「私たちの生活学校」155号掲載
テーマ解説

食生活を変えるため「心地よさ」の発見の手助けを―食からめざす地域づくり―
読売新聞生活情報部 白水 忠隆
 年明け1月5日の朝日新聞に「肥満児童 減量作戦」という記事が掲載された。厚生労働省が、新年度から子どもの肥満防止対策として、食事や運動など親も含めた生活習慣を調査、家庭ぐるみの対策に乗り出すという内容だった。
 肥満の傾向がある子どもの割合は小中学生で軒並み高くなっていることは知られているが、子どもの食生活を変え、肥満を防止するために親の生活習慣を調べ、場合によっては家族ぐるみで肥満防止に取り組むという点がおもしろい。子どもは食生活だけではなく、運動なども含めて親の影響を受けると考えられるから、親の生活習慣へのアプローチは当然必要だろう。
 ただ、そこから先、親も含めた家庭の生活習慣を簡単に変えることができるかとなるとなかなかむずかしい問題があるように思う。


危険性の指摘だけでは問題解決にならなかった

 昨年の全国フォーラムの「食の分科会」で話し合ったテーマが、まさにこの問題だった。食事や運動などの生活習慣は、言って見れば個人の問題だ。こうしたことに、生活学校運動がどういうかかわり方ができ、どうしたら効果を挙げられるのか。事例発表者だけでなく、会場の参加者からも具体的で、ユニークな提案や実践例が報告され、実りの多い分科会だったが、こうした視点から、もう一度食からめざす地域づくりとは何かについて考えてみたい。
 人が何をどう食べるのかは、個人の問題だ。しかも食生活は、その人の価値観、暮らし方などと密接に結びついている。つまり食生活を変えるということは、その人の生活を変えることにも等しい、大変なことなのだ。それだけ強い動機、意志がなければならない。これまでの健康づくりは、例えば肥満やコレステロール値が高いとどういう病気になるのか危険性を指摘することで、一人ひとりが自分の食生活を改善する動機付けにしようとしてきた。


「心地よさ」が人々の生活を変えるきっかけに

 しかし、それだけでは大きな問題解決にはならなかったと思う。たばこによるがんのリスクははっきりしており、肺がんになりますよといくら言っても多くの人はたばこを吸うのをやめない。糖尿病の患者でも、食を含めた生活習慣を変えるのは簡単ではない。「わかっちゃいるけど、やめられない」という歌の文句ではないが、知識で分かることには限界があるように思う。では、一人ひとりの行動を変えるには、何が必要なのだろう。
 私が関心を持っているのが、「心地よさ」ということだ。以前、都立松沢病院(当時)の高橋和巳さんが書いた「心地よさの発見」を読み、話を聞いたことがある。心地よさの発見は、食についての活動の進め方を考えるときのヒントになるのではないかと思う。
 「心地よさ」とは何か。松沢さんが言っていることを私なりに解釈して極論すると、頭ではなく、調子がいい、快適だと体が納得することだ。卑近な例で申し訳ないが、私はデスクになり毎日、室内にこもってパソコンに向かう生活になってからひどい肩こりに悩まされ、週に一、二度はマッサージに通っていた。あるときから、黒酢を飲み始め、気づいてみたらほとんどマッサージに行かなくてもよくなり、今では黒酢が手放せなくなった。また、運動不足を痛感し、毎朝、銀座から大手町まで歩いて通勤するようになった。水鳥を見ながら、皇居のお堀のそばを二十分ほど歩くのは、いい気分転換になり、心地いい。思わぬアイデアが浮かぶこともある。
 別にここで黒酢や散歩の効用を強調するつもりはない。自分の体が、調子がいい、爽快だ、気持ちいいと感じられることがないと、人は継続できないし、今までの生活習慣を変えることはできない。しかし、体や心が心地よい状態を知ると、少なくとも今までの生活習慣を変えてみようと思う、大きなきっかけになるのではないか。「心地よさ」にこだわる理由がここにある。


