「私たちの生活学校」156号掲載
 

行政と地域の人たちの協働による子育て支援
横浜市神奈川区子育て支援事業「すくすくかめっ子」
はじめに

 横浜市神奈川区は、人口約22万人であり、年間約2000人の新生児が生まれている。この区は、臨海部、内陸部、丘陵部の三つの地域にわけられ、それぞれ、工業地帯、住宅・市街地、農業地帯となっている。また、臨海部や内陸部は、公共交通網が発達しており、電車の路線が様々にある。それに対して、丘陵部は、海側ほど公共交通網が充実しておらず、区役所に行くのも、大変であるという。
 こうした区で、1996年当時、子育て家庭支援活動に取り組んでいた保健師たちは、次のようなことを考えていた。地域での子育て中の親同士が日常的に交流していくには、どうしたらいいのか。核家族で子育てをしている家庭を、日常的にどのように支えられるのか。こうした保健師たちの思いは、行政の縦割りの枠をはらい、地域の人々を巻き込み、ひとつの事業を試みるきっかけとなった。それが神奈川区子育て支援事業「すくすくかめっ子」である。
 この「すくすくかめっ子」は、「親子のたまり場」の提供という取り組みを通して、行政と市民が協働して、地域ぐるみで子育て・子どもの育ちを見守る仕組みをつくったものである。では、「すくすくかめっ子」はどのような仕組みになっているのだろうか。どのように地域の人たちの協力を得ていったのだろうか。以下では、行政と地域の人たちの協働による子育て支援活動を可能にした、その方策を探っていくことにする。
 ここでは、2005年12月11日に横浜市神奈川区の保健師斎藤ひとみさんと「すくすくかめっ子・親がめ会議」メンバーである塚原泉さんに対する聞き取り調査の内容及び、シンポジウムの事例発表の内容と資料を主に用いる。また、2005年10月30日に開催された「うしく子育てフェスタ2005」の活動発表の内容も補足的に取り上げる。


