「まち むら」99号掲載
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「備えと構えで減災」を掲げ各地で防災で前講座開催
滋賀県高島市・たかしま災害ボランティアネットワーク「なまず」
 琵琶湖の北西岸に位置する滋賀県高島市。ここしばらく大きな自然災害とは無縁なこの地に、「日頃からの備えと構えで、いざというときの被害を最小限に抑える“減災”を目指そう」とユニークな活動に取り組むグループがある。その名も「なまず」。「地震といえばなまずということで、いつの間にかこの名前になった」と、代表の太田直子さん(同市新旭町)は笑う。
 年間40回にも及ぶ防災出前講座のプログラムは、爆笑ものの漫才や劇をはじめ、クイズ、ゲーム、紙芝居、歌など、楽しみながら防災への意識づけができるメニューが満載だ。ガソリン代さえ出してもらえれば、マイクロバスに道具一式を積み込んでどこへでも出向いていく。


劇中劇で防災訓練を実演

 中学校の教師をしていた1995年、太田さんは阪神・淡路大震災による甚大な被害の状況と、全国から駆けつけたボランティアの活躍ぶりを伝える報道に接した。それから間もなく社会福祉協議会に職場を移し、忙しい毎日が過ぎていく中でも、「自分も何かできないか」という思いは常に温めていた。
 行動に踏み出すきっかけとなったのは、2000年の鳥取西部地震と翌年の芸予地震だ。「明日は我が身」の思いを強くし、社会福祉協議会として講演会を開催。参加者名簿を頼りに「災害ボランティアグループをつくりませんか」と呼びかけた。約35人が集まったが、具体的に何をすればいいのかわからないまま定例会を重ねるうちに、メンバーは1人2人と減っていった。
「とにかく動きだそう」と、KJ法によってできること・やりたいことを出し合い、まず啓発チラシを作成して社協の広報と一緒に毎月配り始めた。クイズ形式にするなど工夫を凝らしたものだったが、ある集いでチラシのことを尋ねると、ほとんどの人が「読んだことない」という反応。チラシの発行は取り止め、活動を見直そうと話し合ったとき、KJカードの中に「演劇や漫才で防災を伝える」というのがあったことを思い出した。
 さっそく太田さんが台本を書き、役者はメンバーの人脈を通じて揃えた。初めて上演した「言わんこっちゃないで」は、「防災訓練なんか行かん」と言い張っていたおばあちゃんが地震に遭って家の下敷きになってしまう話。劇中劇のような形で、防災訓練の実演を挟み込んだ(しかも、その場面では役者が観客席に散らばり、観客も訓練に参加する設定にした)のが、単なる余興に終わらせない工夫だ。


県内外で年間40回の出前講座を開催

 別の演目「命あってのものだねや」では、防災訓練ではなく心肺蘇生法を劇の中で再現。これを全国ボランティアフェスティバルで上演したところ大反響で、その後は口コミで評判がどんどん広まっていった。一昨年くらいからは、年間平均40回もの出前講座を開催している。
 主催者は、自治体、老人会、PTA、社協、企業などさまざまで、太田さんをはじめ女性が前面に出て活動していることから、男女共同参画関連の団体から呼ばれることも多いとか。地域的にも、地元だけでなく滋賀県の他市町、さらには岐阜県・京都府といった県外にまで行くことも珍しくない。
 出前講座の持ちネタは、劇、漫才、腹話術、クイズ、ゲーム、大型ロール紙芝居、家具の転倒防止策、ビデオで学ぶ地域の助け合い等々、何と17のメニュー。この中から、持ち時間や対象者の層によっていくつかを組み合わせて構成している。子ども向けの講座であろうが、遊び的な要素を抜きにした堅めの講座であろうが何でも来いというくらい、プログラムのバラエティは豊富だ。
 「女性が前面に出ている」と書いたが、現在のメンバー24人の男女比は半々。プログラムを企画するのは太田さん、漫才や劇を演じるのも主に女性、そして男性は、講座に使用するさまざまな道具を作ったり、マイクロバスの運転手をしたりと、縁の下の力持ちとして「なまず」を支えている。前述のメニューのうち、「家具の転倒防止策」は、ミニチュア家具を使って実際にどの部分にどのような補強を施せばいいかを実演するものだが、このミニチュア家具も男性メンバーによる労作である。


帰宅困難を想定してサバイバルウォーク

 「なまず」の活動には三つの柱がある。一つめは、前述した出前講座のような啓発活動で、会の看板となっている。この柱を特に重視する理由について、太田さんはこう説明する。
「災害ボランティアというと、災害が起こったときの救援活動がまず浮かぶが、地元で地震などが起きれば自分たちも被災者。災害が起こる前に何かできるかを考えたとき、いざというときに命を守れるように備えと構えをしましょうと訴え続けていくことしかないんじゃないかと思った」
 室内での講座だけでなく、アウトドアのプログラムもある。冬季に家を焼け出されたときなどのサバイバル術を体験しようと、屋外であり合わせの資材を使ってテントをつくってみたり、子どもたちも楽しめるようにと、針金製ハンガーとアルミホイルで作ったフライパンで目玉焼きを焼くサバイバル料理に挑戦、といったものだ。
 また、災害発生によって鉄道や自動車が使えなくなったときのためにと、毎年サバイバルウォークを実施している。JR堅田駅〜新旭公民館間(35キロメートル)など3コースを設けて歩き通す催しで、途中にはロープワークや応急手当を学ぶコーナーも。
 二つめの柱は研修活動。「備えと構えをみんなに説くからには、自分たちも力をつけないといけない」と、セーフティリーダーや心肺蘇生法普及員の資格を取得したり、大学等の主催する防災講座を受講して知識・技能の向上に努めている。また、NPO法人日本沼津災害救援ボランティアの会など、先進的な取り組みをしている団体との交流にも積極的だ。
 そして三つめは、災害が起こったときの救援活動で、「できる範囲でできることを」がモットー。2004年7月の福井豪雨では、猛暑の中での復旧作業で熱中症になる人が続出というニュースを見て、急きょ180キログラムの氷を買いつけ、甲子園球場で売られているようなかちわり氷にして災害ボランティアの人々に配った。


ゴールの見えない活動

 太田さんに、「この活動を続けてきて良かったと思った瞬間は?」と尋ねたところ、「出前講座の主催者に『わかりやすくて面白かった』と感謝されたり、そのときどきで充実感を味わうことは多いが、本当に私たちのやってきたことが意味のあることなのか、それはまだわからない」との答えが返ってきた。いざ災害が起こったとき、「なまず」が一生懸命伝えようとしてきた「備えと構え」をどれだけの人が実践してくれたかが重要だからだ。
 したがって、活動の効果が測れるのは明日かも知れないし、100年後かも知れない。ゴールの見えない、息の長い取り組みだが、「今後も自分たちのスタイルで楽しみながら続けていきたい」(太田さん)とのことだ。