「まち むら」89号掲載
ル ポ

ごみの山を心を癒す桃源郷に
静岡県南伊豆町・走雲峡ライン「桃源郷・里山づくりネットワーク」
 豊かに水をたたえた池にはハスが咲き誇リ、ゆったりとカーブを描さながら山々を抜ける道を色とりどりのガクアジサイが縁取る。不法投棄されたごみにあふれていたこの一帯を、四季折々の花が咲き誇る桃源郷に変えたのは、ひとりの住民の行動と、その姿に心を打たれた多くの住民たちの共感だった。


ごみとの闘い

 伊豆半島の南端、南伊豆町の加納地区と石廊綺を結ぶ町道「走雲峡ライン」は、山々をめぐり、岬へと抜ける。この南野山をおおう広葉樹は薪炭に、落ち葉は肥料になり、萱は屋根材として利用された豊かな里山だった。
 加納地区に住む池野哲也さん(67)にとっては、炭焼きをする父を手伝い、友だちと遊びまわった思い出の場所だ。定年退職した2000年、健康のためにと散歩を思い立ったとき、この道をコースに選んだのはそんな郷愁からだった。
 だが、池野さんの目に映った南野山に当時の面影はなかった。その後に植林された杉林は荒れ、棚田は藪におおわれ、道の斜面は不法投棄されたごみであふれていた。その惨状を友人の警察官に話すと、「そのごみをかたづけてみては」と、思いがけない提案を受けた。
「そのとき私は、これが若い頃の恩返しになるのかもしれないと思ったんです」
 青年時代の池野さんは「あまされ小僧」(暴れん坊)。高校を卒業し、東京で働いていたときにもよく喧嘩をした。けれども、下宿先のおばあさんだけはやさしく、身の回りの世話をしてくれる。感謝する池野さんに、彼女はひとことだけこう告げた。
「将来、何か人のためになることをしてくれればそれでいい」
 池野さんの脳裏に浮かんだのは、何の見返りも求めず、尽くしてくれた下宿のおばあさんのこの一言だった。
 ごみに埋もれた山を元の自然に戻そう。そう決意した池野さんの背中を、「どうせやるなら、最後までやり遂げてほしい」と、妻の美佐子さんが押した。


協力の輪が広がる

 外出の目的は散歩から清掃活動へと変わった。道路から見えたごみはむしろわずかで、時間がたったものは薮に埋もれていることに気づいた。そこには、生活ごみ、家電製品、家具、自動車、建築廃材、医療廃棄物、魚網や漁船まで、あらゆるものが投棄されていた。建設機械のオペレーターとして働いていた現役時代には、ボタンを押しさえすればどんな大きな重いものでも簡単に動かすことができた。しかし、機械が入らない谷底や斜面のごみは、自力で引き上げるしかない。
「山の斜面にへばりつきながらごみを持ち上げるのは、それはたいへんでした。でも、最後のごみがなくなるまでやリ遂げようと、毎日、通い続けました」
 散歩に来た近所の女性が池野さんの行動に心を打たれ、息子と2人で手伝い始めた。仲間は3人に増えた。その姿を見て、次第に加納地区の人たちが協力するようになっていった。
 地域を思う気持ちはだれもがもっている。だが、だれかが動き出すまで、その思いが顕在化することはなかった。無心にごみを拾い続ける3人の行動は地区の人たちの共感を呼び、協働の輪を広げていった。拾い上げたごみは地元の建設会社7社が重機で引き上げた。
「1社が6人くらい社員を派遣してくれました。地区の人やシルバー人材センターの人たちも来てくれ、合わせると100人くらいになったでしょうか」
 道路に引き上げた膨大なごみは、町役場が処理した。1年以上をかけたごみとの闘いはようやく終わった。


ガクアジサイが咲いた

 ごみがなくなったと喜んだ池野さんは散歩を再開した。しかし、いったんごみ捨て場として定着した場所が元に戻るのに時間はかからなかった。不法投棄を防止するため、町役場と警察では看板と有刺鉄線を設置した。一方、池野さんは花を植えることを思いつく。花屋でパンジー、ノースポール、ストックなとの芭を買い求め、10ヵ所に花壇をつくった。
「このころにはごみを捨てる人もいなくなり、看板と有刺鉄線がはずされました。きれいな花だねといわれるとうれしくなって、一生懸命、水やりをしました」
 軽トラックの荷台に載せた600リットルのタンクを水で満たし、毎日、欠かさず水やりを続けた。しかし、懸命の世話にもかかわらず、外来の植物は南伊豆の気候には合わなかった。
 ふと山の方を向くと、ガクアジサイの花が目に飛び込んできた。ハマアジサイともいわれるガクアジサイは、伊豆半島をはじめとする関東地方沿岸の固有種。初夏になると、薄桃色から青、紫まで色とりどりの花を関かせる。往来の植物なら定着しやすいと思った池野さんは、山の所有者にかけあって根を掘リ起こし、沿道に植え替えた。
 仲間とともに、1本ずつ移植されたガクアジサイは1200本、2キロにわたって沿道を彩る。毎年、6月になると可憐な花を咲かせるガクアジサイの道は南伊豆町の風物詩になった。


桃源郷の誕生

 2003年2月には、桃源郷ラインの入り口にある加納地区の休耕田でハス池づくりを始めた。長く耕作放棄された棚田には草木が茂り、人が入ることもできない。作業はチェーンソーで気を伐り、中古で買ったパワーショベルで根を掘り起こすことから始まった。埋もれていた棚田の石垣を生かし、階段状の池にハス池を復元した。そこに地元の園芸家から譲り受けたハスの球根を植えた。
 伐り出した木材はチェーンソーで製材し、大工さんなとの協力を得て、棚田を見下ろす最上段に休憩所となる東屋を建て、テーブルと椅子もつくった。地の中央には全長17メートルの太鼓橋を架けた。
 沿道の美化活動は多くの人たちの参加を促し、5年の間に一帯を整備する地域活動へと発展した。球根をくれた園芸家はいまもハスの栽培を指導してくれる。週末に草刈りを手伝う人もいる。テーブルクロスは地元の染色家が蓮で染めてくれた。カルガモのつがいを寄贈してくれた人もいる。地元企業が看板を立て、訪問者のためにトイレを寄贈してくれた。
 その年の7月には、これまでいっしょに活動してきた仲間たちが、桃源郷ライン「桃源郷・里山づくリネットワーク」を結成した。そして東屋の「かのう屋」と「蓮華橋」と名づけた太鼓橋の落成式も行なわれた。「かのう屋」の名には、加納という地名に、「やれば何でも可能だ」という思いを込めた。
 南野山には加納地区の住民だけでなく、町外の観光客も訪れるようになった。昨年1年間で、かのう屋の大学ノートに感想を書き残した人だけでも8000人を超える。
「ここを訪れるひとが心を癒され、明日からまた一生懸命に生きようという気特ちになってくれればいい。その思いだけでここまでやってきたし、これからも原動力になっていくと思います」
 そう語る池野さんはいまも、この地区一帯を桃源郷にすべく、ハス池の周囲の荒れた山林を整備し、散策できる小道をつくろうと汗を流している。