「すくすくかめっ子」の仕組み

(1)三つの組織
 「すくすくかめっ子」は、「親がめ会議(子育て連携会議)」、「子育て支援委員会」、「すくすく子がめ隊」(「子がめ隊」と略す)の三つの組織から成り立っている(図1)。そして、それらを支えているのが、神奈川区役所の福祉保健センターと地域振興課である。ここでは、それぞれの組織の役割をみてみよう。
@「親がめ会議」
 まず、「すくすくかめっ子」の母体となって活動をすすめるのが、「親がめ会議」である。この「親がめ会議」では、区における子育て支援のあり方を検討し、地域での子育て支援活動に対する関心を高めたり、活動の調整を行ったりしている。つまり、「すくすくかめっ子」事業がどのようなことを目指し、具体的に何をしていくのかを決めていく重要な場といえる。具体的な活動内容は、「子がめ隊」の立ち上げや活動の支援、ニュースレター(「すくすくかめっ子 元気号」)の発行、「子がめ隊」の担い手のための研修会や交流会の企画・運営、「子がめ隊」やそこに参加している親子に対する調査などである。なお、「親がめ会議」の構成メンバーは、区内において子育て支援活動や地域活動に積極的に携わっている人々、11名である。
A「子育て支援委員会」
 それに対して、「子育て支援委員会」は、子育てに関係する組織団体の、神奈川区の代表の集まりである。ちなみに、構成団体は、連合町内会、保健活動推員会、民生委員・児童委員協議会、青少年指導委員協議会、体育指導委員連絡協議会、子ども会育成連絡協議会、社会福祉協議会などである。この委員会は、年に1、2回開かれ、「親がめ会議」で決定された活動や運営に関して、承認や助言をしていく機関である。この委員会の主な役割は「すくすくかめっ子」の事業を推進していく上で、「親がめ会議」の活動を支援することである。
B「すくすく子がめ隊」
 「子がめ隊」は、「すくすくかめっ子」の「実働部隊」である。「すくすくかめっ子」の主たる取り組みは、地域における「親子のたまり場」づくりである。これを実際に実行するのが、「子がめ隊」である。「子がめ隊」では、「親がめ会議」の支援を受けながら、それぞれの地区で、その地区の有志たちが、子育て中の親とその子どもに対して、気軽に集え、世代をこえて交流できる場を提供している。なお、各地区の「子がめ隊」の支え手は、自治会・町会の人々、民生委員・児童委員、保育ボランティア、子育て中の親など、さまざまである。
 最後に、区役所の役割に触れておこう。「すくすくかめっ子」は、サービス課、福祉保健課、地域振興課の、3課の協働事業として始められている。現在は、福祉保健センターと地域振興課が中心となり、進めている。区役所の役割は、「親がめ会議」と一緒に事業の企画をしたり、「親がめ会議」の活動を調整したりすることである。そして、何よりも重要な役割が、「子育て支援委員会」をはじめ、連合町内会の会議や民生委員・児童委員協議会の会議など、様々な会議で「すくすくかめっ子」の趣旨や活動状況を、代表者たちに理解してもらえるよう、繰り返し説明・報告していくことである。こうした役割は、「すくすくかめっ子」をつくるきっかけとなった保健師たちが主に担っている。なお、「すくすくかめっ子」の事務局は福祉保健センターにあり、これも保健師が担っている。
(2)「親子のたまり場」
 「親子のたまり場」を提供している「子がめ隊」は、活動を開始した2001年度の時点では、10か所であった。それが、5年目の現在、30か所に増えている(右図)。このことは、着実に、「すくすくかめっ子」が区内全域に広がり、定着していることを示しているといえよう。では、この「子がめ隊」が提供している「親子のたまり場」とは、どのようなところなのだろうか。
 このたまり場は、週1回、あるいは月に2回程度、集会所や町内会館、商店街の一角などを利用して、定期的に開かれている。予約の必要がなく、時間内出入り自由である。そして、このたまり場の特徴は、プログラムがないことである。
 ここでは、「子がめ隊」の支え手である地区の人たちと一緒に、子育て中の親子が、お茶を飲みながら、おしゃべりをしたり、友だちをつくったりしている。親は、ここで、子育てで不安に感じていることや困っていることなどを、支え手の人たちに相談することもできる。子どもたちは、地区の人たちに顔と名前を覚えてもらえるようになる。加えて、親子参加のイベントや保育付き講座、地域の行事など、子連れで出かけられるところの情報も提供している。
 このように、「子がめ隊」によって実施されている「親子のたまり場」は、子育て中の親子が気軽に集え、仲間づくりができる場であり、世代をこえて地域の人たちとの関係をつくることができる場であり、さらに、子育ての情報を得られる場でもある。まさにそこは、地域での子育て・子育ちのつながりをつくるための拠点になっている。


