「まち むら」92号掲載
エッセイ<生活>

異年齢でつくろう体験の場
江 尻 京 子(ごみ問題ジャーナリスト)
 ある日の電車の中での一コマ。私が座った向い側の座席にようやく一歳になっただろうかという年齢の男の子が母親のひざの上にちょこんと座っていた。ちょうど私の真正面だったので、こっちを向いたらちょっとからかってみようかなと楽しみにしていた。ところが、その子どものとなりに私よりも後から乗ってきた大学生風の青年が座った。すると彼は、となりの子どもを珍しいものでも見るようにジーッと見つめ始めたのだ。その視線に気づいた子どもは、彼の方を振り返る。それに対して彼は笑顔を返すわけでもないし、目をそらすこともしない。ふたりは、にらめっこ状態だ。そのうち、子どもの方が耐えられなくなり、きょろきょろと目を泳がせる。でも気になるのか、今度は彼の服やバッグに手を延ばして引っ張り始めた。その様子に気がついた母親が「すみません」と言いながら、子どもの手をつかむ。彼は母親に対して会釈しつつも、あいかわらず子どものことをじっと見ている。再びその視線に気づいた子どもがまた彼の顔を見上げる。ということが電車が終点に着くまでの約三十分、私の前の座席で繰り返されていたのである。
 青年の様子を見ていると、となりに子どもがいることをうっとおしく思っているわけではないようだし、子どもが自分の服やカバンの紐を引っ張ったりすることも嫌がってはいない。むしろ、うれしそうなのである。子どもに関心はあるが、どうやって接したらいいのかわからない。あるいは、子どもと接する機会が乏しく、子どもの一挙手一投足が珍しく、不思議に思えてしかたがない。他にも席は空いていたのにわざわざ子どものとなりに座ったのは、子どもに近づいてみたいという彼の気持ちがあったのではないかと私は思った。
 子どもといっしょに活動をしてみたいという学生は多い。私が講師をしている女子大にもそういったことを話す学生がいて、リサイクル工作教室、クリーンアップ、ハイキングなどのときに声をかけて、参加の機会をつくっている。ここでいう子どもとは、小学生程度の年齢をさす。しかし、実際に子どもの中に入ってみると、彼女たちが考えていた以上に体力があり、ことば巧みで、活発である。「くたくたになりました」「もっとかわいいと思っていた」という感想を残す学生が多いが、子どもといっしょに活動してみて、子どもとの接し方をおぼろげながらも体得できれば、学生時代の大切な時間を費やしただけの成果はあったといえるだろう。
 私は、学生の時に保育園でアルバイトをしたことがある。
 この経験が母親になってからとても役立ち、子どもを直視しながら育てることができた。もし、子どもと接する機会を持たないまま母親になっていたら、不可解な要素をたくさん持つ幼子との毎日を無事にのりきれただろうかと今になって不安になってしまう。
 私たちは、すべて「赤ちゃん」として誕生し、成長してきた。でも、自分が「子ども」という当事者であったときのことはほとんど覚えていない。電車の青年が凝視していた子どものように親にだっこやおんぶをしてもらうのが当たり前の年齢だったときのことなどは、写真や親たちの会話からしか知ることはできない。
 何となく子どもであった自分の姿を記憶をたよりにおぼろげながらでも描けるのは小学生時代からだろう。しかし、客観視するのはむずかしい。だからこそ、おとなと子どもがいっしょに活動することは、子どもたちのためだけではなく、おとなにとっても潜在的な記憶、忘れていた記憶を呼び起こし、自らを振り返るきっかけになるのである。
 子どもの時にどんな環境で育ったか、どんな考えを持った親や教師、近所のおとなたちがそばにいたのか。そして、その人たちがどんな体験をさせてくれたのか。実はここにその後の人生の基盤となる要素が入り込んでいることに気づく。子どもたちといっしょに活動しながら、「あの時のあの人の行動はこういうことだったのか」「あの時、あの人はこういうことを伝えたかったのか」と納得できることはたくさんある。
 現代は、キーボードをたたけば、世界中の情報をまたたくまにキャッチできる便利な時代だ。インターネットで得た情報をまるで自分が体験したことのように話す若者や関連の記事をつなげてレポートをつくってしまう学生もいる。その場をなんとかすりぬけることができたとしても、本人の知識や力になっているとは思えない。そのことを批判するだけではなく、私たちおとなが、自ら動き、いろいろなことにチャレンジすると同時に、異年齢の人たちがいっしょに体験できる場を作り出していくよう心がけたい。実際に活動してみたり、作業をしてみたりすると予想していたこととは全く異なる事実に戸惑うことが多い。その戸惑いが刺激となり、活力へとつながるのだと思っている。
 電車の青年にとって、あの幼児との三十分が強烈な戸惑いとなり、彼の力になっていることを期待したい。