「私たちの生活学校」135号掲載
積もる話があるんです

みんなの役に立っているという嬉しさ
長崎県・大瀬戸町 大瀬戸生活学校
参加者
委員長・高尾英子さん
副委員長・山口節子さん
連絡委員・中村民子さん
主体メンバー・渡辺美佳さん
聞き手・桑原淑子(元長崎県新生活運動協議会専任者)


総合学習の時間で石けん作り

―― 平成8年に大瀬戸生活学校の活動が小学校の社会科の副読本に掲載されましたが、その後小学校とのつながりはどうですか?

高尾 総合学習の時間で、環境学習を主にして二つの小学校に行きました。石けん作りの場合はただ石けんを作るのではなく、なぜ石けんを使わなければいけないのかをまず勉強します。エコマークやグリーンマークについても子どもたちに話していますが、全然知らないんです。やはりお母さん方の意識がまだ足りないからでしょうね。だから「家の中にマークのついたものがいくつあるか数えてみて」と言っています。すると、子どもたちは家に帰ってお母さんに「うちにはエコマークないの?」と聞くでしょう。それでお母さんも「それじゃ、マークのついたものを買おう」となってくれるんじゃないでしょうか。
 そういうことで啓発をしていくような活動を続けていかないとなぁと思っています。

―― 先生の反応はどうでしたか?

高尾 先生もマークを知らないんですよ。だから先生の勉強にもなると思いました(笑)。お母さんも先生も環境意識を持つには、子どもから学習をつないでいくのが大切ですね。

―― 終わったあと、子どもたちからはどんな反応がありました?

高尾 私たちが学校の前を通ると「先生―」って大きな声をかけてくれるようになりました。今まではただの「おばちゃん」だったんですが(笑)。石けんのことを聞くと、「お母さんがもっと作ってもっと持ってきてと言ってたよ」って言ってくれてね。先生からも、生活学校がない地区に転勤したんですが、大瀬戸で勉強したから広めていきたいという手紙を頂きました。

山口 石けん作りでは、最初は子どもたちも怖がったりしてましたが、すぐに「ぼくも」「わたしも」と乗り気になりましたね。帰ってからも「今日は楽しかったぁ」と言っていたってその子のお母さんから聞きましたよ。ちゃんと親にも話してくれたんだと思って嬉しかったです。

―― やはり子どもたちの行動が、親や周りの大人たちの意識を少しずつ変えていくようになってくれればいいですね。そしてそういう子どもたちがどんどん増えて、大人になった時にこの大瀬戸がどうなるかと想像しながら活動していくと、私たちも楽しくなるのではないでしょうか。


生活学校をやっていて良かったことは社会の役に立てること

山口 私は生活学校が始まった頃から入っていて、途中仕事で休みましたが、仕事をやめてからまた参加しています。古紙回収は13年目で今は行政でやっていますが、最初は自分たちで車を出して回収していて、夏などは本当に大変でした。アルミ缶だけは今も生活学校で回収を続けています。最初は、プルタブから集めて、どこに渡せばいいか県に聞いたんですが、担当者もはっきりと分からなくて…。でも、地域の人も協力してくれて今では本体も回収しています。問題もあるんです。ボンベやハサミを一緒に袋に入れる人がいるんです。そういう時はガッカリしますね。それでもメンバーがみんな一生懸命やってくれるので、この活動やってて良かったなぁって思いますし、社会福祉協議会などに車椅子や電動ベッドなどを贈って喜ばれると嬉しいですね。

高尾 古紙でもアルミ缶でも回収をすると益金が出ますが、社会福祉協議会や雲仙普賢岳、阪神大震災の被害者などにすべて還元してきました。私たちは利益を得るためにやっているんじゃないということを知ってもらうために、町報や社協の新聞を通じてすべて報告しています。そして、収益を社会に還元できたということが生活学校をやっていて良かったことですね。