「すくすくかめっ子」の立ち上げを牽引した保健師たちのこだわり

(1)問題点を糧にする
 1996年当時から、神奈川区では、保健所(現、福祉保健センター)の保健師を中心に、子育て中の人たちが日常的に交流できるように、「どろんこ遊び教室」事業に取り組んでいたそうである。しかし、この取り組みでは、子育て中の親同士の交流が日常的に行われるような場として定着させるまでには至らなかった。
 そこで、保健師たちは、なぜ交流の場が定着していかないのか、その問題点を話し合ったという。その要因として、この「どろんこ遊び教室」が単発の講座であったため、参加した親同士の関係がその場限りになってしまったことがあげられた。「どろんこ遊び教室」に参加した親子の住まいが離れており、日常的に会うことが困難であったためである。子育て中の人たちが日常的に交流できるようにするには、その人たちが気軽に行きやすい場所で何かをする必要があるのではないか。子育て中の親子が地域から遊離することなく、自分の町に守られていると感じられるようにする必要があるのではないか。話し合いでは、こうした意見や思いが出されたようである。結論として、こちらから各地域に出向き、継続的に活動をしていく支援はできないかと模索しはじめたという。
 しかし、保健師たち自身が各地域に出向き、定期的に活動をしていくには、限界があった。そこで、それぞれの地域に住む人々と一緒に、子育て支援活動に取り組むことができないかと考え、行動を開始したのである。
 2000年に、保健師たちは、地域で子育て支援活動に取り組んでいる人々に声をかけ、集まってもらい、「親がめ会議(子育て連携会議)」を立ち上げる。これが、「すくすくかめっ子」の始動である。
(2)地域の人たちと共に考える
 「親がめ会議」を立ち上げた段階では、保健師たちは、具体的に何をするのかを決めていなかったという。これは、保健師たちが、集まってきた地域の人たちと共に、何をするのか、どのようにしたら、子育て中の人たちが住んでいる地区での日常的な交流を支えられるのかについて、考えていこうとしていたためである。しかし、こうした保健師たちの考え方は、当時、「すくすくかめっ子」の事業に関係する人々になかなか受け入れてもらえなかったという。当時の担当上司や関連部署のところに出向き、「親がめ会議」の活動を説明するときに、「具体的に何をするのかはまだ決まっていない」としか伝えられず、その人たちには、あきれられたそうである。また、「親がめ会議」に集まってきた人たちからも、「話し合いだけならば、やりません」という声が出されたという。それでも、保健師たちは、この「すくすくかめっ子」に関わる人々に、白紙の状態から、地域の人々と一緒に考え、事業をつくりあげていくという趣旨を理解してもらえるよう、時間をかけて説明していったのである。
 こうした話し合いを経て、行政の考えだけではなく、子育て中の親たちが実際に何を望んでいるのかを知りたいという意見が出てきた。そして、地域で何ができるのかがわからないと、具体的な計画はたてられないという結論に至った。そこで、子育て中の母親と、地区の役員に対してアンケート調査を実施した。その結果、子育て中の親たちのニーズと、地域の人たちの何かしたいという思いが重なり合い、「親子のたまり場」づくりが具体的な活動として浮かび上がってきたのである。
 かくして、2001年に、「すくすくかめっ子」の事業として、地域ごとでの「親子のたまり場」づくりが取り組まれることになったのである。「すくすくかめっ子」が本格的に動き出し、各地区の「子がめ隊」の発足となる。
 このように、この事業は、保健師たちがそれまで実施してきた活動の問題点を克服するために、地域の人たちと共に考え、立ち上げたものである。その意味で、保健師たちの情熱によって、この事業は導かれてきたといえよう。


