、ゆっくり谷に海が入り込んできた地形なのだ。日本語の訳は「溺れ谷」である。
 川の上流は豊かな森。主にナラの木に覆われている。落葉広葉樹の森は腐葉土が厚い。
 森の養分は、植物プランクトンを殖やし、牡蠣、ホタテ、ホヤなどが育つ。また、若布、昆布、などの海藻も育ち、それを餌として、アワビ、ウニが殖える。
 森は海の恋人、と称せられる所以である。
 関係が解かると、まるで数学の公式のように、日本全国の沿岸の森と海を考察する際、当てはめることができる。
 日本列島は、中央を走る分水嶺の森から、じつに多くの川が、日本海と太平洋に注いでいる。沿岸の漁場はどこも魚貝類の宝庫なのだ。
 北海道のコンブ、青森むつ湾のホタテも、広葉樹の森と雪の産物ではないか。
 富山湾のブリは、立山連峰の雪と、標高八百メートル付近のブナ林の恵みなのだ。
 「ブナ一本、ブリ千匹」と、古老が語っているのを聞いた。
 江戸前という言葉が残る東京湾には、十六本の川が流入している。あの巨大な湾が二年で全部真水になるほどの水量だ。
 武蔵野の雑木林と十六本の川が江戸前の魚貝類を育んでいたのである。
 火山の爆発で出来た鹿児島湾は東京湾とほぼ同じ面積で水清い。だが魚貝類の生産量は約三十分の一に過ぎない。大きな川が流入していないからだ。
 潮受け堤防が問題になっている諫早湾も見た。あの工事はどう考えても日本の宝である大汽水域、有明海を殺そうという計画である。
 八月末、漁民側が起こした差止め訴訟で工事中止勧告の判決が下った。当然のことである。
 有明海は、ノリの全国生産量の四割を産出する大漁場なのである。数年前、ノリが不作になった折、米の消費量が減った。コンビニが全生産量の三割を買っている。不味いノリを使ったため、オニギリやノリ巻きの味が落ち売り上げが減ったのだ。
 汽水域で採れる魚貝類、海藻は、ご飯の美味なるおかずである。おかずが不味くて高けりゃご飯もすすまない。
 どこか、エッセイに似ている。