中村 高齢者との交流も27年続けています。最初に手がけたのは、鉄火味噌作り。70歳以上の人に配りました。今は年に1回の合同昼食会で紅白のかるかんを配っています。かるかんは鹿児島のお饅頭ですが、「大瀬戸かるかん」と名前を付けてきれいに包んで一言言葉を添えて配りますから、「今年もかるかんをもらえて、また1年長生きできた」と喜んでくれます。みんなが楽しみにしてくれると嬉しいね。
 包丁研ぎと傘の修理もやっているんですが、私たちが包丁と傘を集めて高齢者だけど技術を持っている方たちに渡してやってもらっています。これも高齢者の生きがいづくりとしてやっているわけです。

―― 私も自分では研げないので、誰かやってくれればなぁと思っているんですが、そういう仲介を生活学校でやっているんですね。かるかんも一回食べてみたいですね。そのうち大瀬戸の土産品になるんじゃないですか?(笑)
 今、生活学校をやっていて良かったことを聞きましたが、苦労もあったようですね。喜びを味わうためには苦労もつきものなんですかね。


山口 真夏に古紙回収していると貧血で倒れたこともありますよ(笑)。

高尾 メンバーの苦労を目にしていて、いつまで続けないといけないのかなと思ったこともありましたが、やっぱり行政がちゃんと見ていてくれるんですね。平成5年に行政が、いちいち集めて回らなくていいようにと倉庫を造ってくれました。空き缶の分別機も買ってくれました。
 人に喜ばれたり、人の役に立ったりという満足感があるから今まで活動が続けられたのかもしれませんね。


自分の成果を発表できる機会を与えてくれた生活学校

―― 今は、人のためにしたことで良かったことをお聞きしましたが、今度は自分自身のために生活学校をやっていて良かったということはありますか?

中村 私は生活学校に入って23年になりますが、入った当初メンバーがパッチワークをしていたんです。どんなものか興味があって教えてもらって、今では生活展に出品していて、あの時に習っていて良かったなぁと思っています。

高尾 生活学校生活展というのを元々やっていたんです。その中でパッチワークなんかも展示したり物産販売などをしていたんです。今は「ふるさとまつり」としていろいろな団体・人が参加しています。

―― 今まで自分ができなかったことがみんなに教えてもらってできるようになったとか、自分のために向上したという喜びは、1人ではなかなかできないことですよね。

中村 それと、やったことを自分1人で黙って抱え込んでいるんじゃなくて、発表できるチャンスを持つということは、生活学校に入って良かったという一番の点ですね。
 石けん作りの話が最初に出ましたが、私は精神障害者の施設にもボランティアに行っているんです。そこでも石けん作りをしているんです。最初は手を掛けていろいろと大変だったんですが、今では商品化しているんです。生活学校で石けん作りを勉強したことがそういう形で役に立ったということが嬉しいですね。


だけど困っていること、悩んでいることもあるんですよ

―― それでは今生活学校をやっていて困っているぅ、悩んでいるぅということをお聞きしましょう。

高尾 やっぱり一番の悩みは若い人が入らないということでしょうねぇ。メンバーが増えないということよりもそっちのほうが大きな問題です。27年もやっていると高齢化してくるんですよ。それで若い人が入ってこないと次に続いていかないです。
 2、3年前から若い人が1人2人ですが入っているんですが、その若い渡辺さんどうですか?