行政と地域の人たちの協働を支えるもの

 「すくすくかめっ子」では、地域の人たちの協力をどのように得て、事業を展開させていくことができたのだろうか。この点を少し掘り下げてみてよう。
(1)人材の発掘
 地域の人たちの協力を得つつ、「すくすくかめっ子」事業を進めていくことができた最初の鍵は、活動の中心的な担い手となった人々にあるようである。事業立ち上げ当初から関わっている保健師の方に、「『すくすくかめっ子』の成功はここで決まった」と言わしめているのが、「親がめ会議」に集まってきた人々である。では、この人たちは、どのようにして「親がめ会議」に関わりを持つようになったのだろうか。
 先の保健師の方や斎藤さんの話によれば、それは「一本釣り」で集めたという。「親がめ会議」を立ち上げる際に、保健師たちは、「団体のトップではなくてよい」、「フットワークの軽い人」、「一緒に動いてくれる人」を基準にして、人集めをしたのである。そのために、地域活動の動きをよく知っている地域振興課の職員に話を聞き、推薦してもらったという。このようにして、「一本釣り」された人たちは、町内会の活動をしている人、働く親を支えているボランティア、外国人の母親を支援している人など、30代から60代までの、地域で活発に活動している人たちであった。つまり、「親がめ会議」は、「実務者」を集めたのである。
 行政が主導で、地域の人々を集める場合によく行われることは、それぞれの組織・団体の代表に声をかけることである。そうすることで、それぞれの組織・団体のトップが集まってくる。しかし、この点がかえって、問題になることがある。それは、集まってきた人々が多忙であることや組織を代表していることのために、しばしば、柔軟に活動を進めていくことを困難にさせる点である。結果、その集まりは、形式的なものとなってしまう。
 行政が地域の人たちと共に考え、共に活動をしていくという目的から考えると、「すくすくかめっ子」が取った人集めの方策は、理にかなったものであったと思われる。
(2)説明と対話
 「すくすくかめっ子」が地域の人たちの協力を得、かつ行政がこれまでの5年間、事業を継続させることができたのは、説明と対話が繰り返し行われてきたことによると思われる。
 地域の人たちを巻き込む際には、保健師たちは、床に絨毯を引き、車座になり、「親がめ会議」に集まってきた人たちが本音を言えるような雰囲気づくりをしたという。そして、なぜ「親がめ会議」の場に招集されたのか、ここで何をやろうとしているのか、を理解してもらえるまで、時間をかけて、説明し、話し合っている。また、「子がめ隊」の活動を始める際にも、それぞれの地域で、「親がめ会議」のメンバーや「子がめ隊」の担い手は、町内会長や民生委員などの町内の役員たちに、「親子のたまり場」をつくることの理由や意義を説明し、ときに活動を見学してもらい、理解を深めてもらえるようにしている。こうした積み重ねが、行政の仕事を義務的に請け負うのではなく、その地域の人たちが「親子のたまり場」づくりを自分たちの町の課題として捉え、活動していくことを促していると考えられる。
 加えて、「すくすくかめっ子」の事務局を担当している保健師は、行政内部の職員や子育てに関連する上部組織に対して、事業の趣旨や活動を繰り返し説明・報告している。事業担当の上司に対しては、毎年、事業が始まったときから、どのように始まり、何をしてきたのかを説明し、確認を行っているという。また、事務局は、区役所の中で行われている、連合町内会や民生委員・児童委員協議会などの、様々な上部組織の会議に顔を出し、わずかでも時間をもらい、「親がめ会議」で検討した方針や活動状況を説明している。そういった場で、「今度、このようなことをしていきたいので、ご協力をお願いします」、と話を通しておくことで、「子がめ隊」の活動現場において、理解や協力が得られやすくなるという。
 このように、「すくすくかめっ子」では、様々な機会を活用して、行政内部のみならず、地域の人たちにも、事業の趣旨や活動状況が理解してもらえるように工夫をしている。この説明と対話の積み重ねが、事業の継続性を生み出し、かつ、地域からの協力を得ることに繋がっているのであろう。
(3)子育て中の人の思いと地域の人たちの思いを結びつける
 地域の人たちの協力による「親子のたまり場」の活動(=「子がめ隊」)が生み出され、継続していることの鍵は、子育て中の人のニーズを調査するだけではなく、地域の人たちの子育て支援に対する考えをも調査し、子育て中の人の思いと地域の人たちの思いを結びつけたことにあろう。
 子育て中の人からは、必要なものとして、「共感してくれる人」や「気軽に出かけられる場」が多くあげられたという。また、「親子共に友だちがほしい」、「おしゃべりしたい」、「情報がほしい」といった声も多くでてきたという。それに対して、地域の人たちからは、子育て支援に対して関心があり、何か手伝いたいと思っているが、何を手伝ったらいいのかわからないという反応が得られたそうである。また、小さい子どもとその親が集える場所の提供ならできるという回答も得られた。この両者の回答から、「親がめ会議」では、「親子のたまり場」づくりを導き出している。そして、この会議のメンバーは、地域の人たちに、「今のお母さんたちがどのようなことを大変に思っているのか、その現状を学びながら、親子のたまり場づくりをやりませんか」と声をかけていったのである。
 事業を開始してから3年目を終えた時点で、「すくすくかめっ子」は事業評価を行った。このときも、子育て中の人と、自治会・町内会長や各種団体等に調査を実施している。地域の人たちはそれぞれに「子がめ隊」に関わることで、様々な意義を見いだしているようである。例えば、「責任感や義務ではじめたが、実際に活動していくとそれだけではなく、小さい子どもたちと会える楽しみがあった」、「近所に顔見知りの人が増えた」、「地域の行事に、子どもを連れて母親が参加してくれたため、地域活動が活発になった」などである。
 事業評価では、子育て中の人の満足度だけではなく、支え手にとっての活動の充実感も視野に入れ、評価が行われている。この点でも、子育て中の人の思いと支え手の思いが結びつくように、配慮されていると思われる。
(4)「子がめ隊」の自立的運営
 行政と地域の人たちとの協働による子育て支援を可能にしている方策として、「子がめ隊」の自立的な運営をあげたい。「すくすくかめっ子」における「子がめ隊」の約束事はいたってシンプルである。ひとつが、初年度のみ活動資金が行政から5万円支給されるが、それ以後は、自分たちで活動資金を得ていくこと。二つめが、一度始めたら、途中でやめずに、長く継続していくこと。三つめが会場場所の地区の役員とつながり、理解を求めること。この三つである。強いて付け加えれば、「親子のたまり場」の基本は、プログラムなしであることである。それ以外は、各「子がめ隊」の自由な運営に任されている。
 活動日や活動時間、会場場所の選定、活動資金の獲得・使い方、「子がめ隊」ごとの広報、担い手の勧誘などは、各「子がめ隊」の中で決定し、実施している。例えば、各「子がめ隊」の発足2年目以降の活動資金の確保には、区の社会福祉協議会の補助金が利用されているという。この補助金のみで運営しているところもあるが、バザーをして、自己資金を得ているところもある。また、自治会や町内会の活動に位置づけ、そこから活動資金を得ているところもある。さらに、会場費がかかるところでは、50円または100円程度、参加者から参加費をわずかではあるが徴収しているところもある。活動内容にも、各「子がめ隊」の特色が表れている。基本はプログラムなしであるが、年に1、2回、クリスマス会やお楽しみ会等のイベントや講習会を企画し、実施しているところもある。また、外遊びを提供している「子がめ隊」もあるという。
 このように、「子がめ隊」の数だけ特色があるというように、それぞれがそれぞれの地区の特色や担い手の特色を活かして、運営している。「親子のたまり場」の運営を「子がめ隊」に任せることで、地域の人たちが無理なく、かつ自主的に関わることが可能になっているのではないだろうか。なお、自主的な運営を支えるものとして、「親がめ会議」が主催する研修会や「子がめ隊」の交流会がある。そこでは、他の「子がめ隊」の支え手との情報交換を通じて、各自が運営の工夫を学び取ったり、活動の刺激を受けたりしているという。
 以上の4点の工夫に付け加え、行政と市民が協働で事業を展開するためには、保健師が果たしているコーディネートの役割が重要になっている。それは、事業の趣旨を説明し、行政機関内部、関連組織、地域の人々をつなげ、事業がスムーズに進むよう「風通し」を良くしていく役割である。


