「まち むら」99号掲載
ル ポ

未来を照らす伝統のあかり
山口県田布施町・ハゼの実ロウ復活委員会
 江戸時代、西日本のむらでは和ろうそくの原料となるハゼの生産が、まちではハゼの加工が、地域経済を支えていた。山々を彩るハゼは、まちの製蝋所でハゼ蝋となり、ろうそく屋で和ろうそくに成型された。山口県田布施町もかつては本蝋産業で栄えた。しかし、電灯の普及につれてろうそくの需要は減り、ろうそく自体も石油製品のパラフィン蝋からつくられるようになる。10年前、田布施町で結成された「ハゼの実ロウ復活委員会」は、忘れられたハゼを現代によみがえらせる活動を続けている。


地蔵が守ったハゼの大木

 山口県田布施町宿井には、「宿井のハゼの木」と呼ばれる巨木がある。樹齢240年と推定されるこの木は、山□県の天然記念物であるとともに、毛利藩の産業振興政策を伝える生きた証人でもある。ハゼの実ロウ復活委員会の事務局長、岡部正彦さんはこう語る。
「毛利藩は、『防長四白』といって米、塩、紙、蝋という四つの白い産品の生産を奨励しました。蝋の原料になるハゼは戦後の拡大造林政策期に伐採され、スギやヒノキに植え替えられました。ところが、そばにお地蔵さんがあるので、この木だけは伐られずにすんだんです」
 奈良時代に中国から伝えられたろうそくの生産がさかんになるのは江戸時代。ろうそくは当初、東日本のウルシ蝋からつくられたが、やがて品質にまさる西日本のハゼ蝋が市場を席巻する。西日本各藩は競ってハゼの品種改良に力を入れ、植林を奨励した。
 田布施町は、蝋分の多い良質のハゼの産地として名をはせていた。しかし、岡部さんたちが活動を始める10年前には、地元でさえその歴史を知る人が少なくなっていた。


ハゼの復活をめざして

 岡部さんらハゼの実ロウ復活委員会のメンバーが、ハゼの復興に向けて動き始めたのは1996年。会長を務める町内出身のテレビプロデューサー、田川一郎さんの提案がきっかけだった。
 おりしも、1997年には、NHKが大河ドラマで毛利元就の生涯を描くことになっていた。人々の関心がふるさとの名君に集まるこの年こそ、地域の主要産業だったハゼに光を当てたいと考えた。そのうえ、毛利藩の財政を支えた「防長四白」のうち、県内で復元されていないのは蝋だけだった。
「米はいまも県内全域で生産されているし、塩は防府で、和紙は徳地や須金で再現されていたのに、蝋だけが復元されていなかったんです」(岡部さん)
 しかし、一言でハゼ蝋を復活させるといっても、自生しているハゼの木から実を採取するより、採取した実に含まれる蝋を搾り、ろうそくに成型する工程のほうがずっと難しい。しかも、搾蝋機さえ残っていないのに、江戸時代と同じ方法で復元しようというのだ。メンバーは、古い資料を参考に、道具を手づくりすることから活動を開始した。
 そして、12月初旬にハゼの実を採取。自作した道具で蝋を搾り、年末に放送された大河ドラマの最終回に、手づくりろうそくに点灯した。


何でもつくってしまおう

 岡部さんは、ログハウスを建築し、薪ストーブやペレットストーブを施工する「カントリー工房」の経営者。名剌には、「仕事も遊びも一生懸命」と書き入れている。その言葉どおり、ハゼの実ロウ復活委員会の活動は、ハゼのもつ可能性を追い求める楽しさにあふれ、必要ならなんでもつくってしまおうという遊び心に満ちている。
 委員会では、搾蝋の道具づくりを皮切りに、ハゼ蝋を原料にしたポマード、口紅やアイブローなどの化粧品、クレヨンをつくり、蝋を使ったろうけつ染めにも挑戦してきた。
「ハゼといえばろうそく、ろうそくといえば仏壇っていうイメージを破りたくってね」(岡部さん)
 その創意工夫は、ろうそくづくりにも遺憾なく発揮されている。2002年に開始し、町の年中行事として定着した「ハゼの実ろうそくまつり」のために、巨大ろうそくやまわり灯龍を製作。今年は「しあわせを呼ぶ福蝋シリーズ」の名で、フクロウやサンタクロースの形をしたキャンドルを販売するなど、和ろうそくのイメージにとらわれない多彩なろうそくも生み出してきた。
 2003年から、カナダの自主停電運動に端を発した「100万人のキャンドルナイト」が日本各地で開催されるようになると、田布施町ではハゼの実ロウ復活委員会が中心となってキャンドルナイトinたぶせ」を開始。毎年、夏至の日に、田布施川の岸辺に200本以上のろうそくを並べ、電気を消すささやかな環境運動に参加したいという人々に、パラフィンろうそくにはない、やさしいあかりを提供している。


ハゼは地球を救う

 ハゼの実ロウ復活委員会では、「宿井のハゼの木」がある城南小学校の総合学習を支援する活動も行なっている。委員会を結成した翌1998年に始まったこの活動は、一度も途絶えることなくいまも続いている。
 昨年の10月にも、6年生31人が町のバスでハゼ工房にやってきた。子どもたちは、岡部さんたちの指導を受けながら、ハゼの房から実をはずし、その実を足踏み式の台唐臼で砕き、せいろで蒸し、4人1組になって搾蝋機を動かし、木型でろうそくに成型した。
「クリスマスにでも灯して、家族みんなで楽しんでください」
 岡部さんが語りかけると、子どもたちはこうつぶやいた。
「もったいなくて、火をつけられない」
 人は闇を照らすあかりを得るためにどれほどの苦労を重ねてきたのだろうか。そうしてつくられた1本のろうそくはどれほどのやすらぎを与えたことだろうか。子どもたちはその感動を版画やちぎり絵に表現し、岡部さんはその作品をハゼの実ろうそくまつりで展示する。
 今年2月の学芸会では、6年生が秋の体験学習をもとに劇を上演した。仕事の都合で小学校に行けなかった岡部さんは、子どもたちから送られてきたビデオを見て、あふれる涙を止められなかった。
 劇は、国連本部の会議場で地球温暖化防止をめぐる議論を交わす場面から始まった。解決策を見い出せないでいる参加者に、ある画期的な情報がもたらされる。日本の山口県の田布施という町に、地球温暖化防止に役立つハゼという植物があるというのだ。各国の国連大使たちは田布施町を訪れ、この植物こそが地球を枚うと確信して帰国の途に着く――という内容だった。
 地球温暖化は子どもたちの生きる未来に暗い影を落としている。しかし、城南小学校の子どもたちはただ無力感にひたるだけでなく、岡部さんたちが復活させたハゼ蝋に希望を託し、地球の未来を明るく照らそうとしていたのだ。