「心地よさ」の発見・体験の場の提供を

 では、食を通した地域活動を行なっている生活学校運動の中に、こうした「心地よさ理論」をどう組み込んでいけるのか。生活学校運動は、個人に代わって心地よさを見つけてやることはできない。しかし、心地よさを発見したり、体験したりする場や機会を提供することはできる。
 実は、意識するかどうかはともかく、生活学校の活動には、こうした心地よさを見つけるための機会を提供しているものが少なくない。
 昨年の全国フォーラムの発表事例を例にとろう。滋賀県高島市のエルダー女性の会は、地元の中学校で郷土食の料理教室を開いている活動を報告した。「しょいめし」と呼ばれている、伝統のかやくご飯や豚の角煮など地元のその季節でとれるメニューや、カツオと昆布からとっただしは、洋風の食事や出来合いの惣菜に慣れた子どもたちにとって新たな味との出会い、ちょっとした驚きや発見の機会になったのではないか。どこでも同じ味のファストフード、素材の味をカバーするような強い調味料。そうしたものに慣れた舌を驚かすことができれば、心地よさを発見するきっかけを与えたことになる。「おかあさん、今日食べたしょいめしおいしかったよ」とうれしそうに話をする子どもの笑顔が、食べ物の大切さを親に再認識させるかもしれない。
 味の問題だけではない。祖母に近い年齢の女性たちと、一緒に料理をつくる経験そのものが楽しい、つまり心地よいことだと考えていけば、郷土食の料理教室には、発見・体験できる様々な心地よさがある。
 もう一つの発表された東京の遊新育生活学校の「わくわく畑の会」は、子どもたちが畑で野菜づくりをすることを通して、心地よさを発見する機会、場を提供する試みだと言える。
 すでに出来上がった料理としてしか知らなかった大根やお米がどんなふうに育つのか、育てるまでにどれだけ大変なことがあるのかを実感することができる。当日の発表の中で、子どもたちが口にした「おいしい」「甘い」「家ではいやだけれど、畑では平気で食べられる」という言葉が、子どもたち自身が心地よさを見つけたことを示しているのではないだろうか。
 学校での料理教室や、農業体験などの活動は、生活学校でも取り組んでいるところがあり、こうした活動をことさらに心地よさの発見の場という大げさだと思われるかもしれない。しかし、自分たちが行なっている活動の目的をはっきり自覚することは大切だ。一つひとつの活動は地道で、すぐに成果が見えるとは限らない。ともすると、一つひとつの活動がノルマや惰性に陥ってしまうことがある。自分たちの活動が、子どもも含めて地域の人たちの生活習慣を変えていく、行動を変えていく大切な動機になるのだと目的がはっきりすれば、次の方法や進め方を工夫することにつながる。
 「発見・体験した心地よさを長続きさせるにはどうしたらいいのか」「こうした機会を増やすための資金や人をどう手当てしたらいいのか」「行政を巻き込むことはできないか」などなど。
 昨年の分科会がおもしろかったのは、こうしたことについて具体的なアイデアや実践例が会場からたくさん出されたからだ。活動資金を得るため、大手スーパーが行なっているボランティアへの援助制度の活用、有料制の行事の紹介。ほかに「行事に参加する意識の高い人ではなく、より多くの人を巻き込むためにはどうしたらいいか」「子ども向けの料理教室はあるが、ダイエットに走る高校や大学生向けの活動はどうしたらいいか」といった次の段階の活動へと話が発展していった。分科会では、「最近の大学は、地域とのつながりを求めており、大学生のグループと協力してもいいのではないか」とのアドバイスもあった。


食は入り口、目的は地域づくり

 こんなふうに活動が広がっていくことは、その地域を巻き込んでいくことになる。それがつまりは地域づくりをしていることになるのだと思う。
食の活動をしていると、そこばかりに目が行きがちになる。目的が料理教室や農協・流通との話し合いになってしまいがちだが、あくまでも目的は地域づくりで、食は入り口、手段だと思う。
 実際、分科会の事例発表を聞いて思ったのは、おもしろい活動をしているところは活動に広がりがあり、参加している人が楽しそうだということだ。前に触れた遊新育生活学校の発表の中で、子どもたちが食に対する興味を持っただけではなく、いろいろなバランスの上に成り立っていることを知り、環境にも配慮できる子どもに育っていることを実感するとあった。食を通して環境へと目が向いてきている。
 滋賀のエルダー女性の会の場合、メンバーの女性が中学校の子どもから「おばちゃん、この前はありがとう」と声をかけられ、感激したという。感動、感激することは、心地よいことだ。さらに活動を続けていこうという気持ちがわいてくる。
 実は、活動を続けている中で、多くの人が日々心地よさを体験・発見しているのではないか。そうした楽しそうな活動ぶりを聞くと周りの人も楽しくなる。心地よさの連鎖とでも言おうか。
 生活学校が提供する場や機会で多くの地域の人が心地よさを見つけ、体験して楽しい気持ちになる。それを実感できることでより心地よくなり、さらに次のステップに進む。食を通した地域づくりとは、こうした心地よさの連鎖を生み出すものだと言うと、飛躍のしすぎだろうか?