おわりに

 「すくすくかめっ子」は、行政と地域の人たちが一体となり取り組んでいる子育て支援事業である。ただし、この事業は、単なる子育て支援事業にとどまらず、「親子のたまり場」を拠点にして、その地区の人々のつながりを新たにつくり、地区の活動を活性化させている。すなわち、これは、行政と市民による、子育て・子どもの育ちを中心に据えたまちづくり事業でもあるといえよう。それゆえ、子どもの成長という点でも、まちづくりという点でも、この成果は10年後にわかるとして、この事業がはじまったという。とすると、今から5年後に、「すくすくかめっ子」が本当の意味で、地域に根づいたかどうかが問われてくるであろう。これまでの5年間が基盤づくりであったとしたら、今後の5年間は、この仕組みが各地区で根づき、さらに活動が広がっていくための大切な期間になるであろう。
 現在のところ、担い手が不足している「子がめ隊」がいくつかあるという以外に、大きな問題はないとのことだった。だが、「子がめ隊」の活動をつづけていく上で、壁になるのは、この担い手の確保であろう。そこで、担い手を増やそうと、「親がめ会議」が中心となりボランティア講座の開講を試みているようである。ただ、講座を終了した人たちが各「子がめ隊」の活動に根づくには今しばらく時間がかかりそうである。今後は、ボランティア講座に参加した人に加え、「たまり場」に来ていた子育て中の人を、支え手にまわってもらえるよう勧誘していくことも大事になってくるであろう。
 「すくすくかめっ子」の取り組みは、それぞれの地域事情により、必ずしも同じようにはできないだろう。しかし、行政と市民との協働が成功しているひとつのあり方を示してくれている点で、とても参考になる取り組みであった。今後の動きにも注目していきたい。

※なお、文中の図全て「子育て支援に取り組む地域活動推進シンポジウムin三重」の当日資料、「すくすくかめっ子パワーポイント資料」(4-5頁)より転載している。

<参考資料>
・神奈川区子育て支援事業「すくすくかめっ子」の説明冊子及びパンフレット