「まち むら」88号掲載
ル ポ

“若者のまち”を支える大学生たち
群馬県高崎市・たかさき活性剤本舗
 高崎のまちが元気だ。JR高崎駅西□は若者の集う人気スポットになってきた。駅周辺の商店街は、土曜や日曜、祝日になると、多くの若者が往来する。群馬県内のほとんどのまちが元気をなくす中、高崎だけが「一人勝ち」のような雰囲気を醸し出している。どうしてなのか。理由を探っても、明確に答えられる人は、高崎にもいないだろう。
 高崎経済大学の学生が運営する『たかさき活性剤本舗』が市街地の真ん中に初めて店を構えたのは1999年6月のこと。八島町の空き家となった歯科医の建物を拠点にしたので、学生たちは「まちが元気を取り戻せるように」との願いを込めて、まちの活性化と処方薬を掛け合わせて「活性剤本舗」と名付けた。
 5年前の開店式典で松浦幸雄高崎市長の語った祝辞が印象深い。「市街地をにぎやかにする特効薬はありません。できることは何でもやります」。行政のトップは市街地活性化策の難しさを素直に言葉にした。学生たちに「気負わないように」とのメッセージを込めたのかもしれないが、むしろ、まちの活性化に「若者の視点を生かしたい」という市長の強い決意がこもっていたようだ。
 地方都市の市街地が元気をなくしていくときは、駐車場不足、商店主の高齢化、郊外店の攻勢など、さまざまな理由が折り重なっている。だから、遂に、まちが元気を取り戻していくときも、多くの理由が積み重なっているのは疑いない。
 元気を取り戻しつつある高崎の市街地、若者の集まる高崎のまちで、ここ数年間、何が行なわれてきたか。他のまちと異なる施策を拾い上げると、『たかさき活性剤本舗』の存在が浮かび上がってくる。


高崎経済大学の学生が運営

 同本舗は、高崎市立の高崎経済大学地域政策学部の学生がまちなかに“居住”しながら、まちの抱える問題点を探すことを目的に誕生した。最初の1年は、高崎市のメーンストリートである中央銀座、さやもーる、慈光通り、田町通りなどをウオッチングしたほか、商店街の聞き取りやアンケート調査、広報詰の発行を行なった。中心市街地の活性化に若者のアイデアを取り入れるため、同本舗は市民や商店主と意見を交わす“前線基地”となった。行政に言いづらい商店主の本音や、市街地で生活する住民とか、まちに来る人たちの生の声を聞きだす役割だ。


毎年を彩る独自事業

 2年目の「PartU」は拠点を八島町から隣接する通町へ移した。1年目がアンケートに代表されるように、まちの現状を探る活動が中心だったのに対して、2年目以降はまちづくリヘの積極策が目立つ。高崎ストリートコンサートの開催、地域情報を発信するホームページの活用、各地の先進事例や取り組みを紹介するシンポジウムの開催など、「まちづくリ実践集団」への脱皮がはしまった。
 「PartV」も同じ路線を走った。かつて中山道だった東一条通りの駐車場に面した広告看板に歴史絵巻を描く「中山道絵巻」を作製した。同本舗は市民の絵画作品やまちづくリ情報を展示する「ギャラリー」にもなった。2001年12月に開いた「活性化大作戦in高崎」は、東京の巣鴨地蔵通り商店街の木崎茂雄理事長らを迎えたパネルディスカッションを行ない、木崎理事長は「白衣大観音を生かすべき」と提言した。
 続く「PartW」「PartX」は、「もてなし」をキーワードに活動を進めた。東一条通りに水路を復活させる「せせらぎ通り」づくりは、今も引き継がれるビッグなプロジェクト。「PartX」は木崎理事長の提言を生かして、高崎のシンボル、観音山の白衣観音を生かす試みを実現させた。高さ42センチの模型が、慈光通りに面しか「川と道の情報館」に据えられている。


まちを元気づける若者たち

 こうした学生の活動について「大学のゼミが出てきただけ」とか「教授の意見が前面に出過ぎ」などマイナスの反応も見られた。しかし、学生たちがまちなかで活動したことに大きな意義を見いだす人もいる。
 同本舗PartUから2004年5月まで店舗の置かれた東一条通り商店会の高木賢次郎会長(58)は「まちの主役は商店街の人たち。学生は主役になれないが、若い人が動いているだけで、まちの空気は変わる。催しで、テントを張り、テーブルやいすを設営する学生の姿は絵になる」と好意的だ。
 ブティックの多い通称「レンガ通り」は元気な高崎を象徴する通りだ。同本舗は、この通り沿いに初めて店を構えた。レンガ通りのある西一条通り商店街組合の堀米正一組合長(54)は「活性剤本舗と最初にお付き合いさせていただいたが、正直、学生の甘えを感じたこともある。学生の斬新な意見、発想はまさに必要ですから、商店街からもっと積極的にかかわれば良かった」と振り返る。
 学生への感謝は、いま店舗のある大手前慈光通り商店街組合の清水謙一事務局長(52)も抱いている。「七夕飾りを手伝っていただいた。例年なら2日かかる仕事が1日で終わった。商店街に若者がいることの力強さをはっきりと意識した」と話す。


高い知名度と地道な活動

 たかさき活性剤本舗の現メンバー(PartY)は「高崎のまちは他のまちに比べ元気がある」と□をそろえる。「まちを活気づけよう」と開店した5年前とは状況が大きく変わってきた。この変化の理由が説明できない分だけ、同本舗は注目されることになった。
 2003年度の広報担当だった深町裕子さん(22)は「1月に1回はメディアの取材やシンポジウムヘの参加が入った。卒論の研究で訪れる学生や、全国の商店街からのお客も多い。自分たちの活動と周りからの注目度とのギャップをいつも感じてきた」と話す。店長の長柄磨依さん(21)も「本舗の知名度に驚いた。先輩たちから多くの人と出会って、ものの見方が変わると言われていた。商店街のみなさんから学んだことだけでも、たくさんある」と語り、七タや夏祭りヘの協力、学生を集めた学楽多本舗を初冬のえびす講に出店させた地道な活動などを振り返る。


学生・生徒の参加を呼び込む

 市街地の「もてなし広場」で月に一度の人情市は、高崎経済大学以外の学生もボランティアとして参加するようになった。若い人が会場を歩くだけでにぎわいが増す。高崎商業高校の生徒は2004年6月、まちなかにコミュニティ施設兼用店舗「Colors(カラーズ)」を開店、高校生スタッフの手で催しの企画や情報発信を始めた。同本舗が先駆けとなって、高崎のまちに若者たちの関心が集まり始めたのは間違いない。
 同本舗を設立時から知る高崎経済大学の横島庄治・地域政策学部特任教授(65)は、高崎は市民の人情が厚く、地価が安く、交通の要衝であり、東京を囲む首都圈に位置していると指摘。その上で「高崎は元気な地方都市の全国モデル、と目されている。若者が集まって来るのは活性化するまちの証明書のようなもの。市街他の活性化という目標に向かって、学生たちの灯した火は小さいながら影響力が大きかった」と分析する。