渡辺 私が生活学校に入ったきっかけは、近所に住んでいて親しくしてくださった高尾さんが誘ってくれたからなんですね。高尾さんたちが生活学校をやっているというのはよく知っていましたが、誘っていただかなければ、自分が入ることまでは考えていなかったです。あと、子どもが小学校に入って昼間手が空いたということもあります。それで友人と2人で仲間に入れてもらいました。毎回楽しく参加しています。
 「生活学校」という言葉は、小学生の時から知っていたんです。実は母が入っていたんです。だから全然抵抗もなかったし、いろいろな勉強をしたりするというのも知っていました。入ってみてまず思ったことは、長い間いろいろなことを続けてきたということに感動しました。古紙回収でも、本当に大変なんですね。私たちは40前後なんですが、50代60代70代の先輩たちが一生懸命されていて、若いのに何してるんだと言われたようなショックを受けました。そこに感銘を受けました。
 だけど、生活学校の皆さんがこうした活動を続けているということを知らない人が多いんですよね。それと、「私も入ってもいいのかな?」と考えてしまう、躊躇してしまう人もけっこういると思うんですよ。だから今後はこういう活動を知ってもらうとともに、広報に掲載される時も勧誘とか、どういう人がどういうことをやっているという具体的なことが分かるような方法を取る必要があるんじゃないでしょうか。実は友だちがこの前風邪を引いて寝込んでいる時に「今日は、生活学校のアルミ缶回収の日です」という町内放送を聞いて、「生活学校でアルミ缶回収してるのね、今度持ってくねぇ」と言ってくれたんです。やっぱり私自身も入ってみて活動が分かったということもありますし、興味のある人を呼び込むことが必要かなと思います。

―― 渡辺さんは、お母さんが生活学校のメンバーだったということですから、今のメンバーも自分の子どもさんたちに働きかけてみるというのも若いメンバー獲得の方法の一つかもしれませんね。
 渡辺さんも言っていましたが、若いメンバー獲得のためには、生活学校をもっともっと知ってもらうための努力をさらにしたほうがいいでしょうね。お勤めをしている人でも興味があればちょっと覗きに来るんじゃないかなと思うんです。そういう時に、メンバーの人たちには参加しやすい方法も考えてほしいですね。例えば、そういう人は毎回参加はむずかしいでしょうから10回に1回とか年に1回でもいいじゃないですか。無関心でいられるよりも、ちょっとでも関心を持ってもらえたら、ちょっと暇ができた時に深くかかわってくれるかもしれませんね。



長年続けることで効果も出てくる

―― 今後重点的に取り組みたいテーマなどはどうですか?

高尾 今やっているマイバッグ運動をもっと徹底しなければということです。次に、県下一斉に取り組んでいる簡易包装の推進です。それから、子どもとのつながりです。総合学習の中から広げていく、ピーアールしていく、生活学校ではこういうことをやっているということを子どもに話し、子どもが親に話すというつながりですね。
 それと、町報にも「生活学校から」というテーマで広報できるようがんばって要望してみます。
 あと、食の問題ですね。大瀬戸小学校の給食に地場産野菜がどれくらい使われているかとか、町内に有機農業者がどれくらいいるかとかちょっと調べたいと思っています。
 私たちがやっていることを行政がどれくらい把握しているかも大きな問題だと思っています。というのも、私たちから行政にお願いするのではなく行政から私たちに働きかけをしてくれる機会をつくって婦人団体全体の声を町議会に把握してもらうことも大事ではないかと思うのです。そういう機会をつくって私たちの声を施策に反映させていきたいです。

―― 生活学校の取り組みはすぐに効果が表れるものでもないし、ちょっと気を緩めると後退してしまう。だからマイバッグや簡易包装のように同じテーマでもずっと取り組まないとダメなんですね。


積もる話が終わったあとで…
  聞き手=桑原淑子(元長崎県新生活運動協議会専任者)
 大瀬戸生活学校は、自分たちの活動に行政や他団体を巻き込むことが実にうまい。インタビューの中にもあったが「一生懸命やって、どうしても出来ないことを行政にお願いする」の言葉どおり、メンバーたちの真面目でひたむきな行動と、活動を分かってもらうための粘り強い努力が人々の共感を呼び、協力が得られるのかもしれないと思った。
 年4〜6回発行され、今年で80号を超えた生活学校新聞『あしなみ』には、ふるさとの将来とそこに住む人々のことを真剣に考えるメンバーたちの思いが詰まっていた。ふるさとづくりは、“ふるさとを愛する心から始まる”ことを実感した1日だった。